「結果に落胆したのは確かだ。われわれは失敗に学び、前進しなければならない」

 黒星スタートとなったリーグ初戦の後、今季からチームを指揮するエリック・テン・ハフ新監督は記者会見でそう語った。言葉通り、チームは「失敗」に学んだ。第2節までの2連敗で30年ぶりにリーグ最下位になると、第3節から堅守速攻のスタイルに戦術をチェンジ。アヤックス時代にテン・ハフ監督が見せたポゼッション重視のサッカーから大きく転換し、第1、2節まで60%以上を誇っていたボール保持率は、50%以下にまで下がったものの、そこから4連勝。理想と現実の差を受け入れ、勝利に徹する指揮官の強みが、早速ピッチ上で表現された。

 今夏、チーム再建へ米資産家グレイザー・ファミリーが所有するクラブが選んだのは、定番の大型補強だった。テン・ハフ監督がアヤックスで重用したブラジル代表FWアントニーやアルゼンチン代表DFリサンドロ・マルティネス、さらにオランダ代表のサイドバック・DFタイレル・マラシア(フェイエノールト)、デンマーク代表MFクリスティアン・エリクセン(ブレントフォード)、世界最高のボランチと称されるブラジル代表MFカゼミーロ(レアル・マドリード)と、次々と大物の獲得に成功した。

 ここで、まず注目したいのが、今夏の欧州サッカー界の移籍金ランキングだ。

《2022/23夏の移籍金ランキング》
1位 : アントニー(ブラジル代表、アヤックス→マンチェスター・ユナイテッド)
   9500万ユーロ(約133億円)
2位 : ウェズレイ・フォファナ(フランス代表、レスター→チェルシー)
   8040万ユーロ(約113億円)
3位 : オーレリアン・チュアメニ(フランス代表、モナコ→レアル・マドリード)
   8000万ユーロ(約112億円)
4位 : ダルウィン・ヌニェス(ウルグアイ代表、ベンフィカ→リバプール)
   7500万ユーロ(約105億円)
5位 : カゼミーロ(ブラジル代表、レアル・マドリード→マンチェスター・ユナイテッド)
   7065万ユーロ(約99億円)
6位 : アレクサンダー・イサク(スウェーデン代表、レアル・ソシエダ→ニューカッスル)
   7000万ユーロ(約98億円)
7位 : マタイス・デリフト(オランダ代表、ユベントス→バイエルン)
   6700万ユーロ(約94億円)
8位 : マルク・ククレジャ(スペイン代表、ブライトン→チェルシー)
   6530万ユーロ(約91億円)
9位 : アーリング・ハーランド(ノルウェー代表、ドルトムント→マンチェスター・シティ)
   6000万ユーロ(約84億円)
10位 : リシャルリソン(ブラジル代表、エバートン→トットナム)
   5800万ユーロ(約81億円)


 これを見て分かる通り5位以内、100億円クラスの超大型移籍を今夏のマンチェスターUは2件も成立させている。リサンドロ・マルティネスの5730万ユーロ(約80億円)も全体の12位につける。それだけの大型補強をしたのなら、ある程度の成績を残すのは当然・・・との見方もできるが、実はそう話は単純ではない。

低迷

 “銀河系軍団”と呼ばれたレアル・マドリードやメッシを擁したバルセロナ(ともにスペイン)、ロシアの大富豪であるロマン・アブラモビッチ氏が所有したチェルシー(イングランド)、4兆円超の資産を持つといわれるUAEのシェイク・マンスール氏がオーナーのマンチェスターC(同)、カタールの投資会社カタール・スポーツ・インベストメントが運営するパリ・サンジェルマン(フランス)などが資金力のあるクラブとして挙げられるが、実は2012-13年以降の移籍市場で最も多額の資金を費やしてきたのは意外にも(?)マンチェスターUなのだ。

 しかし、プレミアを制した12-13年以降9シーズンのリーグ戦最高成績は17-18年、20-21年の2位。タイトルといえばFA杯、リーグ杯を各1度、コミュニティ・シールドを2度制覇した程度で、UEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)ではベスト8が最高と“低迷”といっていい状況にある。

