かつて「160キロ」という数字は、日本人投手にとっては夢のまた夢と思われていた。さまざまな分野の“世界一”を集めた『ギネスブック』には、長きにわたってメジャーリーグの大投手であるノーラン・ライアン(エンゼルスほか)が1974年にマークした100.9マイル(162.4キロ)が世界記録として掲載され、その数字に日本人が近づくというのは想像もできなかった。

 扉が少しこじ開けられたのは1990年代になってから。1993年5月3日にロッテの伊良部秀輝(故人)が、西武(現埼玉西武)ライオンズの清原和博に対して投じたストレートが当時の日本プロ野球最速となる158キロを計測すると、2002年にオリックス・ブルーウェーブ(現在のオリックスの前身)の山口和男、2004年にはヤクルト(現東京ヤクルト)スワローズの五十嵐亮太もこの数字に並ぶ。

「速いボールに対しての憧れみたいなものはありました。『(160キロも)行きたいな、まあ行けるだろう、でも行ってギリだろうな』っていうのはありましたね」

 現役時代はヤクルトのみならず、メジャーリーグ、福岡ソフトバンクホークスで通算906試合に登板し、現在は解説者やコメンテーターとして多くの媒体で活躍する五十嵐は、当時をそう振り返る。もともと肩の強さには自信があったものの、球速がグンとアップしたのはプロ入り後にウェートトレーニングを取り入れるようになってからだという。

「僕はけっこう早い段階から海外のトレーニングに興味があったんです。メジャーの選手がやっているようなウェートトレーニングに興味があったり、その辺の好奇心は強かったので。だから(プロ入り後)3年目とか4年目ぐらいには、アメリカでトレーニングをしてました」

 ただし、その五十嵐も球速が160キロに到達することはなく、日本のプロ野球に「160キロ」を持ち込むのは外国人投手たち。2005年に横浜(現横浜DeNA)ベイスターズのマーク・クルーンが161キロ(巨人時代の2008年に162キロ)、2009年にはヤクルトの林昌勇(イム・チャンヨン)も160キロを記録する。

 2010年にはヤクルトの由規(現BCリーグ埼玉武蔵)が161キロをマークし、ついに日本人初の「160キロ投手」が誕生。だが、この2010年代にエポックメイキングとなったのは、なんといっても大谷翔平の登場である。

 花巻東高3年夏の岩手大会で高校生としては史上初めて160キロを記録した大谷は、北海道日本ハムファイターズ入団2年目の2014年から何度も160キロ台を計測。2016年にクルーンの162キロを超えると、同年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ最終戦では、日本プロ野球史上最高の165キロに達した(2021年に巨人のチアゴ・ビエイラが166キロで更新)。

 その後も藤浪晋太郎(阪神、現アスレチックス)、国吉佑樹(DeNA、現ロッテ)、2020年代に入ると千賀滉大(ソフトバンク、現メッツ)、平良海馬(西武)、杉山一樹(ソフトバンク)、甲斐野央(ソフトバンク)、山﨑颯一郎、宇多川優希(オリックス)など、160キロの壁を破る投手が続く。
※宇多川に関しては、WBCの練習試合のため非公式

 岩手・大船渡高時代に非公式ながら163キロをマークして「令和の怪物」と呼ばれた冒頭の佐々木は、ロッテ入団3年目の2022年には大谷に次いで日本人歴代2位の164キロを記録している。では日本人投手の球はなぜここまで速くなったのか?前出の五十嵐は、大きな要因を2つ挙げる。

「1つはウェートトレーニングの進化だと思います。やはり、筋肉量(の増加と付け方の変化)というところだと思います。たとえば、メジャーでステロイド(などの禁止薬物)を摂取した選手がホームランをガンガン打っていた時代があるわけですよ。もちろん違反行為なのですが…、要は出力を上げるためには筋肉の量を増やすことが比例しているということなんですよね。筋力をつけ過ぎることが、柔軟性をなくすなどの理由で反対するコーチなどもいましたが、今は、筋力を単純につけ過ぎるだけではなく、それにプラスして技術だったり体の使い方っていうところも大事にしてウェートトレーニングが進化しています。根本はそこですね」

 五十嵐が手探りで情報を集めながらウェートトレーニングを取り入れていた頃と違い、今はダルビッシュ有(パドレス)に代表されるようにSNSなどを通じて情報を惜しみなく公開する選手も少なくない。ピッチングはもちろん、トレーニングの動画なども容易に見られる時代である。

「海外でどこのトレーニング施設がいいとか、いい選手がどういうトレーニングをしているのかっていう情報も入ってくる。そういうのを見て、うまく自分に取り込んでいる選手が多いんじゃないのかなと思います。技術面なども含め、情報量の多さというところは間違いなくプラスに働いていると思いますね」

 さらに五十嵐が挙げるもう1つの大きな要因。それが、近年になって日本でも急速に進んでいる、トラックマンやホークアイといったデータ取得システムの導入だという。

「それも大きいと思います。僕らの頃は“感覚”という曖昧なものを自分の中でかみ砕いて、(コーチに)アドバイスをもらいながらどう結果に結びつけるかを探るしかなかった。大事なのは結果で、そこに至るプロセスが感覚でしかわからなかったのが、今は(数値や動作解析などで)目に見えるようになったんです。だからプロセスの部分で何をどうすればいいのかっていうところが、より明確になっているんだと思います」

 そんな“新時代”のプロ野球に飛び込んできた佐々木は、まだ21歳。今春のWBC壮行試合では自己最速を更新する165キロをマークした右腕は、これからの取り組みによってまだまだ球速がアップする可能性があると、五十嵐は指摘する。

「(WBC期間中に)お風呂などで大谷選手やダルビッシュ選手を見て、体づくりの見直しの必要を感じた選手も多いと思います。佐々木投手なんかはそれで急にウェートをバンバンやるようなタイプじゃないかもしれないですけど、今回のWBCで刺激を受けて、今までの自分の方向性とはまた違う、新しい何かを見つけたことは間違いないです。将来的には170キロも可能性ありますよ」

 伊良部の“衝撃”から今年で30年。かつては夢でしかなかった160キロがそこまで珍しいものではなくなりつつある今、可能性に限界はないのだろうか?

「ある意味、そうかもしれないです。だから、限界を脳が決めちゃいけないんですよ。人間って今、自分が見ている世界が当たり前だと思っているじゃないですか?でも、それを超えてくる選手っていうのは考え方が違うというか、何なら現時点で見えてる世界も違うのかもしれないです。そういった選手が新しい可能性を引き出してくると思うんですよ、大谷選手のようにね」

 ちなみに現在の『ギネスワールドレコーズ』による「最速記録」は、2010年にシンシナティ・レッズのアロルディス・チャップマン(現ロイヤルズ)がマークした105.8マイル(170.3キロ)。もちろん投手にとってはスピードがすべてではないが、「球速」がファンを魅了する要素の1つであるのは、間違いないだろう。
(文中敬称略)


菊田康彦

1966年、静岡県生まれ。地方公務員、英会話講師などを経てメジャーリーグ日本語公式サイトの編集に携わった後、ライターとして独立。雑誌、ウェブなどさまざまな媒体に寄稿し、2004~08年は「スカパー!MLBライブ」、2016〜17年は「スポナビライブMLB」でコメンテイターも務めた。プロ野球は2010年から東京ヤクルトスワローズを取材。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』、編集協力に『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』などがある。