2月8日の男子ショートプログラム(SP)を2位で終え迎えた10日のフリー。場内で名前がコールされ「悔いが残らないように、自分のやりたい演技をしてこい」との言葉でリンク中央に向かった。1992年アルベールビル、94年リレハンメル両五輪の同種目に出場し、コーチを務める父の正和氏からの一言に闘志はたぎった。スローテンポなピアノの旋律に合わせて滑り始めると、会場全体がその世界観に引き込まれる。演技冒頭に跳んだ4回転サルコー。スピードのある踏みきりから空中姿勢の美しさ、着氷後の滑りの流れ、いずれも非の打ちどころがなかった。ジャッジ5人のうち、4人が出来栄えで最高評価の5点満点。今大会の6日の団体フリーで初成功させた4回転ループでは回転不足となり、着氷で手が付いたが、「最後まで何があっても諦めない」と歯を食いしばり、2度の4回転トーループ、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を鮮やかに成功させ、現行ルールでは、羽生結弦(ANA)とネーサン・チェン(米国)に次ぐ史上3人目の合計300点超え。世界トップの領域に足を踏み入れた。

 「キス・アンド・クライ」では、得点表示に両手を広げて喜びを爆発させる。ふと我に返ると、隣には顔を紅潮させて感極まる父親の姿が。「おめでとう」。声を震わせて祝福してくれる父とハイタッチを交わした。「五輪を目指して頑張ってきた全ての努力が詰まった銀メダルだと思っている。とてもいい演技ではなかったけど、全力でやれた。ここまでの道のり、成長をしっかりと感じることができた」。表彰式後、初メダルの感想とともに「いい親孝行ができたんじゃないかな」と誇らしげに言った姿は実にほほえましかった。

 伸びやかなスケーティングと柔らかい膝を生かした軽やかなジャンプ。鍵山のスケートは父親と瓜二つだ。伊藤みどり、浅田真央、宇野昌磨といった数々の五輪メダリストを育て上げた山田満知子コーチが「優真の滑りを見ていると、正和を思い出し、タイムスリップしちゃう」と語るほど。その天性とも言える素質を生かしながら、父はじっくりと基礎をつくり上げた。

 親子が師弟になったのは競技を本格的に始めた5歳から。小中学校時代は年代別の主要タイトルにはほとんど無縁だったが、正和氏は「種をつくっていた」と語る。とりわけ世界でも屈指の美しさを誇るジャンプには力を注いだ。鍵山が自身の特長に挙げる「フルスピードからの踏み切り」がそうだ。トップ選手でも空中での体の軸を安定させるため、踏み切り前にスピードを落としてから技に入るのが普通だが、早くから4回転時代になることを見越し「ジャンプは全てスピードが生かしてくれる」と独特の指導を取り入れた。「転ぶと嫌だから」とスピンやステップの練習ばかりしたがる息子をリンクで追いかけ回し、トップスピードになったところで「よし跳べ」とハッパを掛けた。狙いについて正和氏は「恐怖心を抱く前、1回転しか跳べない時期からそれが当たり前の環境をつくった」と説明。自然と型が体に染みつき、18歳にしてループ、サルコー、トーループの3種類の4回転ジャンプを習得した。

訪れた試練。「一人で努力しないといけないということで自立した」

 みるみる成長を遂げる技と体。その一方で「今ほど勝ちたいと思わなかったし、向上心がなかった」(鍵山)と、勝負の世界で生きる心はまだ育っていなかった。そんな時、鍵山家に大きな試練が訪れた。中学3年だった2018年6月。遠征先の愛知県で正和氏が脳出血のため倒れて半年間の入院を余儀なくされた。直接指導できない状況に「まずは生活。スケートは崩れても仕方ない」と思っていたが、鍵山は「僕が強くなれば、お父さんも元気にある」。自発的にリンクへ向かい、父から口酸っぱく教わったことを一つずつ思い出しながらジャンプを跳び続けた。半年後、久しぶりにリンクで向き合った息子にかつての弱々しい姿はなかった。「一人で努力しないといけないということで自立した」と目を細める。

 フリー冒頭で決めた4回転サルコーも父の入院中に基礎をつくった。お見舞いの際には必ず練習動画を持参し、そこで得る父からの助言をもとに踏み切るタイミングや角度、空中姿勢を一つずつ改善。試合後、「苦しかったこともあったけど、乗り越えての今回の演技、結果になった」との言葉に実感がこもった。

 五輪メダリストとなって、一夜明けた11日の記者会見。金メダルに届かなかったことについての質問には「演技に関しての悔しさはあるが、自分の全力を出し切ったことでの銀メダルで満足している。金メダルに関してはまた4年後目指したいので見守ってくれたらうれしい」と語り、こう続けた。

「そのための4年間は、とても大事なものになる。また新たな4回転の種類だったり、新しい表現力だったり、いろんな可能性が今回見えてきたので、いろいろ試して新たな自分をつくりだしていけたら」

 すでに4回転ジャンプの中でアクセルを除いて最も高難度のルッツ習得へ向けて動き出している。12日には早くも3月の世界選手権(モンペリエ)に向けて再始動。試合会場の首都体育館に隣接する練習リンクで銅メダルの宇野昌磨(トヨタ自動車)とともに1時間10分、競い合うようにショートプログラムとフリーそれぞれのプログラムを流して、4回転ジャンプを跳んだ。練習後、「お父さんにメダルを見せることはできたか」と問われると、「首にかけてあげることができました。喜んでくれました」とあどけない表情に笑みを浮かべた。正和氏はリレハンメル五輪での12位が最高成績。父を大きく超えた孝行息子が目指すさらなる高み。日本男子黄金時代へ向け、新風を送り込んだ若武者は、父と共に新たな物語を描き始める。


VictorySportsNews編集部