マウンド上には信じたくない姿が

11日のDeNA戦(甲子園)では、1点リードの九回、先頭の大和を147㌔の直球で右飛。先頭打者を打ち取り一安心と思いきや、梶谷に四球を出すと、続く桑原に粘られ8球目の直球を中前に運ばれた。打球を前進して捕ろうとした中堅の植田が後逸。一走に生還され、追い付かれた。味方のミスをカバーするだけの力は今の球児にはなかった。1死一塁でソトを迎えると、カウント2-1からの4球目、高めに浮いた145㌔をフルスイングされ、左中間席まで運ばれた。スタンドで手を合わせて勝利を祈る虎党もいたが、願いは打ち砕かれた。これで降板。ベンチ前では白星が消えた先発西勇輝が出迎えていた。

これまでの球児では考えられないシーンが広がっていた。試合後、矢野監督は今後の起用法について「終わったばかりなんで、今すぐ考えられない。みんなに言えるようなことは何もないです」と明言を避けていたが、翌日出場選手登録を外れることが決まった。首脳陣が決めたのか、藤川自身が2軍での再調整を申し出たのか、新型コロナウイルスの感染予防のため直接取材が制限されており、舞台裏はハッキリしないが、藤川側からの申し出であれば、復活の余地は十分あると考えられる。

代名詞のストレートがシュート回転してしまう

今季ここまで2セーブをあげているが、投球内容は青色吐息。2敗を喫し、防御率は15・75。登板5試合で無失点は1試合。数字以上に内容は悪く三者凡退は一度もない。不調の原因は専門家の間でははっきりしている。高知商高出身で、藤川の大先輩にあたる野球評論家の江本孟紀氏は「今年の藤川球児は直球がシュート回転している。力が入ってボールが抜けている。だから、これだけ、調子が悪くなる」と分析する。高い回転数で、打者の手元でホップするような直球が、藤川の代名詞、火の玉だった。その真っすぐを痛打されるケースが相次いでいる。

9日の巨人戦(甲子園)の九回には大城、亀井といった左打者に連打を浴びた。右投手が投げるシュート回転のボールは左打者から離れていく感じになる。踏み込んで打てるので、打ちやすいボールになりやすい。真っすぐで空振りが取れないのでフォーク頼みになるが、こちらも精度が今ひとつで振ってくれない。再び直球を選んで痛打される…。この繰り返しだった。

しかし、思い返せば、藤川が不調で2軍に落ちるのは、今回が初めてではない。近いところでは昨シーズンの序盤も離脱していた。2019年4月6日の広島戦(マツダ)で1イニング2本塁打を浴び、3失点で降板。防御率9・00となり、翌7日には登録抹消された。この時も自ら首脳陣に2軍での再調整を申し出ていた。きっちりと本来の状態を取り戻してから1軍に復帰。シーズン途中から圧巻のパフォーマンスで7月26日の巨人戦(東京ドーム)から、ドリスに代わって守護神に返り咲いた。終わってみれば、56試合に登板、4勝1敗16セーブ、防御率1・77の成績を残した。

チーム関係者は「藤川球児は自分の体のことを本当によくわかっている選手。体のどこに問題があるのか、理解しているので、立て直すのが早い」と説明する。鳴かず飛ばずのファーム時代に山口高志2軍投手コーチから、軸足となる右足の使い方についてのヒントをもらい、剛速球投手として開眼したことは有名な話。大リーグ、カブス時代に右肘のじん帯を断裂、トミージョン手術(腱の移植手術)を受けたこともあり、長いリハビリ期間を経て、より自身の身体や投球フォームについての理解を深めた。言ってみれば投球メカニクスを把握しており、自前でのメンテナンスが可能な選手なのだ。江本氏も「シュート回転を直す方法を彼は知っていますよ。ボールがキレていないのは、腕の振りが悪いのか、腰の回転が悪いのか。修正は可能だと思います」と断言した。

藤川は開幕前、腰を痛めていたことが明らかになっている。藤川は14日から2軍の鳴尾浜での練習に加わり、クラブハウス内などで治療とトレーニングを行っている。矢野監督は「本人も全然後ろ向きではないんでね。ちょっと急ピッチで無理して投げているところがあったので。球児が戻ってくるまで、しっかり(こっちは)こっちでやって。また球児は球児で、チームのためなら腕ちぎれても投げるという思いでやってくれているので、早く戻ってきて球児をまた見たいな、と思っています」と期待を寄せた。

挫折を乗り越えてきた男に期待したい

日米通算250セーブまであと5つ。ファームで再調整することになったことで、記録のために不調が明らかな守護神が最終回のマウンドに立つという構図はなくなった。この状況が続き、さらなる救援失敗が繰り返されていれば、チームは瓦解しかねかった。目の前にある名球会入り資格からいったん、自ら遠ざかったのであれば「(状態が)いいとは思っているわけではないけど。抑えは球児で。現状、俺の中で決めているわけだし」と話していた矢野監督を救う形になったといえるだろう。

思えば藤川の野球人生は挫折の連続だった。高2夏の甲子園で活躍して注目され、阪神にドラフト1位で入団したが、一時は戦力外リストに載ったこともある。メジャーから阪神に復帰した2016年は開幕から先発でスタートしたが、結果が出ず、配置転換。かつての絶対的守護神がリードを許した場面での登板もいとわなかった。這い上がる力は並大抵ではない。自身の記録は、チームの勝利の前ではちっぽけなことだと誰よりも知っている男である。雌伏の時を経て、またあの火の玉をひっさげて、甲子園に帰ってくる日は、そんな遠い日のことでないような気がする。

大澤謙一郎

著者プロフィール 大澤謙一郎

サンケイスポーツ運動部長(大阪)。1972年、京都市生まれ。アマチュア野球、ダイエー(現ソフトバンク)、阪神担当キャップなどを務め、2018年10月から現職。1999年ダイエー日本一、2002年サッカー日韓W杯、2006年ワールド・ベースボール・クラシック(日本初優勝)、阪神タイガースなどを取材。趣味マラソン、フットサル、登山。