▽背中の教え

鶴竜は井筒部屋に所属しているが、部屋の力士数の関係から、他の部屋の力士数人が付け人としていろいろな仕事をこなす。近年では彩の他にも大翔鵬(追手風部屋)、極芯道(錦戸部屋)らが十両昇進を経験した。中でも出世頭は、錣山部屋の阿炎だ。激しい突っ張りで土俵上を動き回り、横綱を倒す金星も挙げている人気力士だ。阿炎は「あの付け人時代がないと、相撲を辞めていたかもしれませんし、絶対に今の自分はありません」と断言する。付け人になったのは、一度上がった十両から幕下に転落していた2016年だった。思うように白星を挙げられず、自暴自棄になっていた時期に鶴竜の姿を身近で見て、貴重な人生勉強を積んだ。

阿炎は「人としての振る舞い、心の強さを学びました。満員のお客さんの前で勝っても負けても変わらない。たとえ負けても人に八つ当たりをせず、記者の方の質問に返答されていました」と説明する。角界の最高位に座りながら決しておごらず、黒星を喫しても感情にまかせて周囲に愚痴を漏らすこともない。自らとしっかりと向き合って日々の土俵に向かう言動を背中で教え、やんちゃだった若者を改心させた。

現在25歳の阿炎は続ける。「横綱はすごく大きい人なんだなと実感しました。自分も少しでも見習って少しずつでも変わっていけば、また上に戻ることができるんじゃないかと思い始めたんです」。生まれ変わると日常生活の面から見直した。相撲への鍛錬も重ねて十両に復帰し、幕内昇進へと突っ走った。

▽豊かな人間性

横綱の付け人は、連日の土俵入りの際に綱を締めるのをはじめ、他の関取に付くよりも用事が多い。鶴竜は「付け人も人間だから、忘れ物をしたり失敗したりすることもありますよ」と達観したように話し、決して頭ごなしに怒鳴りつけることはない。後輩力士の一人は「よっぽどのミスをしたときは『しっかりしてくれよ』と注意を受けることがありますが、僕たちからしたら仏様みたいな人です」と慕っている。鶴竜は、付け人たちの立て続けの出世にも「たまたま、自分にいい若手を付けていただいただけですよ」と謙虚に話す。豊かな人間性は、辛抱しながら番付の頂点に上り詰めた自身の生き方と、師匠の教育に要因がある。

モンゴルから来日して井筒部屋を訪れた際、井筒親方(元関脇逆鉾)は最初、まげを結う床山志望と思ったというほど小柄だった。父親がモンゴル相撲の大横綱だった横綱白鵬とは異なり、大学教授を父に持つ鶴竜。地道に稽古を積んで一歩一歩番付を上げていくとともに、国技の担い手としての言動も鍛えられた。井筒親方は「昔、後援者の方がカラオケで歌っているとき、きちんと聴いていなかったので注意したことがある。歌っている人の気持ちを考えろという意味でね。若い頃から礼儀については常に厳しく言ってきた」と説明する。相撲で強くなっても人の気持ちを慮り、最高位に就いても変わらぬ優しさを貫ける尊さは、33歳の鶴竜の大きな魅力である。

▽男は黙って

相撲界で弟子の育成は一義的には師匠の責任だが、鶴竜とその付け人たちの事例を鑑みるにつけ、関取が若手力士に与える影響も小さくない。阿炎の他にも、極芯道は相撲への実直な姿勢を学び「本当に感謝しかありません」と口にする。阿炎と彩の師匠、錣山親方(元関脇寺尾)は「2人とも鶴竜の付け人に付けさせてもらい、成長させてもらった」と謝意を隠さないほどだ。

体一つでのし上がっていく相撲界。気性の荒い若者たちも入門してくる。以前は「無理ヘンにげんこつと書いて兄弟子と読む」と言われたくらい、昔は厳しく弟子を育てていた。そんな世界であるからこそ、鶴竜と付け人の関係は、きらりと光る出来事だ。鶴竜は「人に教えるということは難しいこと。自分がやってきたことが、その人にあてはまるかどうかは分かりません。自分のことを見て、それぞれが何か一つきっかけをつかんでくれればいいと思っています」と付け人に接する際のポリシーを説明する。

「男は黙って」の世界観は、令和の時代には少々古くさく受け取られかねないが、鶴竜の影響を受けて心身ともに成長し、充実した力士人生にたどり着いた若手を見ていると、一般社会においても大いに参考になる教育法だ。同時に、上に立つ者が「最近の若者は‥」などと愚痴る前に自らを律して模範を示すことは、いろいろなハラスメントを減らす一助になる可能性もある。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事