謎に包まれた金属バット導入の経緯

野球部の監督が、1本の奇妙なバットを僕ら部員たちに差し出したのは、1974年(昭和49年)の春、高校3年になって間もないころだった。

「まだ新潟県にはこの1本しかない」
そう言って、まずは監督自ら打撃練習で試した後、チームで最も長打力のある4番打者に「お前が使え」と、EASTONと記された新しいバットを手渡した。力任せの打撃で竹バットでさえ豪快に折ってしまう4番打者に、「これならお前でも折れないだろう」と、笑いながら渡したのだ。

銀色に輝くバット、それが日本の高校球界に突如現れた「金属バット」だった。
(このバットが試合で使えるのか?)

まさかと驚いたが、正式に高野連で使用が認められたという。思えば僕らは、金属バットが採用された初年度に高校3年生だった「金属バット第一世代」だ。

わが4番打者は、春季地区大会でその銀色バットで打席に立ち、「新潟県第1号」と、写真入りで地元紙に紹介された。

正直なところ、その4番打者が金属バットで飛距離を伸ばした、という印象は薄い。
ただ、「折れない」のはたしかに事実だった。

チームの5番打者は、後に新潟明訓高の監督として甲子園でも数々の勝利を記録する好打者・佐藤和也だった。他にも、スイング・スピードの速い3番打者がいたけれど、監督は、彼らに1本目の金属バットを持たせようとはしなかった。金属バットは繊細な打撃センスを持つ巧打者が使うものでなく、ちょっと粗っぽいヤツに持たせるには丁度いい、といった感覚だったのだと思う。

僕も手にして振ってみたが、その第1号バットは重すぎて、手に負えなかった。

いま振り返れば、なぜ金属バットがその年から導入されたのか? その理由や背景は案外、謎に包まれている。巷では「バット用の木の不足」「自然環境の保護」「金属バットは折れないから、高校野球の経費負担を軽減できる」といった理由で何となく了解されている。

アオダモなどの不足は確からしいが、当時広く使われていた合竹バットで足りていたのではないか? オイルショック(1973年秋)の直後だから、物不足に対する飢餓感は強かった。が、オイルショックでトイレットペーパー不足の騒ぎが起きたのと同じかそれ以上に、石油が高騰するから木製でなく金属バットに移行するというのも合理的でない感じがする。まだ環境意識は高くなかった。

そもそも、硬式野球は安い予算でできる競技ではない。試合球は1個1000円以上する。グローブも高級モデルはいま4万円、5万円の価格が当たり前だ。バットだけを予算削減の対象にして、他の道具のコスト・カットに着手しないのはなぜだろう? もし本当に各高校の予算削減を重要課題と考え、野球にもっと取り組みやすい環境を作ろうという主旨なら、高野連が大会の入場料収入などを各校に分配し、木製バットや練習球の購入費補助をする精度を考えてもいいだろう。そういう努力は一切せず、金属バット導入の理由にだけ「経費節減」を謳うのも、直視すると何だかおかしい。

高校野球に通底する事なかれ主義と思考停止

高校野球の「素朴な疑問」を考える時、いつも感じるとおり、「事なかれ主義」と「思考停止状態」がこのテーマにも通じている。大事なことが密室で決められ、素朴に考えたらおかしなことがあっても誰も指摘しない。
多くの人が当然のように受け入れているが、
「金属バットはなぜ突然、高校野球で導入されたのだろう?」
もっと別の理由や背景があったのではないか。
僕は小学生時代から、毎朝熱心にスポーツ新聞を熟読する少年だった。スポーツ欄だけでなく、芸能欄にも当然目を通し、親には言えなかったが、当時人気を博していた日活ロマンポルノの「主演女優の名前でしりとりができる」と冗談に豪語していたほど、愛読していた。競馬や競輪、釣りなど興味のないページは飛ばしていたから、時事的なニュースを読みそびれていた可能性もあるが、当時の日本で、「バット用の木材不足が深刻で、早急に対策が必要だ」という問題が広く情勢は知らなかった。「アメリカで開発された金属バットを、日本の高校野球でも導入しようと思うが是か非か」といった議論が新聞紙上で話題になった記憶もない。当事者である高校球児にとっては、ある日突然、黒船みたいに登場した。金属バットの採用という、衝撃的、革命的、野球の本質を変えるほどの出来事が、さほど議論もない中で決定された印象が否めない。
 
