ラパンパラ2回を含む計5発を浴びて負けた初戦、主砲岡本の2連発などで逆転した2戦目、結果だけみれば余裕も猛虎打線に肝を冷やした3戦目。この白熱した3連戦を通して、今シーズンのタイガースの強さは本物だと実感した。終盤まで気の抜けない熱戦の連続に普段以上の興奮を覚え、野球に興味のない嫁からチャンネルを替えられそうになるのを今回ばかりは阻止できたのである。

 予定通りなら5月15日の対戦が、通算2000試合目のメモリアルとなる伝統の一戦。オールドファンも注目の戦いを前に、ジャイアンツとタイガースの戦いの歴史とライバル関係をおさらいしようと思う。

戦いの歴史

 ジャイアンツは1934年に創設された大日本東京野球倶楽部が前身で、その翌年に大阪野球倶楽部として発足したのが現在のタイガース。つまり今のプロ野球球団の中で最初にできたのが、ジャイアンツとタイガースだった。

 1936年に現在のドラゴンズ、バファローズらが発足し、日本初となるプロ野球リーグがスタート。その年の12月に年間王者を決める優勝決定戦として、東京巨人軍に名称を改めたジャイアンツと、大阪タイガースとなった猛虎軍団が激突している。あの沢村栄治も登板したこのシリーズはジャイアンツが2勝1敗として優勝。記念すべきプロ野球最初の優勝チームとなった。

 この優勝決定戦は3試合とも好勝負になり、関東のチーム対関西のチームの対決という背景もあって大いに盛り上がったという。両チームは1936年~1949年(1945年は中止)の1リーグ時代に172試合戦ってタイガースの85勝84敗3分け。ほぼ互角の戦績を残し、プロ野球黎明期にライバル関係を築き上げた。

 しかし、1950年のリーグ再編以降は、1826試合戦ってジャイアンツの1009勝749敗68分けとジャイアンツが大きく上回ることになる。

 名将・水原茂監督らのもと最初の10年間で8度の優勝を飾ったジャイアンツと比べ、タイガースが初優勝を飾ったのは1962年と大きく出遅れた。その後も川上哲治監督のもとV9を飾るなど黄金時代を築くライバルを横目に、1964年の2度目の優勝から20年間優勝から遠ざかったタイガース。V9以降も優勝19回のジャイアンツに比べ、その後のタイガースの優勝は2003年と2005年のわずか2回、さらには1997年から2001年の15年間で最下位10度と低迷した。

 それらのイメージに加え、直接対決でも昨シーズンまで9年連続でジャイアンツが勝ち越ししているため、伝統の一戦といわれても正直盛り上がることも少なかった。

 でも今年は違う。先発・ブルペンともに強力な投手陣に、長打力と機動力を兼ね備える打線、なによりラパンパラが象徴するチームの一体感。戦前の予想通り、今シーズンのセ・リーグの覇権をジャイアンツと争うのはタイガースだと確信した。それゆえ5月14日からの東京ドーム3連戦は、名ばかりだった近年の対戦とは異なり、両チームのファンが盛り上がること必至。

 また、これまでの2度の3連戦は、両チームとも裏ローテでの対戦だったが、次回はジャイアンツの菅野、戸郷、タイガースの藤浪らが登板する順番。菅野と藤浪の投げ合いや、菅野対大山、戸郷対佐藤、藤浪対坂本、岡本らのマッチアップも見もの。歴史をともない、内容もともなった今シーズンの真の伝統の一戦に、長嶋対村山、王対江夏、江川対掛布などに続く、新たな名勝負・名場面が生まれることに期待したい。

 ちなみに、2リーグ制以降のセ・リーグで、両チームが優勝を争って1位、2位になったシーズンは1952年、1953年、1956年、1957年、1958年、1959年、1968年、1969年、1970年、1972年、1973年、1976年、2008年、2013年、2014年、2020年と過去に16度あるが、なんとすべてジャイアンツが1位でタイガースが2位となっていたのは、うれしいデータである。


越智龍二

1970年、愛媛県生まれ。なぜか編集プロダクションへ就職したことで文字を書き始める。情報誌を中心にあらゆるジャンルの文字を書いて25年を超えた。会ったら緊張で喋れない自分が目に浮かぶが、原監督にインタビューするのが夢。