バイクタクシーの後部座席から見たホーチミンの街並み

 しかし、これがベトナムの日常なのである。街並みは日本的に言えば「どこまで行っても商店街」。とにかく小規模な個人商店の数が多く、いわゆる“大企業”や”会社員”に固執しない、それぞれの生きる道がそこかしこにある。そして、ベトナムの人々は常に前向きだ。短い人生をとにかく自分らしく楽しむんだという気概に溢れている。その一方で、彼ら彼女たちの大らかさや見切り発車上等のメンタリティに振り回されることも多かった。

いきなりコロナ対策ルールが変更

 筆者はサッカーのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を取材するためにベトナムへやってきた。横浜F・マリノスが参戦するグループHの6試合をカバーすべく、初戦の前日である4月15日に現地入りした。

 最初の驚きは、出発の前夜だった。今回の大会運営を担うベトナムサッカー連盟(VFF)の担当者から届いた1通のメールには衝撃を受けるしかなかった。要点をざっくり訳すと、「感染症対策に関する規則が変わりました。記者会見や試合のために会場へ入る記者およびフォトグラファーは、その72時間以内の新型コロナウイルス陰性証明を準備してください」と書かれている。グループステージ開幕を2日後に控えた夜に、まさかこんな大きなルール変更があるとは。こちらはホーチミン市内で簡単に新型コロナウイルスの検査を受けられる医療機関など調べてもいないし、予算も確保していない。

 翌日、現地入りしてすぐに知人の伝手などをフル活用して検査を受けられそうな医療機関をリストアップ。4月16日の初戦当日に外国人向けの病院で抗原検査を受け、紙の陰性証明書を取得してから試合会場へ向かった。すると入場ゲートでは取材パス以外は特に何もチェックされず、メディア受付らしきものもない。結局、その後も全てのスケジュールが終わるまで運営スタッフから陰性証明書の提示を求められることはなかった。

 それどころか日本での取材申請時に一般の医療用マスクよりも厳重な「N95マスク」の着用を要請されていたにもかかわらず、会場に行ってみたら「N95マスク」を着けている人間は誰もいなかった。スタンドで試合中にマスクを着けているかどうかの監視は厳しいが、その種類を問う者は1人もいない。こうした大らかさは、その後も随所に発揮されていく。

 試合を終えた後、我々ペン記者は「ミックスゾーン」と呼ばれる取材エリアで選手たちを待ち構えて話を聞く。4月16日の1試合目は地元ベトナムの超人気クラブ、ホアンアイン・ザライと横浜F・マリノスの対戦で、ミックスゾーンには照明も灯されていた。ところが2試合目の全北現代モータース対シドニーFCの試合が終わってミックスゾーンに降りてみると、スポンサーボードには梱包材がかけられ、照明は消え、さらには選手とメディアのソーシャルディスタンスを保つための柵も取り払われていた。

梱包をかけられたバックパネル。完全に撤収済みな風景だが、まだ取材が始まる前だ

 マッチデーには1つの会場で必ず1日2試合を行うが、ホアンアイン・ザライの試合が終わると、スタジアムのスタッフも「今日の仕事お〜わり!」モードに入るのは大会が進んでもずっと変わらない。メディア入口から記者席までは1本のルートしかなく、その唯一の道もホアンアイン・ザライの試合後は南京錠で固く閉ざされる。その光景を目にすると、さすがにびっくり仰天である。扉の反対側にいたおじさんも「俺にはどうにもできんよ」と苦笑するしかなかった。

閉ざされた記者席へのルート、途方に暮れてしまった

 唯一、大幅に改善されたのはミックスゾーンの動線だった。大会開幕時は一般客も簡単に入ってこられてしまう状況だったものの、試合を重ねるごとに囲いの作り方や警備の仕方が洗練されていった。

改善されたミックスゾーン。選手動線もメディア側のエリアも格段に整理された

記者会見場が即席抗原検査場に!?

