厳重な情報管理が行われ、情報解禁と出場校への連絡時間が指定された今回の発表。球児にとってはまさにサプライズで、世の中も英断としてたたえる声が多かった。しかしながら、ここまでの大転換が可能ならば、中止と決めた夏の選手権大会を再考し、地方大会からの開催が本当にできないのかと、考えてしまう。選抜出場校に甲子園でプレーできる機会が与えられたことは全面的に支持するが、この美談の裏で、最後の夏に懸けていた残りの球児の思いが、置き去りにされた感はぬぐえない。
そもそも拙速すぎたのではないか。夏の甲子園の中止を決めたのは、5月20日。国民の外出自粛が奏功し、感染が収束傾向に向かっていた時期だった。その時点では全国に出されていた緊急事態宣言が39県で解除されていた。翌5月21日には甲子園がある兵庫、大阪、京都が解除され、月末には東京を含む全国での解除の見通しも出ていた。その時点で日本高野連の八田英二会長は中止の判断について「感染が完全に終わる見通しが立たず、長期的な戦いであることを念頭に置くと、解除が進んだから開催に…という結論にはいかなかった」と説明していた。10日の会見では「5月20日の決定は、緊急事態宣言が出ていた中、全国各校の休校状況の把握に努めていた中での最終判断だった。(判断を)6月3日ぐらいまで延ばしても…という発言が理事からあったが、あそこで決断する以外にはなかったと思っている」と強調したが、この急展開では時期を見誤ったと取られても仕方ない。
そもそも感染リスクが回避できないとして、日本高野連が主催する選手権の地方大会を中止にしながら、各都道府県の高野連による自主大会を認めるという、ダブルスタンダードを取ってしまったことで、現場はカオス状態にある。新型コロナウイルスの感染状況は日々減少傾向に向かったこともあり、ほとんどの地方で独自の大会を開催する方向で話が進んでいる。甲子園への扉が閉ざされたからこそ、3年生になんとか集大成の場を作ってあげたいと各高野連の関係者や指導者が感染防止に知恵を絞った上、考え抜いたもの。各地方高野連の自主大会のやり方が出そろってきた時期に、日本高野連が1試合とはいえ、甲子園で大掛かりな交流試合実施に舵を切るならば、甲子園につながる地方大会を開催した方が、すべての球児は完全燃焼できるのではないだろうか。
全国の球児たちのために
「高校野球は教育」と常々日本高野連の関係者は言う。すでに夏の選抜出場が決まっているチームと夏の自主大会で対戦する相手校のナインの気持ちはいかに。公平さこそ、教育の基本と言えるだろう。阪神球団は矢野監督、選手からの発案で甲子園の土を踏めない高校球児に聖地の土入りキーホルダーを全国の球児5万人に贈る粋な企画を2日前に発表していた。それは甲子園でのプレーがかなわないという前提に立っての発想だった。甲子園球場を管轄する阪神電鉄は大会が中止になっても、本来の開催期間の8月10日から25日までを空けていた。十分な日程という、もうひとつのプレゼントを用意してくれている。
個人的には今からでも選手権の地方大会を開催して、例年通りの49代表を選出。交流試合初日までに代表校が決まらない地区は、大会後半に試合を組み込めばいい。甲子園で1試合ならば、32校は可能で49校は不可という道理もないだろう。49代表に地方大会で敗退した選抜出場校を加える形は難しいだろうか。甲子園で1試合に限るのであれば、日程も柔軟に調整でき、様々な選択肢ができるだろう。トーナメントをしないのであれば、なんだってできそうだ。
現状では日本高野連主催の選手権の地方大会は開催されないが、各都道府県の高野連主催の独自大会は今月下旬から抽選会が行われ、無観客で試合がどんどん行われるわけである。甲子園という目標があるチームと、そうでないチームのモチベーションの差は小さくないだろう。
八田会長は「交流試合の決定は、日本高野連の挑戦であり、新たな挑戦に向かう高校球児へのメッセージ。悔いのないように交流試合に臨んでください」と語った。今後さらに感染状況が減少する可能性もある。選抜の開催可否は、1週間先送りにして、大会2週間前に中止と判断した。プロ野球も19日に開幕する。これだけのジャッジができた高野連である。これを最終決定とせず、ギリギリまで推移を見極め、全国の球児を丸ごと救済する方法を模索してもらいたい。