大谷は先発投手で! 可能なら勝負どころで代打起用

――年が明け、いよいよWBC本番が近づいてきました。2015年のプレミア12、昨秋の強化試合などを考慮し、侍ジャパンはどんなスタイルで本番に臨むべきでしょうか。
石毛 今回はどの国もメジャー選手を積極的に招集するみたいだし、パワーとスピード勝負ではなかなか勝てない。連覇したときの“スモール・ベースボール”のように、ソツのない野球をしてほしいね。
――注目はやはり二刀流・大谷翔平だと思います。石毛さんならどう使いますか?
石毛 まずは先発投手でしょう。ローテーションの柱として投げてもらって、可能ならば勝負どころで代打起用。投手には球数や登板間隔に細かなルールがあるけど、まずは投手として考えるべきだと思う。
――投手陣は田中将大(ヤンキース)、前田健太(ドジャース)ら、メジャー組の動向次第で未知数な部分もあります。国内組で期待する投手は?
石毛 先発は菅野(智之/巨人)と則本(昂大/楽天)だね。武田(翔太/ソフトバンク)はカーブをしっかりコントロールできれば通用すると思うけど、2016年11月の強化試合では苦戦していた。国際大会ではあまり内角の厳しいコースを突けないだろうから、直球主体の投手厳しいかな。変化球をしっかりとコントロールできて、芯を外すことのできる投手が通用すると思う。
滑りやすいWBC公式球へのアジャスト能力が求められる

――プレミア12と強化試合では、改めてリリーフ投手の重要性も浮き彫りになりました。2009年の第2回大会では、抑え候補だった藤川球児(阪神)が不調に陥り方針転換。中継ぎ、抑えの人選も難しいですが?
石毛 上原(浩治/カブス)を呼べれば心強いけどね(※後日、参加辞退を表明)。国内の抑え投手で期待したいのは松井(裕樹/楽天)や山崎(康晃/DeNA)だけど、2016年は両投手とも不安定だった。メジャー組の招集状況にもよるけど、増井(浩俊/日本ハム)をうしろで使うとか、則本を抑えに回すとか。いろいろ考えないといけない。
――石毛さんはドジャースでのコーチ留学経験もありますが、日米のボールの違いは具体的にどのようなものでしょうか。
石毛 アメリカで使っているボールはコスタリカ製(ローリングス社)で、一つひとつにばらつきがある。全体的に滑りやすくて、精密な日本のボールとは違い粗悪なイメージ。アメリカの選手たちは細かな違いをさほど気にしないが、若い頃から精工なボールを操ってきた日本人投手は微妙な違いに苦しむ。それが渡米後の故障の多さにもつながっているじゃないかな。
――確かに、メジャーでプレーしている日本人投手は故障が目立ちます。
石毛 ボールが違うわけだから投手としてのアジャスト能力が求められる。一方で前田健太は、メジャー挑戦1年目にもかかわらずいきなり16勝(11敗)を挙げた。前田のように対応力のある投手なら、日本球よりも変化球の曲がりが大きくなる可能性だってある。そういった器用な投手の出現に期待したい。
4番は筒香! 小林はまだ代表レベルじゃない……

――投手陣同様、捕手陣も不安です。
石毛 嶋(基宏/楽天)と大野(奨太/日本ハム)が正捕手争いの軸になるだろうね。小林(誠司/巨人)はまだ代表レベルじゃない。シーズン中、同僚のマイコラスからキャッチングを酷評されるシーンがあったけど、あれは小林が悪い。なんとなく捕球している感じだし、ブロッキングも雑。見ていても必死さが足りない。国際大会は未知なる敵との戦いでもあるし、分析力に長けた捕手が有利。そうなると残り1枠は、経験豊富な石原(慶幸/広島)や炭谷(銀仁朗/西武)あたりでもいいと思う。
――打線の柱となる4番打者は?
石毛 わたしが監督なら4番は筒香(嘉智/DeNA)だね。2016年11月の強化試合では中田(翔/日本ハム)が4番に座り続けていたが、昨年の働きで言えば筒香の方がふさわしい。そもそも短期決戦だし、4番を固定する必要もない。調子が悪ければ外せばいいし、その代わりになる選手を呼んでおけばいい。
――では最後に、石毛さんが考えるベストオーダーは?(※青木宣親参加発表前、国内メンバーで選考)
石毛 1、2番は山田(哲人/ヤクルト)と秋山(翔吾/西武)。彼らは選球眼がよく出塁率が高い。3番はいろんなことができる坂本(勇人/巨人)。中軸は4番・筒香、5番・内川(聖一/ソフトバンク)、6番・中田かな。7番には長打もあって勢いのある鈴木(誠也/広島)。そのあとは嶋、菊池(涼介/広島)と続く。攻撃陣には足もあって細かいことができる選手が多い。それだけに監督のかじ取りが重要になるだろうね。

(プロフィール)
石毛宏典
1956年、千葉県生まれ。銚子高-駒沢大-プリンスホテルを経て、ドラフト1位で1981年に西武へ入団。1年目から新人王を獲得するなど、若きチームリーダーとして黄金時代をけん引。西武在籍時は11度のリーグ優勝、8度の日本一を経験し、1995年からは2年間、ダイエーでプレーした。現役引退後は、ダイエーの二軍監督、オリックスの監督を歴任し、日本発の独立リーグである四国アイランドリーグを創立。現在は、野球教室、野球塾、講演、他のアスリートのクリニック、講演等も行う。