1人だけの「ミスター」

 ホワイトの五輪初出場は2006年トリノ大会だった。米カリフォルニア州出身で、生まれつき心臓の病気を抱え、1歳になるまでに2度の手術を受けた。兄の影響で始めたスノーボードで頭角を現し、7歳で早々にスポンサー契約を結んだ逸話もある。高額賞金大会のXゲームなどで優勝を重ねてスターの座にのし上がり、赤系の色をした長髪で、当時のニックネームは“フライング・トマト”。まさに鳴り物入りで五輪の舞台に見参した。

 公式練習から、別格の存在感だった。トレーニング中から会場のDJが選手名と技を乗りのいいテンポで紹介。海外でよくあるように、選手たちをファーストネームで呼び、会場を盛り上げていた。しかし、19歳のホワイトの名前を口にするときだけ違った。DJいわく「ミスター・ホワイト」。他の選手より高く飛び出し、華麗なトリックを決めるごとに敬意を込めるように叫んでいた。

 本番でも強さをいかんなく発揮。写真の1コマを切り取ったような美しいグラブ技やスピンを披露して堂々と優勝し、看板に偽りがないことを証明した。このとき、応援に駆け付けていた母親からの言葉が、その後の生き方を変えたという。「これからはオリンピックの金メダリスト、ショーン・ホワイトとしてずっと名前が残っていくのよ」。第一人者としての自覚が明確になった。清涼飲料のレッドブルと年間100万ドル(約1億2500万円)以上とも言われる契約を結んで、専用の練習用パイプを造成。破格の待遇で新技の体得に打ち込んだ。この他、スポンサーには米通信のAT&Tや米クレジットカードのアメリカン・エキスプレス、米スーパーのターゲットなど各業界の大手も名を連ねていき、認知度が飛躍的にアップ。スノーボードを子どもに始めさせる親が続出する現象も発生したという。

五輪種目の救世主

 スノーボードは1998年長野大会から五輪に組み込まれた新しい競技で、採用される際には一悶着あった。国際オリンピック委員会はスノーボードをスキーの1種目として分類。多くのトッププロが活動していた国際スノーボード連盟ではなく、国際スキー連盟を統括団体に選択した。これに一部のトップ選手が反発し、五輪をボイコット。その中には、カリスマと称されるテリエ・ハーコンセン(ノルウェー)も含まれていた。おまけに男子大回転で1位となったカナダ選手からマリファナに陽性反応が出て、門出から前途多難だった。

 ホワイトは圧倒的なパフォーマンスで魅了し、若者への浸透を含め五輪種目定着に一役買った。2010年バンクーバー大会では、五輪2連覇を決定させた後の最終滑走で、自身の代名詞ともなる大技「ダブルマックツイスト」に挑んで成功。もし失敗していたら優勝劇に水を差しかねないところだったが、”勝者のメンタリティー”を示した。2014年ソチ大会では初めて表彰台を逃して4位に終わったが、2018年平昌大会では平野を土壇場で逆転して王座に返り咲き。米メディアによると、スポンサー収入だけで年間800万ドル(約10億円)に上ることもあった。活動の場は競技以外にも多彩で、ビデオゲーム制作や最近では自身のブランドの立ち上げなどにも及んだ。スノーボードでも大金を稼げることを実証し、マーケット開拓に大きく貢献した。

 35歳で迎えた今回、王者らしいフィナーレだった。疲労蓄積の足首や膝に故障を抱え、シーズン前に手術。プライドを優先させれば、勝てる可能性の薄い五輪を辞退する策もあったかもしれないが、諦めずに挑戦。五輪が現役最後の競技会になることを公言して臨み、4位だった。「脚の踏ん張りが効かなかった。自分の残したレガシーについてよく聞かれるけど、この若い選手たちを見てほしい。彼らが自分を追い越していくことを待っていたんだ」。自らが切り開いた世界で全力を貫いて後進に道を譲り、きれいな身の引き方を実行した。

王者のスタイル

 長年けん引してきた第一人者のラストの大会を制したことで、平野は正真正銘の後継者となった。しかも勝ち方が圧巻。軸を斜めにしての縦3回転横4回転の超大技「トリプルコーク1440」を鮮やかに成功させたのをはじめ、他のトリックにもミスがなかった。終了後、ホワイトが駆け寄ってきて祝福したシーンは世代交代を象徴。ホワイトは「アユムのトリプルコークは信じられない出来で、今日は彼の日だった。自分もうれしいよ」と絶賛した。平野もホワイトについて「彼にしかできないチャレンジを、結果とは別に見せてくれた。感動したし、すごく背中も押されてパワーになった」とたたえた。

 15歳で五輪初出場のソチ大会で銀メダル。2018年大会ではホワイトとの歴史的激闘で2位だった。昨夏の東京五輪ではスケートボードで出場。ホワイトも五輪で成し遂げられなかった夏冬の”二刀流”を達成するなど、常に向上心を持って自身を磨いている。人々の心を揺さぶる姿を企業が放っておくはずはなく、例えば世界的な衣料品店「ユニクロ」とは2018年にグローバルブランドアンバサダー契約を結んだ。男子テニスの強豪、ロジャー・フェデラー(スイス)らと同じ立場で、ブランドイメージの顔役。3月中旬に「新しい技にチャレンジしていきたいと思うし、次の冬の五輪も続けていける限りはチャレンジしたい」と2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪を目指す意向も表明した。

 北京五輪では競技を終えたホワイトがゴールエリアに降りてくると、選手や関係者らが一斉に拍手を送る異例の光景が広がった。平野はまだ23歳。自身の金メダルを踏まえ「スノーボード人口もこれからどんどん増えて、これをきっかけに夢や希望を持ってもらえたらいいと思う」と業界全体を見渡す。好成績にも過度にはしゃぐことなく、落ち着いて取材を受ける態度には風格すら漂う。スノーボードでは各自のスタイルを大切にし、束縛されない自由さが尊ばれる。ホワイトとは異なるスタイルで、王者の足跡を刻むに違いない。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事