今大会は渋野日向子が5カ月ぶりに日本の試合に出場するということで、たまたま初日を現地で観戦していた。渋野の組について歩いていると、あるギャラリーが「キンクミどうだった?」と同行者に声をかける場面に遭遇した。どうやら何人かの仲間で観戦に訪れ、その中の一人が金田のプレーを観るために別行動していたようだ。組み合わせ表を見ると1時間前に10番ホールからスタートし、吉本ひかるとアマチュアの高田優妃と同組でラウンドしていた。

 近年は苦戦続きだった金田のプレーを観に行くギャラリーがいたのは、彼女の知名度の高さゆえだろう。8歳のときに「世界ジュニア選手権」で優勝し、小学生時代からプロの試合に出場。2002年6月の「リゾートトラストレディス」では当時の最年少予選通過記録(12歳9カ月)を作り、その後はいくつかの試合でトップテンフィニッシュも果たした。

 ゴルファーらしからぬ容姿でも世間の注目を集めてきた。ギャルとゴルファーをかけ合わせた“ギャルファー”と呼ばれ、ゴルフファン以外にも名前が知れ渡った。

 アマチュア時代に輝かしい実績を挙げたものの、プロ入りしてからの道のりは決して順風満帆ではなかった。2008年7月のプロテストでは1打及ばず不合格。ただ、当時はプロテスト不合格でもツアー出場権を争うQT(クオリファイングトーナメント)に参加できた。トップ通過で2009年シーズンにフル出場する権利を得た。

 しかし2009年シーズンは30試合中14試合で予選落ち。賞金ランキング54位でシード権には手が届かなかった。2回目のQTは下位に沈み、翌2010年はレギュラーツアー8試合、ステップ・アップ・ツアー5試合しか出場できなかった。

 このころには同世代の選手たちに次々と追い抜かれていた。宮里美香が「日本女子オープン」を制し、森田理香子も「樋口久子IDC大塚家具レディス」で初優勝。金田はゴルフを始めた年齢が3歳と早かったから他の選手よりも技術が早く身についただけという評価になっていた。

 そんな評価を覆すかのように意地を見せたのが2011年4月の「フジサンケイレディスクラシック」だった。2日目終了時点で首位と5打差の通算1オーバー8位タイにつけた金田は、最終日6アンダー66のビッグスコアをマーク。通算5アンダーで念願のツアー初優勝を手にした。

 だが、その後は2勝目に手が届きそうで手が届かないまま、2014年に賞金シードからはじき出される。この年の4月には当時高校1年生だった勝みなみが「KKT杯バンテリンレディスオープン」でアマチュア優勝。金田はいつしか元祖天才少女と呼ばれるようになった。

10年以上にわたり地道に努力を積み重ね

 2016年10月に勝みなみと同学年の畑岡奈紗が「日本女子オープン」でアマチュア優勝を達成し、1998年度生まれが“黄金世代”と呼ばれるようになるころには、元祖天才少女は優勝争いの常連選手ではなく、シード権争いの常連選手という立ち位置になっていた。

 何年か前に某テレビ局で「消えた天才」というタイトルの番組が放送されていたが、金田はいつ消えても不思議ではない状況まで追い詰められていた。彼女が消えなかったのは天才という肩書を返上して努力を続けたからだ。

 プロ入り当初から金田の欠点はフィジカルが弱いことだった。技術はあるけど体の線が細く、1日18ホールのラウンドで好スコアを出すことができても、3日間競技や4日間競技で好調を持続できない。

 そんな弱点を見越して早くからフィジカルトレーナーの指導を受けていたが、彼女の場合は食生活の見直しや本格的なトレーニングを始めるための基礎体力作りから取り組まなければならなかった。

 その努力を10年以上にわたって地道に積み重ねてきたことが彼女の肉体に表われていた。華奢だった脚には筋肉がしっかりつき、アスリートの体を手に入れていた。そこに至るまでの道のりを優勝後のインスタグラム投稿で次のように語っている。

「3年ほど前から身体もあちこち痛くて、腰痛に悩まされスイングが出来ない日も試合に出られない時もありました。(中略)飛距離アップのトレーニングではなく一年間戦える身体作り腰痛予防のトレーニングに変え、試合に出られなかった時期もより一層力を入れて練習、トレーニングに励んできました」

 今の女子プロゴルフ界は11年前と比べて若手の勢いがすさまじく、30代の選手が勝利を手にするのは本当に難しくなっている。今大会開幕前までの33試合で優勝した30歳以上の選手は、サイ ペイイン(明治安田生命レディス ヨコハマタイヤゴルフトーナメント)、上田桃子(富士フイルム・スタジオアリス女子オープン)、菊地絵理香(大東建託・いい部屋ネットレディス)、イ ミニョン(北海道meijiカップ)の4人だけだ。そして5人目に金田の名前が並んだのは、ゴルフが筋書きのないドラマであることを証明している。

 正直に告白すると金田がここまでツアー生活を長く続ける選手だとは思っていなかった。アマチュア時代から恋愛に関して自由奔放な発言が注目されてきたので、30歳手前で結婚してツアー生活に区切りをつけるのではないかと予想していた。

 しかし本人は「逃げたくてたまらない時もたくさんありました。そんな時でも近くにいてくれた仲間のサポートやスポンサー様への感謝の気持ちで、一度も逃げる事なくゴルフと向き合えました」と自身の歩みを振り返る。人は自分から変わろうとすればいつでも変えることができる。そんなことをあらためて実感させられた今シーズン屈指の名場面だった。

 「3勝目を目指して頑張りますので、これからも応援して頂けたら嬉しいです」とインスタグラムのメッセージを締めくくった金田。彼女が35歳になっても40歳になってもツアーの第一線で戦い続ける姿を見たくなった。


保井友秀

1974年生まれ。出版社勤務、ゴルフ雑誌編集部勤務を経て、2015年にフリーランスとして活動を始める。2015年から2018年までPGAツアー日本語版サイトの原稿執筆および編集を担当。その他、ゴルフ雑誌や経済誌などで連載記事を執筆している。