 英紙マンチェスター・イブニング・ニュースによると、マンチェスターUはこの11年間で計33の契約を結んでおり、総額は15億9000万ユーロ(約2226億円)。一方で、スポーツ研究国際センターCIESのリポートでは、選手の評価額よりも多くの金額を支払う「過払い額」が最も多かったのもマンチェスターUで、その額は2億3800万ユーロ(約333億円)に上るという。

 多額の資金を使って戦力を補強しても勝てないのなら、原因がマネジメントにあるのは明白だろう。元日本代表MF香川真司が在籍していた2012-13年シーズン限りでアレックス・ファーガソン監督が退任。27年間続いた“王朝”が終わりを告げ、後任のデイビッド・モイーズ監督の時代へと移行すると、ここから歯車がかみ合わなくなった。ルイス・ファンハール、ジョゼ・モウリーニョと名だたる名将が率いてもプレミアの頂点に立つことはできず、はや9シーズンが過ぎた。

 昨季はオーレ・グンナー・スールシャール、マイケル・キャリック、ラルフ・ラングニックと3人の監督の下でシーズンを送った。特にラングニック暫定監督が指揮した29試合では11勝にとどまり、勝率.379は1972年以降ワースト。リーグ6位でUEFAヨーロッパリーグ(EL)の出場権を獲得するのが精いっぱいという低調な内容に終始した。

テン・ハフ新監督が行った「規律の導入」

 そんな“失望の9年間”からの失地回復へ、白羽の矢が立ったのがテン・ハフ新監督だった。現役時代はトゥウェンテ(オランダ)でセンターバックとして活躍し、2002年に引退。育成年代のコーチから指導者のキャリアをスタートさせ、バイエルン(ドイツ)のリザーブチームやユトレヒト(オランダ)の監督を歴任した。17年から母国の名門アヤックス(オランダ)の監督に就くと、4年半で3度のリーグ制覇を含む5つのタイトルを獲得。18-19年の欧州CLではレアル・マドリードやユベントスを撃破し、22年ぶりの4強進出を果たすなど輝かしいキャリアを積み、今季からマンチェスターUの指揮官に抜擢された。

 新監督が手始めに行ったのは規律の導入だった。「時間厳守」「アルコール禁止」「体重管理」を徹底。ルールを破った者は容赦なくチームから外す厳しい姿勢を打ち出した。補強でも“テン・ハフ色”を鮮明にし、チームの軸となるセンターバック、アタッカーとして先述の通り同監督の流儀をよく知るアヤックス時代の教え子、リサンドロ・マルティネス、アントニーを獲得。ほかの新戦力も軒並みスタメンに定着し、出場機会を減らすポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドは来年1月の移籍が確実視されるほど、その陣容は大きく変化した。

 8月半ばに契約合意したカゼミーロはプレシーズンに不在だったこともあり、まだ先発出場の機会は少ないが、高い守備力を誇るアンカーが戦術になじんでくれば、前線の攻撃にかける比重を高められる。まだまだ“伸びしろ”も十分というわけだ。

 飲み物のボトルの並べ方から、練習場の芝の長さにミリ単位までこだわるなど、選手のみならずクラブのスタッフにもとにかく細かいテン・ハフ監督。ビッグネームを追うだけではない的確な補強、規律の徹底といった高いマネジメント能力を持つ指揮官は、ファーガソン元監督という厳格なカリスマを失って以降迷走を続けてきた名門にとって、まさに求められていた人材といえるだろう。

「テン・ハフはとても厳しく、タフな人間だ。それこそがチームの成功に必要なものだと思う」

 ポルトガル代表MFブルーノ・フェルナンデスは、英専門局スカイスポーツに、新体制への期待感を表した。リーグ再開は10月2日。2位、マンチェスター・シティとのアウェーでのビッグマッチに注目が集まる。


VictorySportsNews編集部