どこから撮るか。選手のアドリブがフォトグラファーを悩ませる
ーマルチアングル映像の仕組みを聞いて、どう感じましたか?
田中宣明氏(以下、田中):これはずるいですよ(笑)。写真は一か所からのアングルしか撮影できませんからね。
ー普段はどのようにフォトポジション(撮影位置)を決めているのでしょうか?
田中:フィギュアスケートの場合、フォトグラファーのフォトポジションは当日現場入りしてから初めて決まります。各国ごとに撮影場所のレギュレーションがあり、限られた範囲の中でどの位置を取れるかはdraw (抽選)次第です。当たったポジションが、その日撮影したい場所ではない場合もある。客席のほうがいいと判断したときには、客席に移動して撮影することもあります。
ーその判断は、どのように行うのでしょうか?
田中:大抵は、その日撮影したい選手のプログラムのメインどころを想定して決めますね。でも新しいプログラムの場合は、どこで何をするかわからない。グランプリシリーズに向けて新しい振り付けを準備しているときには、その練習用の舞台であるB級大会を見に行って“予習”することもあります。ここで足をあげるとか、ここのポーズがいいとかをチェックして、このプログラムのメインはどこかを、ショートとフリーの両方で目星をつけるんです。
ーあらかじめ撮影カットを想定して臨むんですね。
田中:レンズ選びにも関わってきますからね。一滑走のなかで、レンズを持ち替えるのもなかなか大変なんですよ。表情など、部分的にフォーカスした写真を狙う場合は、被写界深度の浅い、400mmの望遠レンズを使います。遠くの選手にピントが合わせられますし、絞りを開くので、明るくきれいに撮影できます。でも同じ滑走のなかで全身の写真も欲しいなら、ズームレンズに持ち替えないといけない。滑走中、動く選手に合わせてピントを合わせるので、難易度が上がります。できれば1つのレンズで撮影を行うのが理想です。
ー毎度複雑な判断を行なっているんですね。
田中:そういうことを一生懸命考えたって、やっぱり違うところから撮ればよかったと思うこともある。アドリブもありますしね。特に、羽生結弦はアドリブのできる選手なんですよ。「え~そんなの知らなかったよ!」っていうのはよくあることです。
マルチアングルならとことんマニアックに楽しめる。一点集中カメラにも期待
マルチアングル映像では、国際映像と、残り3台のカメラを自由に切り替えることができる。メインカメラでは全身が見える引きの映像を流し、サブカメラでは寄り(アップ)の映像を流すという楽しみ方も可能だ。
ー寄りと引き、それぞれで見所が変わりそうです。
田中:現場にいても、距離によって感じるものが違いますからね。近ければジャンプの着氷の瞬間の振動や、エッジが削れる音も伝わってくる。そういう迫力のある画を撮りたいなら近くにポジションをとります。逆に、全身やきれいな軌跡がわかるものを撮りたいなら、リンクの上から撮るようにします。
ー田中さんとしては、どちらからの撮影がお好きですか?
田中:フォトグラファーとしては好みを出さないので、その日のプログラムに応じて、ファンが欲しいと思う写真を狙っています。でも、一フィギュアファンとしてマニアックな話をすると、好きになればなるほど細かいところを見たくなるというのはありますね。フィギュアスケートの刃は二枚になっているんですが、それを切り替えている瞬間とか見たくなっちゃいます。
ーマルチアングル映像では、寄りの映像だけを流すこともできます。
田中:それはいいですね。僕も後から録画でテレビの放送を見ることもあるんですけど、全身の美しさを見たいシーンで、正直「そこで寄るなよ~」ということはよくあるんです。もしくは、アップだとしても顔ではなく足元を見たいとかね。人気選手ほど、どうしても顔ばかりアップになりがちなんですが。
ー足元だけの映像で一曲というマニアックな楽しみ方もありそうですね。
田中:フィギュアスケートが好きな人ほど楽しめるコンテンツですよね。エッジワークや着氷の瞬間の足元を間近で見ると、勉強になりますよ。ルッツやフリップなどのエッジの瞬間、なんてわかるしね。
今はジャッジスコアも全部わかるから、見比べながら答え合わせもできますね。回転不足と判断された4回転を見返しながら、「だからかぁ」なんて。ある意味マルチアングル映像はジャッジ泣かせな技術かもしれない。
ー田中さんなら、他にどんな視点で見てみたいですか?
