偉業に不可欠なもの

 歴代新記録を打ち立てたのは39歳の玉鷲。2004年初場所に初土俵を踏むと、秋場所3日目に青葉城を抜いて単独史上1位となる通算1631回連続出場をマークした。徹底した突き、押し相撲。力士の大型化が進み、とかくけがのリスクが高くなったとされる現代において特筆すべき偉業といえる。

 2度の幕内優勝を飾っている玉鷲は、ジムでのウエートトレーニングをほとんどしないという。一貫して四股やすり足の基礎を重視。力士4人と小所帯の片男波部屋でも、ときには幕下以下2人を相手に相撲を取るなど工夫を施し、けがをしにくい、または故障に強い体をつくり上げてきた。秋場所は東前頭10枚目で無事に15日間を皆勤。三役復帰への意欲を口にした〝鉄人〟ぶりを目の当たりにすると、基礎運動や肌を合わせての稽古といった伝統的な鍛錬法の重要さを改めて感じさせた。

 第61代横綱だった日本相撲協会の八角理事長(元北勝海)も、同じようなことを口にしていた。現役時代は突き、押しを軸とした攻めで最高位に上り詰め、優勝8回。武器の一つには右おっつけがあり、兄弟子の横綱千代の富士との猛稽古で身に付けた。「脇を締めておっつけないと威力は伝わらない。いくらバーベルを上げて筋肉をつけても、実際に生身の人間をおっつける稽古をしないと体が覚えない。だから現役時代はバーベルを使っての筋トレはせず、千代の富士さんとの稽古で脇から肩の間が鍛えられた」と説明した。スポーツ界で科学的な知見が増えている昨今でも、常人離れのことを成し遂げるには、昔から伝わる地道な稽古が必要不可欠ということになる。

壁の厚さとフィーバー度合い

 横綱、大関陣は物足りなかった。いくら大の里が大器とはいえ、壁になる存在が見当たらず、あっさり大関昇進に結び付いた感は否めない。千秋楽結びの一番のテレビ中継にも現状が表れていた。8勝6敗の琴桜、7勝7敗の豊昇龍の大関対決。そして秋場所限りで定年の立行司、第38代木村庄之助にとって最後の一番だった。中継では取組前から庄之助がアップになったり、応援グッズを手にする観客が映し出されたりと、主役の扱いでスポットライトが当てられた。本来なら土俵の中心は力士。しかも大関対決は大きな注目を浴びるはずなのに様相が違った。結局、豊昇龍が勝ち、両大関は8勝7敗に終わった。

 7月の名古屋場所で10度目の優勝を飾った横綱照ノ富士は糖尿病と両膝の負傷のために全休。三役経験を持つ関取はこう漏らした。「第三者の目で見ると、簡単に大関に上げてはいけないという意見もある」と指摘。照ノ富士は今年、初場所、名古屋場所と2度優勝しているが休場も目立つ。番付社会の前提が崩れては角界の魅力は減ってしまう。日本相撲協会のある幹部は「貴景勝が辞めちゃったし、上位陣がしっかりしないと今後大変なことになるよ」と危機感をあらわにした。

 大の里が番付を駆け上がる流れについて、優勝31度の大横綱、千代の富士にだぶらせての待望論がある。千代の富士は軽量ながら最高位に就いたが、起点となったのが関脇時代の1981年初場所千秋楽。14勝1敗からの決定戦で横綱北の湖を破って初優勝し、場所後に大関へ昇進した。決定戦は今でもことあるごとに映像で紹介される有名な一番。日本中に「ウルフフィーバー」が巻き起こったのも、相手の北の湖が〝憎らしいほど強い〟との形容で君臨していたことと無関係ではあるまい。壁が厚ければ厚いほど、打ち破ろうとする者とのせめぎ合いは大きな関心、感動を呼ぶ。若き貴花田(のち横綱貴乃花)が千代の富士を破った一番もしかり。上位が強さを誇ってこそ、次世代の確固たる強化に寄与しやすい。

貴景勝と大の里の立場

 世代交代は着実に進行した。先述のように、元大関貴景勝が秋場所13日目に現役を引退した。175cmの身長ながら気迫の突き、押しを繰り出し、4度の優勝を果たした。初めて実際に取組を見たのはアマチュア時代の2013年夏、長崎県平戸市での全国高校総体(インターハイ)だった。このときから人一倍、気合がほとばしっている姿が印象的だった。2年生の佐藤貴信少年は埼玉栄の一員として団体優勝を経験。チームメートが勝つたびに土俵下で雄たけびを上げ、後ろから監督がまわしをつかんで制することもあった。

 忘れられない光景がもう一つある。トーナメント戦の合間、埼玉栄高の山田道紀監督自らが上半身裸になり、佐藤少年にぶつかり稽古で胸を出していたのだ。他に同様のことをしている学校は見受けられず、少し衝撃を受けた。何度も当たりを浴びて胸部を赤くした山田監督。後になって理由を聞くと「気持ちですよ、気持ち。気持ちの面でちょっとね」。監督の目には、本来の力を出し切れていないと映ったのだろう。プロ入り後の三役時代、貴景勝に当時の心境を尋ねると次のように明かした。「昔から気の抜けた相撲を取ってしまうことがありましたから」。恩師との以心伝心を若い年代から体感。湊川親方となって後進を育てる上で、いい指導者になることが期待される。

 そういえば秋場所前、大の里に対して師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)が相撲を取る稽古を敢行し、17番手合わせしたことが話題になった。38歳の親方に胸を借りたことに、大の里は感慨を込めた。「この部屋だからできることだと思う。今場所を左右した大きな稽古だった」。これらの事例は、実際に体をぶつけ合って鍛錬を積むことが技術面以外でも深い意義を持つことの証左だ。大の里は今後、下位からの挑戦にしっかり壁になることが求められつつ、横綱を目指す。立場がダイナミックに変化するだけに、真価を問われる。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事