パラアスリート中西さん、東京オリンピック銀メダリスト野中さんの自分らしさ

 誰もが人間性を十分に発揮できる持続可能な社会の実現を目指すNECと取り組みに共感したトップアスリートがタッグを組み、国籍や性別、障がいの有無などに関わらず、誰もが夢を抱き挑戦するきっかけとなるようなさまざまな機会を創る。この目的のもと始まったのが「NEC + CHALLENGE PROJECT 2023」だ。

 第1弾の座談会では、野中さんと中西さんが登場。それぞれ、自分らしさ、競技を始めたきっかけや挑戦、人生の転機などを学生に伝えた。

 自分らしさについて、野中さんは「自分の好きだと思うことをやる。自分の欲みたいなものを実現するのが自分らしさ。私は大会前に髪の色を必ず変える。それも自分らしさだし、スポーツってメイクやファッションとかからかけ離れているイメージですけど、バチバチに決めていきたい。そういう表現をするのが自分らしさです」と話し、中西さんは「自分にしか生きれない人生を送ること。ハンディキャップは背負っているかもしれないけど、『そういう生き方いいな』と人から思ってもらえるような自分としての道を作っていく」と話した。

 野中さんはスポーツクライミングでの試合では毎回、鮮やかな色の髪型だったり、ファッションで試合会場でも目立つ存在で、さらに国内や国際大会で優勝を何度も重ねるなど女性アスリートのアイコン的な存在になっている。

 自分らしくない時はどうするかと問われると、中西さんは「私は思うがままに生きているし、自分で選択しているのでそういう時間はないです。もう言っちゃったから振り返れませんという感じのところが強い。(自分らしくないと感じる人は)自分だからこそ追える夢ややりたいことに、もしかしたらまだ出会ってないのかもしれないし、出会う努力をしていないのかもしれない」と語り、学生たちの心に突き刺さっていた。

 また、中西さんは切断時のエピソードを話した。ソフトテニスの選手として地元開催の国民体育大会を目指していたが、21歳の時に仕事の事故で右足に大怪我を負い病院に運び込まれた。それでも、「あと2年で国体(の選手)に復帰するために、今自分はどういう決断をするべきなのかということばっかり考えていた」という中西さんは「スポーツを失うことのほうが、足を失うことよりも恐怖でしたね」と振り返った。

 壮絶な内容に、司会のトラウデン直美さんも学生も絶句していたが、中西さんは「(手術中は)ずっと意識があったんですよ。手術中も下半身麻酔でやってもらったんで、『(右足の切断)いっちゃってください』って。B'zの曲がかかってました」とあっけらかんと笑いながら話した。

 座談会のテーマにある、輝くためには何が必要かという問いでは、野中さんが印象的な言葉を学生に残した。

「輝くためには自信を持ち続けることが大事。不安にかられたりすることもたくさんある。皆そうで、皆違ってて。新しい一歩を踏み出していくのは難しい。何が必要か、そういう時は勇気。それさえ持てていれば、輝く未来があるんじゃないかな」

 特に野中さんは東京オリンピックの代表の座を巡って、長期間不安定な状況だったことを経験している。それをくぐり抜けての銀メダル獲得。だからこその言葉だったのかもしれない。

上智大学で堀米さん、野中さんが”1日教授”

 10月22日には上智大学の四谷キャンパスで、堀米さんと野中さんが”教授”として登壇した特別講義と体験会が行われた。まず二人が約10分ずつ講義した。

 野中さんは自身がクライミングの世界で学んだことを元に「世界に出て自分を知る」をテーマに講義を行った。

 野中さんは「今までいた狭い場所から外の世界に出ることで自分を理解できて、挑戦するための土台ができる。世界の大きさを知ってさらに挑戦し続けるということ。世界の大きさを知ることで、自分が見えてくる。自分が見えれば問題点だったりゴールが見えてきて、さらに先を追及していくことができる。勝手に自分の限界を決めずに、自分がセットしたゴールよりさらに先を常に目指すということが活躍することに繋がっていく」といかに外の世界に出ることが重要かを説いた。

 途中、「大丈夫ですか?ついていけてますか?」と笑いを誘うなど、学生たちの心をつかんでいた。

 一方、堀米さんは事前に話す事をノートで準備して、講義に臨んだ。「オリジナリティーを求める挑戦」をテーマに、自身がオリジナリティーを出していくことによって世界で認められた過程を伝えた。

「スケートボードは新しい種目。自分はオリンピックを目指してスケボーをやっていたわけではなくて、友達とするのが楽しかったりとか、オリンピックというよりストリートリーグとかエックスリーグを夢にして追い続けてきた。最初は大会で活躍できることが少なくて、始めの頃は予選落ちが続いていて、悩むことが多かった。そこで世界で勝っていくためには、人と同じトリック(技)をしていても勝てない。大会でも当時は日本人が1人、2人しか出ていない状況だった。そこでトリックという部分で、今までの大会で見たこと無いような技を大会で挑戦したりして、自分の武器にしていった。オリジナリティーをもっと出していくことで自分のスタイルも出てくるし、スケートレベルも上がっていく」

