まずは東京パラリンピックを振り返りながら、当時の思いを感慨深げに語ってくれた土田真由美。

「時勢を考えても大変な思いをされている方々がたくさんいらっしゃったことは十分なほど理解していましたし、そんな中で自分たちがパラリンピックに参加することに対してはもちろん複雑な気持ちがありました。しかしいざ開幕を迎え、コートに立った瞬間からは本当に集中してバスケのことだけを考えて過ごすことができました。今振り返ってみても大会を開催して頂けて心からありがたかったと思っていますし、それまでの過程を思い返すと本当にいろんなことがあったなあとも実感しています」

 土田が車いすバスケットボールと出会ったのはトレーナーを志して体育大学に通っていた頃。たまたま立ち寄った体育館で先輩の勧めでシュートを打ってみたのが始まりだった。車いすに座ってゴールを眺めたとき、そのゴールの高さに驚き、競技用車いすも思うように操作することができなかったという。

 当時は日常生活でも車いすを必要としていなかったためすぐに本格的に競技を行う考えには至らず、大学卒業後も進行を遅らせるべくリハビリや生活する上での工夫に注力していたいという。その後、障がいの悪化に伴い、2009年に正式に選手登録することとなった。「初めて自分の障がいを強く実感したときはショックを受けましたし、その現実をすぐには受け入れることができませんでしたが、かつて経験した車いすバスケという競技の存在を思い出し、それならばやってみようと思ったことで前向きな気持ちを持つことができました」。

 本格的に競技を開始して約1年、2010年には世界選手権に臨む日本代表メンバーに初選出。「実感はほとんどなかったのですが、代表に選ばれた以上は自覚を持ってプレーしなければいけないと、もう毎日、無我夢中でした」と、当時を懐かしむ土田。彼女に後のキャリアを左右する大きなターニングポイントが訪れたのはさらに2年後。ある出来事をきっかけに「パラリンピック」というものを強く意識するようになる。

「女子日本代表は2012年ロンドン大会のアジア予選で敗退して本大会に出場することができなかったのですが、私は努力が足りなくて予選メンバーに選ばれなかったんです。その場にすら立てていない自分のことをすごく情けなく思い、もっと成長してパラリンピック出場の切符を実力で勝ち取れるような選手になりたいとそのときに強く感じました」

 以降、選手としての存在価値を高めていった土田。しかし4年後のリオデジャネイロ大会はまたしてもアジア予選で敗退して涙をのむ。「率直に(自分は)このままではダメだなと思いました。国際大会で思うようにプレーができなかった要因をもう一度見つめ直し、海外選手たちに当たり負けしない強さを身につけなければと」。そして予選敗退の翌日に行動を起こす。海外での武者修行を決意し、リオ大会で銅メダルを獲得したオランダ代表チームにコンタクトを取り、練習への参加を打診したのだ。「私からの連絡を機に海外選手を受け入れるアカデミーのような施設を先方が作ってくださって、最初にコンタクトをしてから2年後にオランダに渡航することができたのです」。

 東京パラリンピックでは、1次リーグを2勝2敗の3位で突破した後にそのオランダ代表と準々決勝で対戦。24-82というスコアで敗れ、自力の差を見せつけられた。そして奇しくもその試合によって目標としていたメダル獲得が潰えることにもなった。それでも土田は、三たび前を向く。

「何度かオランダに長期滞在しながらトレーニングを積んだことで技術的にも精神的にも大きくレベルアップできたことは確かです。ただ、日本代表としてコートで戦う以上は結果がすべて。メダルという目標を達成できなかったのはまだまだ私自身の努力が足りなかったから。次のパリ大会こそはメダルを。今はそこ一点に向けて集中しています」

 現在、車いすバスケットボール女子日本代表は今年から就任した岩野博ヘッドコーチとともに、スピードや攻守の切り替えの速さで勝負していくスタイルでさらなる強化をめざしている。

「今取り組んでいるトランジションバスケのクオリティをもっともっと上げていけば良い結果に繋がると信じています。何より私自身、競技を始めて13年が経ちますが、『限界は誰でもなく自分自身が決める』ことだと思っていますので年数などは全く気にしていません。まだまだできないことがたくさんあることは伸びしろだと捉えながらもっともっとレベルアップしていきたいです」


*PROFILE
土田真由美(株式会社シグマクシス所属)
大学2年生の時に突然腰痛に襲われ、その後次第に日常生活にも支障をきたすまでになり、先天性の障がいと診断される。2009年の選手登録を機に本格的に競技を開始。同年、日本代表の候補合宿や強化合宿に選出される。2010年、イギリスで行われた「IWBF世界選手権大会」において自身初となる日本代表に選出される。2013年第24回全日本女子車椅子バスケットボール選手権大会ではチームが優勝、MVPに選ばれる。2018年から女子チームの強豪「SCRACH」に所属しながら翌年からは男子チーム「パラ神奈川SC」でもプレー。昨年開催された東京パラリンピックでは女子日本代表として出場し、6位入賞を果たす。


徳原 海

1978年、大阪府生まれ。出版社でのアシスタント業務を経て2007年にフリーランスの編集者として独立。ファッション雑誌やブランドの広告ディレクションを手掛けながら、「Sports Graphic Number」、「web Sportiva」といったスポーツメディアに寄稿。またJリーグクラブのプロモーションビジュアル制作にも携わるなどファッションとスポーツの垣根を越えた活動に従事。著書に「パラアスリート谷真海 切り拓くチカラ」(集英社)。