日大の体質にもつながる危険タックル事件の“本丸”とは?

この問題がメディアで取り上げられた当初から、「危険なタックルが起こった背景には、アメフトのフィールドにとどまらない、日大の経営組織の問題が関わっている可能性が高い」と指摘していた。軽々に断定できない側面を持っているため、週刊誌などのメディアも慎重な姿勢を崩さなかったが、様々な経緯をたどって、日大・田中英壽理事長の存在がクローズアップされるなど、ようやく事件の本丸に矛先が向かい始めた。

日大の対応の遅さに非難が高まっている。「危機管理学部があるにもかかわらず、危機管理が杜撰だ」と失笑も買っている。だが見方を変えると、彼らは〈いちばん守りたいもの〉は、いまのところなんとか「水際で守り続けている」という実感なのではないか。もちろん、その“乖離”こそが、今回の出来事の背景に深く関わっている。世間は当然のように学生や部員を第一に考えているが、日大側は、大学組織や経営陣の保身を最優先にしていることがこれまでの対応で明らかだ。

内田正人前監督の釈明は突っ込みどころ満載だ。私が感じる違和感をひとつだけ挙げよう。
「1プレー目の宮川選手の危険なタックルはボールを追っていたので見ていなかった」と釈明した。ならばすぐ事実を確認し、宮川選手をベンチに下げ、相手(関学)に謝るのが本来の監督の姿勢ではないか。内田前監督はそれをしなかった。そして「私の判断のミス」と、その点については素直に非を認めている。それは、監督としての能力が低く、対応力も乏しい“無能監督”だと自ら認めた発言になる。私の取材経験から言えば、伝統ある強豪チームを率い“名将”と呼ばれる監督が指導力を否定されたら激怒する、あのような穏やかな顔で認めはしない。監督としての無能さを天下に認めてまで守りたいものは何なのだろう?

スポーツ人脈が支配するマンモス大学・日大

報道によって、日大の大学経営の中枢をスポーツ人脈が担っていることが伝えられ、多くの人々は驚いている。理事長は、両国、智ノ花、舞の海、琴光喜、高見盛ら、幾多の力士を輩出した田中英壽監督(現在は総監督)。そして経営側のナンバー2と言われる常務理事の地位にあるのが内田正人前監督だ(現在、その職責は一時停止中)。7万人以上の学生がいるマンモス大学の経営をなぜスポーツ人脈が掌握できたのか。

それはどうやら、1968(昭和43)年から1969(昭和44)年にかけて起こった日大闘争にまでさかのぼる。
日大闘争は、理工学部教授が裏口入学の斡旋で得た謝礼を脱税していたことに端を発し、日大当局の20億円を超える使途不明金が明らかになったことに対して、日頃から教育環境に不満を抱いていた学生が起こした有名な社会的事件だ。
大学側と学生が激しく衝突したその時、大学当局の護衛に抜擢されたのが体育会の学生たちだったという。田中英壽理事長は1969年の卒業。まさに学生時代、日大闘争の真っ只中にいた。大学側の不正に対して立ち上がった一般学生と立場を異にした体育会の学生たち。体育会の学生の何割かは、その善悪を判断する以前に、権力者の命令に従った……。人としての哲学や価値判断がないのか? それがスポーツマンだとしたらそれほど哀しいことはないが、歴史的に見れば日本のスポーツ(スポーツマン)がそうした力に従属してきた現実は否めない。

私がどうしても日本のスポーツ界の風土に賛同できず、四十年以上も提言と発信を重ねてきた根底にはそれがある。スポーツ選手はアーティストであり、スポーツを通して肉体と精神の内に潜む新たな可能性やひらめきに出会える。だからこそスポーツは感動的だと感じてきたが、日本のスポーツは往々にして全体主義に支配され、勝ち負けだけに価値を求め、個人のひらめきや内的な悦楽を否定する。

