日本で生まれ育った清水選手にとっても、東京武道館はさまざまな思い出が詰まった場所である。

「私は大阪出身なので、東京武道館に来るのは1年に1回くらいでした。小学生のころは流派の全国大会で来ていましたし、高校生以降は全日本選手権の組手の予選大会でも東京武道館を使っていました。また、全日本選手権大会前日の練習場所としてこちらを使わせていただき、翌日の大会に出場していました。ここに足を踏み入れると、自分の中では“全国大会の舞台に来た”という印象がすごく強い場所ですね」

「その後、2018年だったと思うんですけど、東京武道館でプレミアリーグが開催され、その大会で優勝することができました。今まで全日本選手権のイメージだった場所で行われた国際大会で優勝したことが一番の思い出です」

 プレミアリーグとは、世界空手連盟が年に何回か開催しているKARATE1プレミアリーグのこと。2011年にスタートし、2012~2015年は年間8試合ずつ開催。その後は試合数が毎年変動しながら継続的に開催されている。

 日本では沖縄県立武道館で2014年8月、2015年11月、2016年10月に3年連続開催された後、2018年10月に東京武道館で初開催された。この大会で清水選手が女子形で金メダルを獲得した。

「空手は日本の沖縄が発祥なので、外国人選手が日本に来たときは、沖縄に行った写真や武道館で撮影した写真をうれしそうにSNSに投稿します。海外で空手をしている選手たちは、空手の歴史がすごく好きですし、武道館のような場所に憧れています」

 空手発祥の国で育った清水選手が空手を始めたのは小学3年生のとき。きっかけは1歳年上の兄が空手をしており、見学に行ったことだった。

「兄が空手をしていたのが大阪の武道館でした。そこではいろんな武道をやっていました。柔道や剣道や弓道といった種目がある中で兄は空手をしていました。見学に行ったとき『空手をやりたいな』と思ったのが始めたきっかけでした」

 空手は選手のレベルによって色々な大会があるという。最初は大阪市平野区の小学3年生を対象にした大会に出場した清水選手は、次第にレベルの高い大会にも出場するようになっていった。

「大阪市や大阪府の大会は基本的に難波(大阪市浪速区)にある大阪府立体育会館で開催されていました。そこの地下に武道場がありましたが、試合自体は大きな体育館でやっていました」

「大阪は空手人口がとても多いので、空手の大会は大きな体育館で開催されます。ですから武道館で試合をするのは東京武道館での全国大会だけだったので貴重な機会でした」

 東京武道館には柔道・剣道・空手(8面)・なぎなた(6面)などの武道競技が可能な大武道場をはじめ、第一武道場、第二武道場、弓道場などの施設がある。

「武道館は体育館と比べると雰囲気が全然違いますし、武道をしている人たちからすれば、こういう場所で試合や練習ができるのはすごくいいことです。空手に限らず、どの武道もそうですけど、それぞれの武道に長い歴史がありますから、昔はこういう環境で練習してきたはずです。逆に体育館という施設はありませんでしたから、武道館が根本の場所だと思います。そういう場所で試合ができるのは気が引き締まります」

 武道館で研鑽を積んだ清水選手は、活躍の舞台を世界へと広げていった。空手の競技人口は世界で約1億6000万人と言われており、世界空手連盟には194の国と地域が加盟している。日本一になったからといって世界一が約束されているわけではない。世界の強豪に立ち向かっていった。

 一方で、空手は世界中に普及しているスポーツにもかかわらず、オリンピック種目に入るのに苦労してきた。東京2020大会の開催が決まってから、空手の正式種目入りを目指す機運が本格的に高まり、清水選手も活動に加わった。その結果、正式種目ではないものの、追加種目として採用されることが決定した。

「オリンピック種目に入るのは簡単なことではないと思っていましたから、入ったときは驚きでした。そしてオリンピック種目に入ってから何もかも変わりました。ルールも変わりましたし、メディアの注目度も変わりました」

 しかし、空手は次のパリ五輪でも正式種目入りを目指していたものの、東京五輪が延期になったことで、大会開幕前にパリ五輪の正式種目が決定してしまった。

「残念だったのは東京2020大会が延期になってしまったので、パリオリンピックの種目からは外れた状態で大会を迎えたことです。それ自体はどうすることもできなかったんですけど、延期されていなかったらより自分たちの活躍で空手の魅力を世界に伝え、パリオリンピックの種目にも入れるんじゃないかという望みもかけて大会に臨むつもりでした」

「その思いは実現しなかったのですが、東京2020大会が終わってからたくさんの反響がありました。その後の大会をわざわざ見に来てくださって、『オリンピックを見て空手を始めました』と声をかけてくださる大人の方が意外と多くて、そういう声を聞くと空手の魅力が少しでも伝わったのかなと思い、すごくうれしかったですね」

 東京2020大会が終わっても、清水選手は引き続き空手道に邁進している。現在は何を目標に空手に取り組んでいるのだろうか。

東京2020大会が終わっても、引き続き空手道に邁進している。現在の目標とは

「自分はオリンピック前の空手界も、オリンピックのときの空手界も、オリンピック後の空手界も見てきているので、いろいろな経験させてもらいました。その経験を生かし、次世代の選手たちが気持ちよく空手ができる環境、空手が楽しめる環境をしっかり作ってあげられるようにしたいと思っています」


保井友秀

1974年生まれ。出版社勤務、ゴルフ雑誌編集部勤務を経て、2015年にフリーランスとして活動を始める。2015年から2018年までPGAツアー日本語版サイトの原稿執筆および編集を担当。その他、ゴルフ雑誌や経済誌などで連載記事を執筆している。