 グループステージ第3節が開催される4月22日の前日夜22時頃、大会を運営するVFFの担当者から1通のメールが届いた。全文ベトナム語で書かれたメールの件名は「3節目前に行う記者のクイックテストについて」となっている。

 それまで外部での新型コロナウイルス陰性証明書取得を求めていたVFFが、3節目にして大きく方向転換を図った。メールの説明によれば、試合当日の14時から15時までの間、スタジアムでメディア対象に抗原検査を実施するという。そして、その日は検査時に配布される記者証を使うようにと書かれていた。前日夜遅くの重要なお達しに、思わず「そんなバカな!」と声が出た。

 1試合目の開始は18時なので、14時台にわざわざスタジアムまで行くのはハッキリ言って二度手間である。それでも「受けろ」というものは受けねばならない。モヤモヤを抱えたまま検査会場に指定されたトンニャット・スタジアムへ向かうと、そこには驚きの光景が広がっていた。

記者会見場が即席抗原検査場に…

 なんと、いつも記者会見場兼メディア控え室として使っている部屋が即席の抗原検査場になっているのである。係員に促されるまま椅子に座り、鼻に綿棒をグリグリ押し込まれて検査は終了。約10分で結果が出て「陰性」と伝えられる。だが、メールに書かれていたような「記者証」らしきものは渡されない。

 結局、第3節以降は毎回「即席検査場」で綿棒グリグリを食らうが、会場の中で検査結果や陰性証明書の提示を求められることは一度としてなかった。第4節以降、検査の時間が16時からに後ろ倒しされて1日に2度スタジアムへ行く必要がなくなったのは、素晴らしいオペレーションの改善だ。

偽取材証女、現る!?

 ベトナムのクラブがACLに出場するのは約20年ぶりで、VFFも大きな国際大会を主催した経験がほとんどない。当然、今回のACLのようなイレギュラーな対応が求められる大会の運営ノウハウを持っておらず、オペレーションが手探りなのは様々なところから垣間見えてきた。

 大型ビジョンに流れる映像がWindows OSのデスクトップ画像で固まるなど、開幕したての頃は「マジで!?」と思うようなトラブルも多かったが、試合を重ねるごとに運営体制はスムーズに改善されていっている印象だった。

大型ビジョンがWindowsの画面で固まる

 そんな中、第4節に想像を超えた“裏技”を目にすることになる。

 ホアンアイン・ザライ対全北現代の試合を終えてミックスゾーンに降りると、見たことのない女性2人組がそこにいた。「女A」はメディアAD(取材証)を首から提げているが、もう1人の「女B」はメディアADを持っていない。

 明らかに挙動不審で、キョロキョロと辺りを見回している。怪しい……と思いつつ女AのメディアADをよく見てみると、そこには「PHO」と書かれている。これは「フォトジャーナリスト」を示す略称で、本来であればミックスゾーンに入る権利がない。さらにメディアADの裏面が真っ白。筆者が持っているものは裏面に「このADはAFCの所有物です」といった説明が書かれており、ACLの大会スポンサーやAFCのロゴも入っている。おや? 偽物か……?

こちらが記者のAD証。写真は実物と異なる場合があります

 しばらくすると警備員が2人組に気づき、女BがメディアADを持っていなかったためミックスゾーンから出るよう指示された。それでも彼女たちは少し離れたところから様子をうかがっている。さすがに怪しすぎるのでミックスゾーン周辺を警備していた警察官に事情を説明すると、2人組はひとしきりゴネた挙句、会場外へと追い出された。近くで彼女たちが警察とやりとりする横でよく観察すると、メディアADに貼られている顔写真が明らかに別人のもので、フォトジャーナリストなのにカメラ機材を持っているようには見えない。

偽ADで突破を試みた女性2人組。左が「女A」、右が「女B」

 やはりメディアADは偽造されたもののようだった。そう確信するに至った理由の1つは、第5節の会場や前日記者会見の場で2人組のどちらにも再会しなかったから。また、ベトナムメディアが基本的にミックスゾーンに選手のコメントを取りにこないので、余計に怪しかった。

 ホアンアイン・ザライは国民的人気を誇るクラブだけあって、女性ファンも多い。試合後にはスタジアムの敷地外で(筆者が勝手に「ザラ女」と呼んでいる)多くの女性ファンが「出待ち」をし、選手たちが近くを通ると歓声があがるほど。そんな熱烈なファンが多いクラブだけに、あの手この手を使って選手に近づこうとするファンがいてもおかしくはない。女Aと女Bは「偽AD」でミックスゾーンまで入り込み、選手と交流しようとしたのではなかろうか。

試合を終えたホアンアイン・ザライの選手たちを待つ熱烈な女性サポーターたち

最後に太っ腹な“おもてなし”!?