もちろん、海外との交流が進む現代にあって、テニス選手、フィギュアスケート選手など、とくに個人種目においては指導者の高圧的な指導・命令から自立し、アーティスト的な活躍を展開している日本人選手も増えている。平昌五輪では、メダルを獲った選手の多くが主体性を持ち、独自の発想やトレーニング方法、勝負勘を高めてきた選手だったように思う。スピードスケートの小平奈緒選手にはとくにその姿を見た。だからこそ彼らのパフォーマンスは旧来のお涙頂戴を超えた清々しさと新たな感動の色で見る者を触発した。だが一般的に、報道は結果を基準にしがちで、その違いを区別しない。価値の違いを論じるほど、日本のスポーツ・ジャーナリズムは成熟していない。

関西学院QBの早期復帰を祝福するばかりでいいのか?

5月27日(日)、危険なタックルにあった関学のQB奥野選手が関大戦に途中出場。試合への復帰を果たした。各社のニュースはこれをおおむね明るい話題として報じた。

しかし、私はこの復帰を祝うムードにも違和感を抱いている。
日本中が神経系統のダメージを案じている。
「後になって症状が出たら大変だ」「外的に症状がなくても十分に静養してほしい」
アスリートファーストというなら、まずこうした配慮が真っ先にあるべきだろう。ところが、全治三週間の診断どおり、奥野選手は三週間目当日に試合に復帰した。しかも、練習にはそれ以前から参加していたという。本当は、ケガに対するこうした認識の甘さも改めるべきではないだろうか。

もう一つ、今季からスターターに名を連ねた2年生の奥野選手が、早期に復帰せざるを得ない状況があるとしたらこれは別の意味で大きな問題だろう。
昨季の関学は現4年生のエースQB西野航輝選手と、今季主将になった光藤航哉選手がQBを務めていた。この二人に加えて、監督たちの期待を担いチャンスを与えられていたのが奥野選手だった。
首脳陣の期待はあっても、奥野選手は日大戦の時点で少なくとも「絶対的な」エースというわけではなかった。単にレギュラー争いと考えた場合、長期の離脱は避けたいと考えても不思議はない。

被害にあった関学の先発QBが今後、関学の中心を担う支柱(エースQB)なのは間違いないが、現時点で絶対的な存在ではないとなると、危険タックル問題の真相の一面も浮かび上がってくる。彼が絶対的なエースQBでないとすると、「いまのうちに壊しておけ」は“なんのために”発せられた言葉だったのか? その意味合いが変わってくるのだ。

日大の監督・コーチにとって重要だったのは、今後の戦いを有利に進めるために「相手のQBを壊す」ことより、「自分たちの命令に宮川選手が従い、忠実に実行するか」だったのではないか、との推察が浮かび上がってくる。だからこそ、記者会見で監督は「そんな指示はしていない」と言い、コーチも「そういう意味ではなかった」と繰り返した……。
もちろん、だから日大の指示に悪意はないと言いたいのではない。もっと卑劣で悪質な目的が込められていた。
宮川選手の会見でも明らかにされたとおり、日大の監督・コーチは執拗なほど宮川選手を追いつめている。当日の先発メンバー表から名前を外していたほど周到だ。相手QBをつぶすのが主目的でなく、宮川選手を追い込むことに主眼が置かれていたと理解すると全体が自然につながって見える。

日本のスポーツ界が抱える全体の問題としてとらえるべき

冒頭で書いたとおり、この問題はアメフトのフィールド内だけで解釈しようとすると本質を見誤る。内田前監督と井上奨前コーチは、監督とコーチの関係だけでなく、日大の常務理事と大学職員という関係もある。さらに、大学時代に不祥事を起こしながら内田監督の後ろ盾もあって株式会社日大事業部という、日大100パーセント出資の会社に就職している。その後、大学職員に登用された経緯を見ても、内田前監督から信頼され、役割を担っている存在だ。日常的には、監督・コーチの関係より仕事上の関係の方が濃密だったのではないか。記者会見でも内田前監督は「毎日グラウンドに行くわけではありませんから」と語った。内田前監督にとってアメフトは従で、大学経営や関連ビジネスが主だった。その人間関係の延長に今回の出来事があったとしたら、どうだろう。

