文=竹田聡一郎

20年前の長野五輪から始まった二人の挑戦

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 1998年の長野五輪、カーリング競技の会場であったスカップ軽井沢(現在は室内プール)で、氷上に視線を送る兄弟がいた。現在の日本代表チーム・SC軽井沢クラブである両角友佑(もろずみゆうすけ)と、公佑(こうすけ)だ。

 中学1年生で「野茂英雄さんに憧れていて、ポジションはファーストだったくせにトルネード投法を真似していた」という野球少年だったという兄の友佑は、初のカーリング観戦を振り返る。

「ルールはまったく分かりませんでした。でも、ウェーブに混ざったりしてなんだか楽しかったのは覚えています」

 弟の公佑は小学3年生だった。

「カーリング自体のことは何にも知らなかったけど、オリンピックって多くの人が見るんだなあというぼんやりとした記憶だけはあります」

 兄は翌年、野球部を辞めて現チームの前身であるAXE(アックス)を立ち上げた。弟も小学6年生からアイスの上に乗り始め、卒業文集に「カーリングで五輪出場」の文字を残した。ジュニアの大会に共に出場することも増えていった。

「最初は五輪なんてもちろん考えてなくて、単純に国内で勝ちたいだけだった。負けると悔しいけど、でも、同時に『あそこを修正できれば勝てるんじゃないか』という気持ちも強くなる。小さい頃からその繰り返しで今まで来た気がします」

 今季が始まる前、彼らの軌跡を友佑はそう表現した。AXE創部から彼らを指導する長岡はと美コーチは「黙々と練習できる才能を持った選手が集まった」とチームを評したことがあるが、敗戦と修正を何十回と経験してここまで登ってきたのだろう。現在のメンバーになるまでには他の選手が在籍したこともあったが、逆に言えば敗戦を受け止め、修正のために黙々と、練習を重ねることができない選手が抜けていったのかもしれない。

 日本選手権、さらにパシフィックアジア選手権、世界選手権と、勝ち進むにつれて舞台は大きくなっていき、なかなか勝てない時期もあった。初めて出た09年の世界選手権は10位、2度目は11位だ。「世界では勝てない」という周囲の雑音もあったが、それでもブレずに修正の作業を怠らなかった。

 14年に3度目の世界戦で5位になると、翌年は6位。昨大会はとうとう、日本の男子カーリング界として初のクオリファイ(プレーオフ進出)を決めた。今回は7位となったが、五輪から遡って直近の2大会の結果で競われる平昌五輪の出場権は上から4番目の成績で獲得。世界中位のポジジョンは確保したと考えていいだろう。

 今回の世界選手権開催でもカナダの地元紙に「日本は世界の第二グループを走っている」と書かれたことがあった。あと1つか2つの白星でメダルに手が届く、彼らが言うところの「石半個の差」の位置だ。もっとも、両角兄弟は「その半個ぶんが遠かったりもするんですけどね」と苦笑い混じりに漏らしてくれたこともあるが。

オリンピアンの兄弟でチームメイト。特有の関係とは?

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 その世界選手権では、公佑が得意の英語を駆使してアメリカやスウェーデンなど他国の選手とコミュニケーションを積極的に図っている姿が見られた。

 対して兄は空いている2階スタンドの一角に一人で座り、じっくりと他国のゲームを観戦していることが多かった。動静がはっきりした兄弟で、兄の趣味は「美味しいスイーツ探し」だが、弟は「あんまり甘いものは食べない」と言い、嗜好も分かれている。アイスを一歩出ると、チームミーティング以外では兄弟間でカーリングの話は一切、しないという。「帰省した時に父親に聞かれたら答えるくらい」らしい。

 ただ、決して仲が悪い訳ではない。ある意味ではむしろ近いし、よく似ている。

 五輪出場を決めた夜、二人に違う場所でそれぞれ話を聞いたが、「五輪出場は通過点」「目標は表彰台だった」「技術が足らない」と、言い回しこそ異なるが、同じ趣旨のコメントをする。良く言えば目標と課題は共有できていて、悪い言い方をすれば、わざわざ口に出すまでもないといったところだろうか。

 また、兄が弟のショットを讃えることはほとんどないが、それでも常に「リードからのセットアップ」を勝利の鍵に挙げ、期待を寄せる。弟も兄について言及することは少ないが、それでも「あの人がスキップでないと世界では勝てない」と信頼を置く。言葉ではなくプレーで、彼らは刺激を与えあって高みに辿り着いたのだろう。

 SC軽井沢クラブの公式HP内には、「Countdown to PyeongChang」という秒めくりカレンダーが新設された。夢の舞台まで300日を切っている。

 五輪への強化について、兄・友佑は「1年では足りない」と、弟・公佑は「あと10か月もあるというよりも、もう10か月しかない」と、またも違う言い回しで同様の危機感を募らせた。

 20年間、続けてきた敗戦と修正。その集大成をチーム結成以来、最高の舞台で示すことができるのか。両角兄弟にとって最大の挑戦が始まろうとしている。


竹田聡一郎

1979年神奈川県出身。フリーランスライター。著書に『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。カーリング09年から取材を始め、Yahoo!ニュース個人で「曲がれ、ストーン!」を連載中。https://news.yahoo.co.jp/byline/takedasoichiro/