田中:例えば衣装かな。1枚1枚も高価ですし、スケーターがこだわった衣装をアップで楽しむなんてこと、普段はなかなかできない。あとは羽生結弦のエッジには羽のマークが入っているなんてことにも気付けます。
そんなところ写真で撮っても、なかなか報道じゃ使われないですからね。僕が撮影するだけではファンに届けきれない部分を、この映像なら見ることができるんですね。いいなぁ。やっぱりずるいなぁ(笑)。
フォトグラファーからファンの顔へ。田中宣明氏がマルチアングルで見返したい瞬間は
各国の放送局で使用されるフィギュアスケートの大会映像の元となる動画素材は、会場にある5台~10台のカメラによって撮影される。それらを開催国の放送局が1本に編集したものが国際映像と呼ばれ、それぞれの国でテロップをつけられて放送される。一方、国際映像に使われなかった部分の動画素材は、今まで一定期間が過ぎると破棄されてきた。このマルチアングル映像では、捨てられてきた動画素材を“有効活用”されている。編集前の生素材が流れるため、開催国ごとのカメラワークの違いが表れるのも、楽しみ方の一つかもしれない。
ー今、日本で誰よりもフィギュアスケートを撮影している田中さんのことも、このマルチアングル映像なら楽しませることができそうでしょうか。
田中:楽しみだし、悔しくなっちゃうよ(笑)。ロボットカメラじゃなくて、5台なら5人の腕のあるカメラマンが撮影した動画が見れるなんて、写真じゃ絶対に太刀打ちできない。
ー嫉妬ですね(笑)
田中:フォトグラファーは近くで見れていいですね、なんて言われるけど、いつも満たされていませんから。見たくても見れなかったシーン、撮りたくても撮れなかったシーンというのはいくつもある。だから本当は、自分が撮影した大会の録画は見たくないんですよ。ここ撮りたかったんだよってなっちゃうから。5Gだったら、ますます悔しくなっちゃうね。
ーどのような瞬間を逃すと一番悔しいですか?
田中:やっぱり表情ですね。演技の撮影も大事だけど、スポーツってやっぱり感情が溢れる瞬間が一番ですよ。演技中は、そんなに素の表情って出ないんです。終わった瞬間の「やったー」って顔とか、コーチや家族に向けるガッツポーズや笑顔が一番撮りたいシーンなんですけど、こっちからすると逆向きだったりね(笑)。
ー演技と表情、どちらもいいところを見逃さずにフィギュアスケートを楽しんでもらえるコンテンツになりそうですね。
田中:僕自身フィギュアスケートそのものが好きだから、全部見たい。でも撮影をしていると、近いところは見れるけど、選手が遠ざかると何をしてるかわからない。ファインダー越しだから、伝わるものも限られていると思います。
ジャンプを成功したのか、失敗したのか。それを表情に出したのかどうなのか。たとえば宇野昌磨はなかなか感情を表に出さないけど、そんな選手がすばらしい演技ができた後に、コーチに向かっていい笑顔するんですよ。そんなの本当は絶対に撮りたいんです。
スケーターの感情がファンと共有できた瞬間、一番気持ちが盛り上がってくるんです。そんな現場の臨場感まで、伝わったらいいですね。
ーフィギュアスケートファンの見る目もどんどん磨かれていきそうです。
田中:フォトグラファーとファンの関係と同じですね。いい写真を撮れば撮るほど、ファンの目も肥えてきて、「こういうのないの?」と言われることもあります。僕も燃えて、「おお、じゃあ次はそういうの撮ってやるよ」なんて会話をします。僕が撮りたい写真じゃなくて、選手やその家族が見て嬉しい写真、ファンが見たい写真って何だろうなというのを考えるのは、ずっと変わらないですね。
ーあらためて感じる写真の良さというのもありそうです。
田中:写真でしか伝わらない部分というのはずっと大切にしていきたいですね。たとえば演技中の一瞬の鋭い視線。映像だと流れてしまう瞬間ですが、それを印象強く切り取ることができるのは写真の強みです。一方、演技、衣装、音楽のフィギュアスケートの3要素をすべて伝えられるのは映像だけ。補完的に、フィギュアスケートの魅力を伝えていければと思います。
マルチアングル映像のさらなる楽しみ方として、田中氏が解説するYouTube映像を配信するなどの企画も始まっており、田中氏が撮影した渾身の1枚と、そのプログラムのマルチアングル映像を見比べながら、田中氏のフォトグラファー視点を感じることができるものになっている。
現在、「auスマートパスプレミアム」では、フィギュアスケート団体戦「世界フィギュアスケート国別対抗戦2019」、「グランプリシリーズ2020」アメリカ大会、中国大会のマルチアングル映像が配信されている。これまで見ることができなかった未公開の試合映像をマルチアングルノーカットで楽しむことができる。さらに今後は「グランプリシリーズ2020」ロシア大会のマルチアングル映像も配信される予定である。