日米英が生中継した注目の一戦
会場では、英国から駆けつけたらしき白人客たちが数人、呆然と立ち尽くしながら、あっさり決着のついたメインイベント後、よろめきながらリングを降りるマクドネルを見つめていた。今の時代、ボクサーは世界王者になったからといって、国民的関心を集める“ナショナル・ヒーロー”になるとは必ずしも限らない。それでも、階級を上げる動きを一度見せながらも、WBA世界バンタム級王座を6度防衛してきたマクドネルと、世界中のボクシング・フリークが高評価する井上との一戦は、日米英で生中継されるだけの関心が持たれていた。
そのせいか上述の白人客の1人は、やがて苦笑い気味に友人に言った。
「試合で悪夢が始まって、すぐに目が覚めたような気分だけど、ジャパニーズ・モンスターの強さを生で観られたことはよかったと思ってイギリスに帰ろう」
井上の天才はどれだけのものか。それは長年ボクシングを観てきた目の肥えたファンさえ、試されてほしいと願うものだろう。昔ならそれを王座の防衛回数で測ったが、今は「グローバルに評判が拡散するか」、「ファイトマネーなどの収入額がいかほどか」といったものから「最もハイレベルで大きなボクシング市場を持ったアメリカで、どれだけ成功できるか」などで、評価するようになっている。
ところが井上はスーパーフライ級転向後、11度防衛中のベテラン王者オマール・ナルバエス(アルゼンチン)に圧勝した以降、強すぎるがゆえに、勝って株を上げるようなビッグマッチを実現できない苦境に陥っていた。
そこに差し込んだ最初の光明は、米国カリフォルニア州で開催された『スーパーフライ』というイベントだった。名称から察しがつくように、この階級の最強を決するイベントに向け、井上や、当時、「軽量級最強」の呼び声高かったローマン・ゴンサレス(ニカラグア)、そのゴンサレスに土をつけたシーサケット・ソー・ルンヴィサイ(タイ)らは渡米。だが、現地での井上はあくまで準主役の存在で、なかなか運が舞い込まない。現地でボクシング市場の主軸を成すメキシコ人ボクサーたちのように、マッチメイクで特別な優先をされる理由もなく、第1弾のお披露目マッチで地元の選手を圧倒した以降は、やや蚊帳の外にあったIBF王者ジェルウィン・アンカハス(フィリピン)と対戦交渉するにとど まった。
そして、アンカハス戦の交渉も結局白紙に。「プロモーション能力が足りない」と熱烈なファンからそんな厳しい声も出る中で、その担当である大橋秀行会長は「こちらもプレッシャーを感じて交渉してきたが、破格のファイトマネー、7人の飛行機がファーストクラス、ゲストにマニー・パッキャオを呼ぶ条件まで、すべて飲んでも、契約書のサインを待っていたら“今回はやっぱりやめることにした”になった」と当サイトのインタビューでも吐露していた。
結局、スーパーフライ級での実力証明には見切りをつけてバンタム級に増量転向。間もなくして、かつて亀田和毅に2連勝したマクドネルへの挑戦が決まった。
「不安定」でも確かな強敵マクドネル
マクドネルの戦績は29勝(13KO)2敗1分1無判定。ここ10年間負けなしのたしかな実力者だが、「不安定」を感じさせるボクサーだった。正規の世界王者でありながら、上には誰かしら、いつも「スーパー王者」がいて、それを理由にWBO世界王者、亀田との第1戦も、王座統一戦として認められなかったり、その後も「スーパー王者」との対戦をWBAから再三指示されても実現はしなかったり…。かと言って、イージーな試合ばかり組んでいるのかと言うと、過去の対戦相手にも強敵は少なくない。苦戦は多いが、2013年には、24戦全勝でKO率9割だったフリオ・セハ(メキシコ)にも勝っている。したがって某オンラインカジノでのオッズも5対1(井上有利)と、井上の世界戦では過去最も拮抗した。
