■突然の発表

忘れもしない10月16日。午後6時過ぎにその一報は入ってきた。

東京オリンピックのマラソンと競歩の会場を札幌に移転することを検討している。英語でそういう内容だった。「plan」という言葉を使い、決定ではなく計画中であることを強調していた。わずか2週間前に行われたIOCの理事会では東京の暑さ対策を絶賛されたばかり、私を含めオリンピックを取材する記者の多くは耳を疑ったに違いない。開幕まで10か月を切ったこの時期に会場変更など聞いたことがない。ましてや札幌ははるか800キロ以上も北の都市、冗談だろっというのが第一声だった。しかも、こんな重大発表を日本時間の夜にメールで、その内容は“決定”ではなく“検討”という中途半端なもの。実はここに今回の騒動のミソが潜んでいたわけだ。

■強行された地獄のマラソン

まずは、わずか2週間で態度を一変させたIOCの事情を検証しよう。背景にあったのは9月から10月にかけて中東カタールのドーハで行われた世界陸上だった。カタールは莫大なオイルマネーでスポーツイベントを次々と誘致している中東のスポーツ大国。その際たるものが2022年のサッカーワールドカップだ。しかし、この大会招致、一筋縄にはいかなかった。

スポーツの世界はカレンダーで動いているといわれる。野球のシーズンは日米問わず4月から10月というのが相場だし、アメフトは9月開幕で世界一を決めるスーパーボウルが2月となっている。サッカーは夏を避けるスポーツで、ヨーロッパのシーズンは8月後半から翌年5月というのが定番だ。だからワールドカップは6月7月に開催される。

しかし、カタールの6月7月は40度を超え、とてもじゃないがサッカーなんてできない。11月開催を飲んだFIFAが手にしたかったのは何か?誰が見ても明らかだろう。世界陸連も9月後半から10月前半という日程の中東開催を受け入れた。その結果が女子マラソン、男子50キロ競歩でのリタイア続出である。現地にいた選手やコーチたちは「サウナのようだった」「マラソンをする環境ではなかった」「二度と走らせたくない」と口々に批判した。それは世界中のメディアも同様だった。辛らつな言葉が世界中を駆け回った。世界陸連は選手をどうしようというのか?選手の健康は二の次か?何がアスリートファーストか?と。レース前には、現地の気象条件を見て本当に実施するかどうかしっかり検討すべきだという声があがっていた。それでも強行した世界陸連に批判の矛先は一気に向いたのだ。

■舵を切ったIOC

アスリートファーストを掲げるIOCにとって、世界陸上の惨劇は他人事ではなかった。東京ではもともと懸念されてきた猛暑。わかっていながら決行して大事故にでもなったら・・・。大河ドラマ「いだてん」でも描かれたように1912年のストックホルムオリンピックでは実際に死者が出ている。それと同時にIOCは、世界陸上を例に世界陸連がどれだけのイメージダウン、すなわち価値の損失があったかを計算していたはずだ。超一流のマーケティングに支えられているIOCは、4年に一度しかないオリンピックの価値を最大限高めることで莫大な収入を得ている。

札幌に会場を変えることで生じる損失と仮に事故が起きたときの損失、それを比較検討すればどちらがベターかその答えは難しくなかっただろう。さらに開催国は日本。10か月をきったこの時期でも、まず間違いなくパーフェクトに大会運営できる能力を備えている。

バッハ会長、コーツ調整委員長を始めとするIOC幹部の動きは速かった。大会組織委員会の森会長から言質をとったら可能な限り早く取り掛かる。そして理由はただひとつ「アスリートファースト」。舵を切ったIOCは徹底していた。

■都知事が最後・・・

11月1週の調整委員会(IOC・組織委・都などが準備状況を検証する会議)に向け、札幌移転を早く発表したいIOC。しかし、ここで問題が生じた。東京都の反発である。大会招致が決まればIOCのカウンターパートは組織委員会だ。というものオリンピックの大会運営を行うのは招致を勝ち取った東京都やJOCではなく、都とJOCが共同で立ち上げた組織委員会だからだ。IOCは「組織委員会の森会長が『うん』と言えば東京都は納得する」と思ったに違いない。森会長は元総理、日本のスポーツのドンだとみんな思っているからだ。誤算は小池知事と森会長が不仲だったこと。森会長は都議会のドンには相談できても、小池知事に話をするのをためらった。

「知らされたのは都が最後じゃないですか」と吐き捨てるように語った小池知事。組織委員会側から見れば、都の理解が得られていない、でもIOCは急ぎたい。IOCの意向が伝えられた後、10月12日から14日は日本は3連休。それも体育の日。皮肉な現実が都と組織委員会の意思の疎通を難しくした。ボタンは最初の1つを掛け違えれば最後までかみ合わないもの。だから「合意なき決定」という結末を招いてしまった。弁護士でもあるコーツ調整委員長が最終権限はIOCにあると発した言葉がすべてを言い表しているが、その“伝家の宝刀”を抜かしてしまったのは組織委員会の調整不足にほかならなかった。

マラソンのコースは年内に発着点が決まり、コースも20キロ1週、10キロ2週という変則的な案で決まった。泣いても笑ってもオリンピックの華“マラソン”は札幌でしか見られない。マラソンはチケットがなくても見られる数少ない競技。一番得をしたのは道産子たちなのかもしれない。

羽月知則

著者プロフィール 羽月知則

スポーツジャーナリスト。取材歴22年。国内だけでなく海外のスポーツシーンも取材。 「結果には必ず原因がある、そこを突き詰めるのがジャーナリズム」という恩師の教えを胸に社会の中のスポーツを取材し続ける。