杭をハンマーで打ちこんで穴を空ける水抜きに、ザブトンサイズの吸水シートを使っての手作業。要所に土を足し、砂をかけていくと、翌日の朝まで水浸しになると思えたグラウンドから水たまりが消えていく。作業時間約80分。午後3時前には何もなかったかのように第3試合、京都国際ー前橋育英のプレーボールがかかった。この一部始終はBS朝日で中継されていた。

 ネットニュースでは匠の技として称賛され、ツイッター上でも「阪神園芸」がトレンド入り。甲子園球場の売店には阪神園芸のグッズが発売されたり、グラウンドキーパーを主人公にした小説も刊行された。野球ファンを唸らせる令和のマエストロ集団、阪神園芸とはいったい、どんな会社なのか。

グラウンドキーパー業務は事業の一部

 「甲子園のグラウンド整備は、売り上げ全体の10%未満ですね」
 取材に応じた阪神園芸の西田孝廣常務取締役が照れ笑いしながら打ち明ける。グラウンドキーパーの業務が有名ではあるが、それは事業全体のほんの一部である。阪神園芸のスタートは1968年。現在甲子園球場の東南にある大型商業施設「ららぽーと甲子園」のあたりにあった遊園地、甲子園阪神パークの園芸部門を担うために設立された。

 関西の私鉄はこの頃、沿線の付加価値を高めるために、宅地開発と並行し、阪急電鉄であれば宝塚ファミリーランド(閉園)、近畿日本鉄道であればあやめ池遊園地(閉園)、京阪鉄道であれば、ひらかたパークなどを開場。その造園・管理事業を請け負うための園芸部門をそれぞれ関連会社として立ち上げていた。ひらかたパークで有名な菊人形は、甲子園阪神パークの名物でもあった。

早実高の王貞治記念グラウンドも

 事業者として特徴的なのは土木事業と緑化事業が融合した形態ということだ。庭の土壌作りと、植樹をともにこなせる造園業者というのは当時多くなかった。阪神グループの仕事や官公庁の仕事を請け負う一方で、西宮市や芦屋市に住む富裕層の邸宅の造園を手がけた時期もあった。現在では設計と施工の機能も併せ持ち、グループの西宮ガーデンズや大阪府堺市の浜寺公園プールの改修などを手がけている。

 阪神沿線で事業規模をじわじわと拡大していき、1979年から甲子園のグラウンド管理を請け負うことになった。土木・造園事業と球場整備は似て非なるモノで、それぞれのスペシャリストが社内に存在する。年中鮮やかな外野芝生養生のノウハウが、球場外での造園事業すべてに活かされているわけではないが「とりわけPR効果が大きいですね」と西田常務。神整備の評判がここ数年で広がり、スポーツ施設の造成や管理などの引き合いが増えているという。東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地楽天生命パーク宮城には園芸スタッフが常駐し、サッカーJ1ヴィッセル神戸が練習で使用するいぶきの森球技場(神戸市西区)もこの春まで管理を行っていた。

 王貞治氏(ソフトバンク球団会長)を輩出した早稲田実業学校の王貞治記念グラウンドも阪神園芸が施工した。日本一の技術者集団に我がグラウンドを任せてみたいと思うのは、自然なところだろう。HPにはこれでもかとばかりに事業事例が紹介されており、第一人者のプライドと底力がうかがえる。

阪急の名称が入っていない関連会社

 阪神園芸は阪神電鉄出身者の心のよりどころのようなところもある。阪神電鉄は2006年、村上ファンドの株買収に端を発した私鉄再編劇で阪急電鉄と経営統合し、阪急阪神ホールディングス(HD)が誕生した。阪急にも1927年宝塚植物園として誕生し、41年に阪急園芸(95年クリエイティブ阪急に改称)となる関連会社があった。

 統合に当たっては、阪急側が救いの手を差し出した経緯もあり、ほとんどの関連事業は「阪急阪神…」としてまとめられたが、阪神園芸だけは、会社の規模も知名度も上だったため、クリエイティブ阪急の造園部門を吸収する形で、そのまま存続した。本社筋によると、グラウンド整備事業を甲子園球場の施設課(甲子園球場は子会社でなく、阪神電鉄本社の甲子園事業部になる)に吸収する構想も一時練られたが、ネームバリューのある阪神園芸の事業として残す方が、採用面でも優秀な人材が集まりやすいだろうとして、撤回されたという。現在は阪神電鉄の100%出資の子会社となっており、阪神タイガース、阪神コンテンツリンクなどとともに、阪急の名称が入っていない数少ないグループ会社になっている。

造園会社としては関西トップクラスの売上高

 現在の従業員はアルバイトも含め約150人。高校野球開催中に甲子園での整備作業に当たるのは、常駐している約10人のスタッフに鳴尾浜のメンバーを応援に加え、最大で約20人ほどになる。HPで明かされている2019年度の売上高は約34億円。造園業者としては、事業規模、売上高は関西トップクラスで、本社は西宮市甲子園にあり、大阪支店、東京支店もある。

「このコロナ禍の中ですが、ありがたいことに大きなダメージは受けていません」と西田常務。造園や緑化事業は人の手と時間がかかる労働集約産業なので、常に大きな収益を見込める事業ではないが、赤字になることもないそうだ。阪急阪神ホールディングスはコロナ禍で鉄道、ホテル、旅行、百貨店事業で大きな痛手を負っている。阪神電気鉄道の伝統だった堅調路線を歩む阪神園芸はいまや阪神タイガース、宝塚歌劇団に次ぐ阪急阪神HDのシンボル企業で、グループ内での優等生的存在と言っていいだろう。

 緑の芝生、黒土の内野という甲子園球場の様式美を護る責任感、不可能を可能にする職人の力、先人から綿々と受け継がれた伝統…。彼らは何も語らずとも、その仕事ぶりから自然に発せられるメッセージは使命感を帯び、受け手に強く響いている。神のごとく崇められるスペシャリスト軍団は、事業全体からすればそのごく一部に過ぎないが、球児のプレー環境を整えながら、おのずと企業イメージを爆上げし、組織に大きく貢献しているわけである。


大澤謙一郎

サンケイスポーツ文化報道部長(大阪)。1972年、京都市生まれ。アマチュア野球、ダイエー(現ソフトバンク)、阪神担当キャップなどを務め、1999年ダイエー日本一、2002年サッカー日韓W杯、2006年ワールド・ベースボール・クラシック(日本初優勝)、阪神タイガースなどを取材。2019−2021年まで運動部長。2021年10月から文化報道部長。趣味マラソン、サッカー、登山。ラジオ大阪「藤川貴央のニュースでござる」出演。