1強時代

 引退を決意した理由は、何度も手術を受けた右膝が限界に達したからだ。最後に出場した7月の名古屋場所は、6場所連続休場明けにもかかわらず15戦全勝の優勝。結局、誰からも引導を渡されることはなく、強さを誇ったまま身を引いた。それを支えたのは、四股やすり足など基礎運動を重要視して鍛え上げた体に卓越した技術。そして勝負強さだった。

 ここ一番で能力を発揮するのは天性のもので、土俵以外でも象徴的な出来事があった。最高位に昇進して1年後の2008年6月。ロサンゼルス巡業の際、米大リーグのドジャース―カブス戦で始球式を行い、見事にストライクを投げ込んだ。しかも、そのときのいでたちが羽織はかま姿で、足元は足袋に雪駄。運動するには極めて不向きな格好で、慣れないドジャースタジアムのマウンドだったにも関わらず、観衆の見詰める前で真ん中付近にボールを投じたのだ。「やっぱり本番に強いってことかな」と冗談交じりに頬を緩めた。その後、十数年にわたって潜在能力も生かし、横綱在位は史上1位の84場所を数えた。

 次世代の突き上げが足りなかったことが、「1強」の時代が長く続いた要因の一つだった。頂点に君臨した力士にしか分からない心境があるという。優勝32回を誇り、白鵬も尊敬する横綱大鵬は生前、著書にこう記していた。ライバルの柏戸を引き合いに「柏戸関がケガで休場すれば同情されるのに、私の場合は負けても休場してもボロクソだ。逃避的な考えになったこともある」(「私の履歴書 最強の横綱」)。圧倒的な強さを誇ったゆえの悩みだった。大鵬の場合にはまだ柏戸という好敵手がいたが、2010年に朝青龍が引退した後、白鵬にそのような存在は最後まで見当たらなかった。

寂しさと悲しさ

 2013年九州場所で当時大関だった稀勢の里に敗れると、館内に「万歳」が湧き起こった。敗者への思慮を大事にする大相撲において、およそふさわしくない光景が館内に繰り広げられ、後に白鵬は「思い出したくない」と口をつぐんだ。判官びいきに日本人横綱待望論…。2010年の野球賭博問題や翌年の八百長問題など、国技が危機に直面した時期に一人横綱として支え、天皇陛下からねぎらいの書簡が届いたこともあった。そんな第一人者からすれば、心中察するにあまりある。

 やるせなさを結果で打ち消すかのように遮二無二、優勝回数を重ねていった。確たる対抗馬が出現しないままトップに座り続けたことで、気持ちも大きくなっていったのか。物議を醸した審判部批判が、大鵬を抜いて単独最多となる33回目の優勝を飾った2015年初場所後に起きたのは偶然ではないかもしれない。さらに同年11月、当時の北の湖理事長(元横綱)が亡くなった際には「同じ大横綱として理事長から一代年寄をもらいたかった」と言及。相撲協会から与えられる類いの「一代年寄」のワードを自ら口にしたことに波紋が広がった。

 その後は数々の金字塔を打ち立てながら、お騒がせの渦中にいるという特異な状況が続いた。白鵬本人は引退会見で現役生活終盤について「最多優勝記録を更新したときに目標、夢を失い、寂しさ、悲しさがあった。度重なるけががあり、理想とする相撲ができなくなったのは反省でもあるし、自分自身も残念に思っている」と説明した。

 2017年名古屋場所で魁皇を抜いて単独史上最多となる通算1048勝目。同年九州場所の嘉風戦で敗れたときに立ち合い不成立を主張して土俵下に長くとどまった。同場所は前人未到の40回目の制覇を果たしたが、優勝インタビューで観客とともに万歳三唱。翌年秋場所では史上初の幕内1000勝に到達し、2019年春場所の優勝インタビューの際に独断で三本締めをして、相撲協会からけん責処分を受けた。それらが積み重なり、さらに今年名古屋場所で優勝を決めた取組でのガッツポーズや雄たけび、無観客の東京五輪観戦が相まって、結果的に年寄襲名時の誓約書署名につながった。