宮川選手は、秋のリーグ戦そして甲子園ボウルで活躍するアメフト選手としてだけでなく、将来、内田・井上ラインのビジネスに加わる戦力として見込まれ、試されたのではないか。試合直後の囲み会見で内田前監督が「ひと皮むけた」「宮川はよくやった」「もっといじめるけどね」と発言した意味もそこに通じていると考えると理解がしやすい。
宮川選手があれだけ決然と、反旗を翻す記者会見ができた背景にもそれがあるのかもしれない。
井上コーチからどこまで伝えられたか不明だが、このまま指示に従い、その内情を秘匿すれば将来の就職は安泰だと、ほのめかされたか感知したか。その時点ではっきりと訣別を表明しなければ自分の一生が束縛される、社会人になってもルール無視のタックルのような指令を遂行する人間になるのか? それこそが恐怖であり、断固とした決意を導いた可能性もある。これはあくまで推測だが、それくらいの衝撃と悲壮感がなければ、「あれは監督・コーチの指示でした」と、日本中に表明できただろうか。

スポーツはいま、2020東京五輪を旗頭に隆盛をきわめているかにも見える。だが実は全体的に”負のスパイラル”に陥っている。悪しき勝利至上主義、商業主義を背景に「誰かに(何かに)利用される方向」に支配されている。選手一人ひとりの目覚めや成長、日々の喜びが基本には置かれていない。一部の勝利者だけが優遇され、競技の底辺を支える愛好者たちは冷遇されがちだ。勝利を目指すことやビジネス的発想を否定しているのではない。勝利至上主義に支配され、ビジネスを目的とする一部の権力者や為政者の利害が優先される危険を指摘しているのだ。

2020東京五輪をなぜ開催する必要があるのか?
「スポーツはいいものだ」「1964年の東京五輪も感動的だった」、東京都も政府も、そんな曖昧な言い方でしか、開催の正当性を伝えていない。それでも多くの国民が「東京で(日本で)オリンピックが開かれるのはうれしい!」と喜び、理屈抜きに支持してくれる。スポーツはそういう素晴らしさ(?)と危うさを併せ持っている。噴出する様々な不祥事からわかるとおり、スポーツはその方向性や運用を間違えば、組織も個人も蝕む重大な危険性を秘めている。それがずっと放置され、社会は民主主義、自由主義になったというのに、スポーツ界はいまだ軍国主義体質に支配されている。さらに言えば、スポーツ界が軍国主義的な牙城を守っているおかげで、自由なはずの社会の底流にもまだ、それが容認されるような側面が残っている。
なぜスポーツは素晴らしいのか、スポーツの目的は何なのか、そして誤った方向に向かえばいかに危険かも含めた《スポーツの哲学やビジョン》を国民全体で共有するのが本来は最初だ。スポーツ庁はまだそれをしていない。していないのに、東京五輪開催の準備を粛々と進め、レスリングのパワハラ問題、アメフトの危険タックル問題などが発生する温床を放置したまま、スポーツ振興を無条件に推進している。
スポーツ庁が果たすべき役目は、偉そうに上から目線で登場し、「この問題の真相解明」を突きつけるのでなく、多くの識者や関係者、他分野の才人らの協力を得て、国ぐるみで反省し、新たな価値観を国民全体で共有する旗振り役を務めることではないだろうか。

日大アメフト部の問題が、ただ日大のスキャンダルで終わるのでなく、日本のスポーツ界が抱える全体の問題だという認識で時代が大きく転換することを心から願っている。

<了>

悪質タックル事件、“本質的”な問題は解決されるのか? 大学スポーツ界の構造改革の必然性

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小林信也

著者プロフィール 小林信也

1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。