この一方で、WBSSの次回トーナメントがバンタム級を対象に行われることが発表され、同級未経験の井上も「マクドネルに勝った場合、参戦することで合意している」と主催者側に明かされた。先にWBO王者ゾラニ・テテ(南アフリカ)やIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)、そしてWBAスーパー王者ライアン・バーネット(英国)の参戦が正式に決まり、井上も出場できれば、最低限、マッチメークの苦戦からは脱却できる。いっそう負けられなくない井上陣営の一方で、マクドネルの不安定感は、今回も健在だった。何より来日後に不安視されたのが、本当に上限55.34キロのバンタム級まで体重を落とせるのかということ。結局、前日計量では200グラムアンダーでパスしたものの、リミットちょうどでパスした井上に「40歳くらいに見える」と言わせたほど弱り、思わず同情させたくなったのかと思いきや、計量で1時間半も井上陣営を待たせたことで、かえって怒りを買った。
6キロ差の王者を2分足らずで粉砕、国内外で期待される大出世
©VICTORY SPORTS NEWS試合当日、日本ボクシングコミッションが参考に測った体重は、井上が59.5キロに対し、マクドネルは65.3キロ。「さすがにあんなに大きな相手と戦うとは思わなかった」と呆気にとられた井上だが、これを悲観的には見ていなかった。
「あんなに体重が増えたら、動きは鈍くなるし、デメリットしかないだろうなって」
開始ゴングが鳴ると、マクドネルが上体を小刻みに振りしながら183センチの長いリーチで左ジャブを突いていった。しかし井上はこれをあっさり見切って、力強い左フックと右ストレートで後退させる。初回の1分経過あたりに、左ボディブローで井上は、マクドネルから最初のダウンを奪った。再開後もマクドネルは、しとめに来た井上の猛攻に対応できず、再びダウンしてレフェリーが試合をストップ。
大興奮する会場で、井上はリング上のインタビューで「WBSSのバンタム級最強トーナメントに出場します」と宣言した。
控え室に引き上げた後のマクドネルは、敗れたショックで会見を始めるのに少し時間を置いてから、井上を絶賛した。
「最高の状態につくりあげることはできたが、イノウエが本当に強かった。前回の試合でバンタム級は最後にしていたが、彼と対戦するビッグチャンスが巡って来たので、この階級に戻ってきた。井上は地球上で1番強いバンタム級のファイターだ。特に効いたパンチは左フック。WBSSでも優勝のチャンスは十分あると思う。私も勝って出場のチャンスを得たかったが、イノウエがグレートだった」
続いて、ドーピング検査を問題なくパスした井上が、会見ルームに姿を見せた。
「試合中は、身体が温まっていないし、まだいつも以上に緊張している中で攻めていると感じていた。試合前に控え室をシャットアウトさせてもらったのは初めて。(マクドネルは)向かい合って少しパンチをかわしてみて、映像で予想ほどスピードを感じなかったので、右のパンチに最低限度の警戒心を持ちながら一気にいった。圧倒的な内容で勝てたことには満足しているけど、バンタム級で自分の実力がどれくらいかを試せなかったのは今後への気がかりでもある。ただ、WBSSでは、相手どうこうより自分次第だと思っている」
会見後、「マクドナルが計量をパスしてくれて本当に安心した」とも本音を漏らした大橋会長は、WBSSについては「他にも公表されていない強敵の出場も決まっていますから」と、井上の才能を引き立たせるには恰好の相手と言わんばかりの表情で語った。
WBSSを制せば、井上は巨額の賞金を手に入れるのみならず、メキシコ系移民たちのニーズに左右されがちなアメリカへの進出より、むしろイージーに、己の強さをグローバルにアピールすることになる。そして、この「子供のような容姿をしたモンスターのように強い日本人」に世界中のボクシングファンは、いっそう夢中になりそうだ。その過程で井上には、日本の一般人からの注目を今以上に集めるナショナル・ヒーローとしての存在感も期待したい。ファイティング原田や辰吉丈一郎、長谷川穂積や山中慎介も王座に君臨した階級であることを考えれば、バンタム級は日本人にとって縁のある階級でもあるのだから。
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