ネット急拡大とともに

 白鵬の存在を語る上で、避けては通れない観点がある。ツイッターをはじめとする会員制交流サイト(SNS)など、ネット環境が急速に発展した時代に長きにわたって綱を張ってきたことだ。総務省の「情報通信白書」をたどっていくと、2011年版でソーシャルメディアの利用率が42.9%と半数以下だったのに対し、2021年度版ではSNSで73.8%とほぼ4人中3人と飛躍的に伸びている。白鵬が昇進したのは2007年。まさにネットの爆発的拡大とともに歩んだ。

 匿名性の高いネットの投稿では、一般的に文言が過激になりやすいとされる。中傷を受けたプロレスラーが亡くなったり、東京五輪に出場した選手に誹謗中傷が相次いだりするなど、昨今、被害の大きさがクローズアップされている。白鵬の場合、一部から“悪役”とのレッテルを貼られ、執拗なバッシングを受け続けてきた面がある。

 立ち合いに張り手や前腕を押し付けるようなかち上げを繰り出すと、反則ではないのにネットでは「辞めろ」の大合唱。それに比べ、好取組はそこまで俎上に上がらなかった。例えば名古屋場所初日。右膝に不安を抱えて臨んだ進退の土俵で、進境著しい新小結の明生に対して相手十分の左四つから、豪快な左下手投げで白星を挙げた一番は必死さが表れ、迫力満点だった。横綱として勝つのは当然と言われればそれまでだが、相撲の醍醐味が凝縮されていた。

 20世紀が誇る米国の名評論家ウォルター・リップマンは1922年に著した「世論」の中で、人々の固定観念について次のように考察している。「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。あるステレオタイプの体系がしっかりと定着しているとき、われわれの注意はそうしたステレオタイプを支持するような諸事実にひかれ、それと矛盾するものからは離れる」。ひとたび先入観を抱くと、その後も同様の文脈で他人を判断してなかなか変えようとしない思考回路が100年も前から指摘されていた。そこに、現代社会ではネットの発達が加わった。

「人間・白鵬翔」

 競技普及のために続けてきた少年大会「白鵬杯」の開催や力士会会長としての東日本大震災の被災地支援、最近では8月の合同稽古で後輩たちに熱心にアドバイスを送ったことなど、数々の功績を度外視しての言葉による攻撃。国籍をモンゴルから日本へ変えるという人生の重大な決断すら批判の対象となった。歴代の横綱たちにはなかったような、徹底したヒール像がネット空間の一部で出来上がって一般ユーザーも目にすることになり、「白鵬=悪」のイメージが増幅していった。

 引退に際し、全国の各地方新聞の社会面には軒並み、その土地で白鵬と交流があったり触れ合ったりした人たちの声が掲載されていた。名刺を渡したら「ありがとうございます」と言葉を返され、とても紳士的だったと振り返る人や、手首を痛めるのではないかと思うほど長時間サインに応じたエピソードを口にした人など、そこで語られる「人間・白鵬翔」は総じて好人物だ。実際に接した人々からのこうした感想は、指導者として後進を育て、角界を盛り上げていく今後の親方としての活動ではプラスに働くに違いない。

 白鵬の首の右側には小さな赤いあざがある。番付最上位を示す東横綱として土俵に上がったときには、テレビ中継でよく映っていた。出身国のモンゴルには、かつてモンゴル帝国を築いた英雄チンギスハンの首に矢が刺さって傷を負ったという逸話があるという。白鵬は「昔から自慢だったんだ、チンギスハンと同じだってね」と明かしたことがある。誇らしげな目印を持ち、いつも当然のように結びの一番に登場していた姿には今後、もうお目にかかれない。「本当に相撲が大好きだなと、幸せ者だなと思います」と自ら総括した第69代横綱の21年間。駆け抜けたと表現するにはあまりに長い道のりだった。

 史上1位記録を次々に塗り替えながら、周囲から浴びせられた多様な声を全身で受け止めた。そして逆に国技のあり方などについて多くのことを発信して問いを投げ掛けたという点においても、「不世出」の形容は揺るぎない。

高村収

著者プロフィール 高村収

1973年生まれ。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事