NEC + CHALLENGE PROJECT 2023

 中でも、堀米さんの代表的なオリジナル技「ユウトルネード」が生まれた理由について「自分も最初(自分が編み出した技の)名前がわからなかったのでSNSにポストした。皆が『ユウトが初めてやったし、回転も多いし、ユウトルネードにしよう』となりました」と明かした。

 ただ、堀米さんは、自分が活躍できている理由について「スケートボードは個人競技ではあるけど、自分がここに立てているのは、家族や仲間とか支えてくれる人たちがいてくれたおかげ」と周囲の人々の大切さも説いた。

 二人の講義が終わると、野中さんと堀米さんの対談に。

 互いの印象について野中さんは「(堀米さんは)チルバイブスが流れている感じ」、堀米さんは「(野中さんは)本当にしっかりしているな。あと、髪型から自分のスタイルがちゃんとある」とたたえた。

世界といかに戦うのか、日本と海外で異なる挑戦への反応

NEC + CHALLENGE PROJECT 2023

 そして対談の中で「世界といかに戦うのか」というテーマでは、二人は日本と海外には挑戦における”反応”の違いがあるとした。

「日本人ってストイックなイメージがあると思う。国内で代表の練習をしていても登れなかったら、はぁ・・・なんで登れないんだろうという空気が流れる。海外だと登れて無くても良いトライしただけでグッジョブ!素晴らしいみたいな、選手も気持ちが上げられるし伸びていく。落ちているのに褒められているというのがビックリした」(野中)

「トライすることで褒め称えてくれるのは、本当にそう。自分も技ができないこともあるけど、新しいことにトライしている時は、トライしているだけで評価してくれる。挑戦しているというだけで海外の人は喜んでくれる。だから、失敗を恐れずに挑戦する。アメリカではそれを評価してくれる部分があるが、日本だと結果が出ないと褒めることはあまりないので、そこはアメリカに行って全然違うなと思った」(堀米)

 特別講義後、報道陣の囲み取材に対応した二人は、自分が学生の時にこういった内容の講義を聞きたかったかと問われ、

「高校卒業してから大学に進学してないので、こういう話を聞く環境があったら、自分が小さい時にもっとそういった、今のイメージが具体的に見えたのかな」(野中)

「聞きたかったと思ったのかもしれないし、思わなかったのかもしれない。こう話したことをピンとくるかその状況にならないとわからないけど、僕も何年も前からアドバイスしてくれたり教えてくれたりしてもピンとこないことがあって、本当にその状況に立たされてやっと気がつくこともあった。その時、その時に自分で気づいて、今日自分が話した内容が(学生たちが)いつか気づいてくれてプラスになってくれたら嬉しい」(堀米)

と感想を述べた。また、二人とも早くから競技の第一線で活躍していることもあって、高校を卒業したあとは大学に行かずに競技に専念している。

 野中さんは「学生ライフすごく楽しそうだな。自分ができないことなので羨ましいところもある」と話せば、堀米さんは「僕も大学には行けなかったし、高校も通信制みたいな感じだったんで、大学を色々回ってなんか(学生の)グループとか楽しそうだなと思いまして、ちょっと羨ましいなと思う部分もありました。けど、自分のやってきたことも後悔はないので、これから友達とそういうのができたらいいな」と同世代の若者たちのキャンパスライフを少しうらやんだ。

 ホールで講義を終えた後は、キャンパス内に作られた特設パークへ。野中さんはボルダリングの体験会の講師を、堀米さんはスケートボードの指導を学生たちに行った。

 スケートボードの体験会では、初めて乗る学生が多く、不安定にふらつく男子学生を堀米さんが腕をしっかり支えたり、手を握って安全にスケートボードを楽しんでもらえるようにしていると、女子学生から「私も握ってもらいたい」という声が漏れてきていた。

 また、ボルダリングでも大半が初挑戦という学生に対し手取り足取り、野中さんが指導。約10mのゴール地点に学生がタッチするたびに歓声が起こるなど盛り上がった。

 上智大学文学部フランス文学科2年生の志野咲子さんは、講義にも体験会にも参加。特にボルダリングではもう少しで落ちるかと思うところを踏ん張って登り切り、歓声を浴びていた。

「(講義では)野中選手の話がわかりやすかった。就活まであと1年はあるのですが、その時に自分とは何かとか、人との違いというところで、私にはこの良さがあるから大丈夫だと思えるような軸が(話を聞いて)できると思う。ボルダリングは初めてで、意外と高かったけど、次の目標が位置として見えていて楽しかった。またやってみたい」

 参加した学生たちにとっても得るものが多い一日となったようだ。


大塚淳史

スポーツ報知、中国・上海移住後、日本人向け無料誌、中国メディア日本語版、繊維業界紙上海支局に勤務し、帰国後、日刊工業新聞を経てフリーに。スポーツ、芸能、経済など取材。