幸運にもチケットが当選し会場で目に焼き付けることができた。ゴロフキンにとってプロで初めて立った日本のリング。自身の個性と日本の風土に相乗効果が生まれ、存在感の大きさが世界に伝播した。米メディアによると、ゴロフキンの最新の年収はスポンサー収入などを含め3500万ドル(約45億円)とも言われる。自らの立ち振る舞いが結果的に自分に還元されることを教えてくれる真の王者だ。

Tシャツ価格が5倍に

 世界的に選手層が厚く、高い人気を誇るミドル級の中で、歴代最強の一人とされるカザフスタンの英雄。母親が朝鮮半島にルーツを持つなど東アジアとも浅からぬ縁があった。アマチュア時代、2001年に大阪での東アジア大会に出場。翌年には韓国の釜山で開かれたアジア大会にも参戦した。ゴロフキンは「私にはアジア人の血も流れている。また日本での闘えるのを楽しみにしている」とコメント。世界の頂点を極めた別次元の住人だったのが、一気に親近感を想起させた。昨年12月に一度は予定が組まれながら新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の影響で延期になっただけに、試合への待望も余計に醸成された。

 新型コロナ対策のため、会場のさいたまスーパーアリーナは2万人以上収容できるところを1万6千人に入場を制限。大声での声援も規制された。チケットはリングに一番近いリングサイドAが22万円、一番遠い指定席Eでも1万1千円と高額設定だったが、1万5千人が来場。その会場がどよめいたのが試合開始数十分前だった。控え室で準備するゴロフキンの姿が大型ビジョンに映し出された。「あのゴロフキンが本当にやって来た」との実感がリアクションとなって現れた。同時に、歴史的強豪を日本のリングに立たせてくれた村田への感謝の念も去来した。 

 グッズ売り場には長蛇の列ができた。キャップやTシャツ、マスクなど売り切れが続出した。30分ほど並んだ後、辛うじてゴロフキンの愛称「GGG」がプリントされたTシャツを4千円で買うことができた。この品物、数日後にネットオークションに出されていると周囲から聞いてサイトを閲覧すると、2万円で売れていた形跡もあった。両者のファイトマネーは推定で合計20億円以上。それに比べれば少額ではあるが、Tシャツの取引価格一つ取ってみても、この一戦でゴロフキン人気が高まった一端が垣間見えた。

さまざまなかみ合わせ

 試合は9回TKOでゴロフキンが勝利。村田も序盤は積極的に圧力をかけて攻勢に出るなど、手に汗握る熱戦となった。ボクシングではよく「かみ合わせ」と表現される。お互いのスタイルがうまくマッチすれば面白い展開になり、ともに強くても相性が悪いと凡戦になることもある。そういう点で今回は両選手の良さが発揮された。

 リング外での「かみ合わせ」もあった。ゴロフキンは2008年から2016年までに驚異の23連続KO勝利をマークするなど圧倒的強さで王座に君臨する一方、リングを離れたときの紳士ぶりも知られている。「GGG」はミドルネームも含めた名前の頭文字に由来しているが、その中の一つは「Gentle(優しい)」の「G」だと冗談めかして言われるほどだ。

 試合前から珍しい光景があった。両選手の計量が実施された8日はゴロフキンの40歳の誕生日。日本側から花束が用意された。しかも、双子の兄弟でセコンドに付いているマキシムにまでそろってプレゼント。ほほ笑むゴロフキンに、その場にいた村田も笑顔で拍手していた。普通ならピリピリムードに満たされる前日計量。お互いが至近距離で向かい合うフェースオフではよくののしり合いに発展することもあるが、和やかさもあった。

 試合終了後、ゴロフキンは村田の健康を十二分に気遣ったり、裁いたレフェリーに「Thank you very much」の後に「Sir」を付けて最大限の敬意を伝えたり。勝者の紳士ぶりと、おもてなし精神を大切にする日本人の琴線ががっちりとかみ合って試合前から盛り上がり、村田のみならずゴロフキンの素晴らしさも広まっていった。

アウェーも何のその

 勝ちっぷりは、拳一つで今の地位を築き上げた道のりを象徴していた。旧ソ連の構成国だった故郷を飛び出し、プロデビューからドイツに主戦場を置いた。KO勝利を重ねて本場米国へ進出。好戦的なスタイルで勝ち続け、人気を博していった。当時は一流選手の証明とされた米ケーブルテレビ大手HBOとの契約を果たした。会場を満員にし、テレビ中継では視聴ごとに課金されるペイ・パー・ビューで大金を稼いだ。

 当然、敵地に乗り込んでのアウェー戦をものともしなかった。例えば2013年にニューヨーク出身で強打のカーティス・スティーブンズにニューヨークのマディソンスクエアガーデンでTKO勝ち。2016年にはロンドンのO2アリーナで、当時36戦全勝だったケル・ブルック(英国)をTKOで下し、世界戦で史上最多タイの17連続KO防衛記録を成し遂げた。

 HBOが定期的なボクシング中継から撤退することに伴い、2019年には映像配信サービスのDAZN(ダゾーン)と契約を結んだ。6試合で1億ドル(約128億円)という破格の待遇だった。アウェーということでは今回も同様。さいたまスーパーアリーナは、村田のパンチが当たるごとにボルテージが上がり、拍手に加えてかけ声も飛び交った。逆にゴロフキンの攻勢の場面では、大声での声援自粛を求められていた中で〝村田コール〟が自然発生。それでも意に介さず、最後は右フックから、これまでダウン経験のなかった村田をマットに倒してみせた。

試合後も“レベチ”

 メガファイト後の行動にも大物ぶりが漂った。試合から3日後に室伏広治・スポーツ庁長官と対面したことがSNSなどで紹介された。しかも室伏長官がゴロフキンの宿泊先のホテルに赴く形。陸上男子ハンマー投げで五輪金メダルに輝いた室伏とはトレーニング談義に花を咲かせたという。現役大臣が足を向けてまで会うボクシングの外国人チャンピオンはそうはいない。また別の日には浅草や富士山、桜を背景にした写真をSNSにアップ。激闘の疲れも見せずに日本を堪能する姿でファンを喜ばせた。

 年齢的に現役生活の終盤とみられるゴロフキン。次は“カネロ”のニックネームを持つサウル・アルバレス(メキシコ)との3度目の対戦が取り沙汰されている。ゴロフキンの戦績44戦42勝(37KO)1分け1敗のうち、この「1分け1敗」はともに、全階級を通じた最強ランキング「パウンド・フォー・パウンド」で頂点に立つアルバレスが相手だった。しかし、引き分けた第1戦を中心に、2試合ともゴロフキンが勝っていたとの声も根強い。いずれも会場は米ネバダ州ラスベガスで、西海岸を中心に絶大な人気を誇るアルバレスのホームのような雰囲気だった。しかも第2戦は一度、アルバレスのドーピング違反で延期となっていた。ファンが待ち望む完全決着の一戦の成立は、アルバレスが5月7日にライトヘビー級世界タイトルマッチでドミトリー・ビボル(ロシア)に勝つことが条件とされているだけに、結果を見逃せない。

 ゴロフキンは今回、3月31日に来日。外部との接触を遮断する「バブル」方式を徹底したために、関係者によるとホテルの1フロアを貸し切り、滞在費用は約4500万円だった。稀代のチャンピオンとしてきっちりと仕事し、4月12日に離日。アルバレス戦が想定されているという9月17日に向け、世界中からこれまで以上の注目を浴びていくことになる。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事