 さて、ACLのグループステージは5月1日に最終節を迎える。我々のベトナムでの取材もまもなく終わりだ。ここまで様々なトラブルなどを紹介してきたが、決してベトナムに対して悪い印象を持っているわけではないということを強調しておきたい。コロナ禍の終わりが見えない中でもACLの開催を受け入れてくれたVFFには感謝せねばならないし、ベトナム人の現地スタッフたちも彼らなりに全力で運営してくれている。柵の隙間を使い、スタジアムの敷地外に並ぶ屋台から食事を“密輸”(「密」どころか堂々と売っているが)できるようなベトナムの大らかさには何度も助けられてきた。

スタジアムの柵の隙間から食事を調達。購入したのはバインミー(ベトナム名物のサンドイッチ)で、価格は2万ドン(約100円)

 マリノスは5月1日に全北現代と対戦して全日程を消化し、グループ首位での決勝トーナメント進出を果たした。その試合の3日前、日本からマリノスの応援にやってきたファン・サポーターを焦らせる発表があった。それはホアンアイン・ザライがメーデーの日に開催されるグループステージ最終節のシドニーFC戦に1万2000人を無料招待するというもの。本拠地から遠く離れたホーチミンでクラブを応援してくれるファンに対する、ドアン・グエン・ドゥック会長からの“サプライズ”だった。4月29日の朝8時30分から会場となるスタジアムでチケットが配布され、ホアンアイン・ザライのファンが大行列を作っていたという。

グループステージ最終節のチケット。当日は1万1600人が会場に詰めかけた。

 ところが現地入りしていたマリノスのファン・サポーターにとっては寝耳に水。ACL決勝トーナメント進出が決まるかもしれない重要な最終節のチケットは手に入るのか……? という大きな問題が生じた。というのも1枚のチケットで2試合通して観戦できるため、1試合目でほとんどが帰ってしまうであろうホアンアイン・ザライのファンだけにしかチケットが渡らないとなると、他のクラブのファンは入場できなくなってしまう可能性があった。

 果たして日本からやってきた人々は試合当日のスタジアムに入れるのか……という心配が募ったが、結局はマリノスのファン・サポーター向けに開放されるエリアのチケットだけは無料配布されていないと判明して事なきをえた。大会運営スタッフによれば、一般向けのチケット販売はなく、誰でも無料で入場可能であることもわかっている。最後にホアンアイン・ザライの会長による太っ腹な“おもてなし”があるとは、全く想像していなかった。 こうしたベトナムの人々の「細かいことは気にしない。とりあえずやってみよう」的なメンタリティには恐れ入る。

 試合当日、ホアンアイン・ザライはスタジアムに集まった1万2000人近い観客の後押しを受けてシドニーFCを打ち負かし、今大会初勝利を飾った。グループ3位で敗退が決まったにもかかわらず、会場は初勝利で歓喜の渦に包まれていた。

記者エリアで急に始まるリフティング、違いを認めることからがスタート

 締めくくりの1日にはどんな驚きが待っているだろうか、と楽しみにしていた。テレビ中継車の上にダンボールを敷いて寝ているおじさんにも、記者会見場でディスプレイ用のボールを突然蹴り始める地元メディアの記者たちの行動にも、もう驚かない。

日中に降った雨の影響で水浸しのミックスゾーン。本来は奥のボードの前で選手が取材に応じる

 ただ、さすがにミックスゾーンが水浸しなのには笑うしかなかった。日中に降った雨の影響で大きな水たまりができていたのである。そして、マリノスの選手たちの取材中には突然大雨が降り始めた。そんな中でも選手やスタッフの乗ったバスを雨でビショビショになりながら盛大な声援で見送ったマリノスサポーターの勇姿に感銘を受けた。遠くベトナムまで応援にきたみなさん、本当にお疲れ様でした。

選手バスを盛大に送り出すマリノスサポーターたち。過酷な環境での戦い、本当にお疲れ様でした!

 想定の範囲内に決して収まらず、必ずこちらの想像を超えてくるのがベトナムの魅力。今日は何が起こるだろうかと、最後まで楽しみは尽きなかった。約3週間の滞在だったが、もう日本に帰らなければならないと考えると、とても名残惜しい。


舩木渉