僕自身は、金属バットで思いがけない影響を受けた。
飛ぶ・飛ばないより「折れない」金属バットの出現によって、アンダースローの小林投手は登板の機会を失った。自分の力量や調子のせいもあったろうが、高2の夏には運よく背番号1を与えられ、地方大会で2完封も記録した小林投手が、春の県大会でも2本柱のひとりとして優勝にわずかながら貢献した後、投手としての扱いを受けなくなった。
「全チームが金属バットを導入したら、バットの芯を外すのが身上のアンダースロー投手は通用しない。芯を外れても強振すればヒットになる」と実感した監督が、僕を夏の予選の構想からさっさと外したのだ。全国的に見ても、技巧派のアンダースロー投手は金属バットの導入以後、めっきり少なくなった。

高校までしか使えない金属バットに意味があるのか?

話を進めよう。今回、金属バットをテーマにしたのは、次の観点から読者の思考を触発したい、新たなムーブメントの高まりを期待したいと願うからだ。
高校までしか使えない金属バットで、日夜打撃技術を磨く高校野球の現状は、野球の無限の発展を阻害していないだろうか? という問いかけだ。

かつては大学、社会人でも金属バットを使えたが、いまや打球が速すぎて危険だといった理由から禁止されている。プロ野球でも使えない。つまり、高校を卒業して上のレベルに進んだら一切使えない金属バットで小中高校生は打撃に取り組み、金属バットで結果を出した選手が「優秀だ」と勘違いされる。いきなり「勘違い」と書くのは行きすぎだろうか。正確に言えば、木製バットに対応できるとは限らない打撃技術を高校年代まで徹底的に身体に叩き込む。その弊害、滑稽さをもっと認識した方がいいのではないか。

甲子園に出ること、甲子園で勝つことが日本の高校野球の大命題だから、トーナメント制の試合で勝つ技術が求められ、しかも「勝ちゃいい」ので多少乱暴でもヒットになれば褒められる。近年の強豪校の打撃は、少し遅れてもいいからボールをバットで捉え、それを筋トレで鍛えたパワーで振り切って外野に運ぶ、というスタイルが少なくない。昔は反対方向に打てる打者はレベルが高いと評価されたが、最近は詰まってでも持って行く打法だから、木のバットで打ったら折れているだろう反対方向へのヒットが目立つ。

中田翔ほどの強打者でも、プロ野球に入ってレギュラーになるのに4年を費やした。木製バットへの対応に苦労したのが一因に挙げられている。1年目の春には、左手首を骨折している。中田はそれでも対応に成功し、プロ野球でも4番打者になった。が、ついに木製バットでは打てず、プロで活躍せずに終わった選手はたくさんいる。このように、明らかな成長を妨げる構造を、野球界はなぜ改めないのか?

ルール改正でなく、自主的な動きでもいいと思うが、それも少ない。今年、履正社の強打者・安田尚憲選手が「普段の練習では木製バットを使っている」と報じられ、一部で注目された。「上(プロ)に行ったら金属バットは使えないから」という明快な理由だった。金属バットで打ったホームランの数など、実はプロ野球での活躍を占う上ではほとんど当てにならない。清宮幸太郎選手は、メディアの期待を浴びて通算ホームラン数を伸ばすことと、絶対に甲子園に出場する十字架から逃れられなかったのかもしれないが、先を見越して考えれば、50本くらい打って実力を確認したあたりで金属バットを捨て、「これからは木のバットで打ちます」と宣言してくれたら、自他共にもっと安心して明日への期待を高めることができたと思う。

高校生の可能性を伸ばすのでなく狭めるような方向に導くメディアのお祭り騒ぎも姿勢を見直す時期ではないだろうか。本当に野球を伸ばす、深める、普及振興の一翼を担う使命が僕ら発信者にはある。一過性のお祭り騒ぎが競技の普及につながるとは限らない。

金属バットではなく木製バットで打ちたい!そんな選手がいてもいい

僕は、新潟県のインドアスポーツ振興米山財団の依頼を受けて、新潟県のジュニア育成の助成金を交付する審議委員を務めている。その席で、バドミントン連盟から申請された道具代の補助について説明を受け、認識を新たにした経験がある。

なぜ道具代にそれほど費用がかかるのかと質問すると、協会の役員がこう回答した。
「私たちは数年前から、ジュニアだからといって、価格の安いナイロン製のシャトルを使うのをやめたのです。世界のトップ選手を育成するには、最初から本物のシャトルを使ってこそ微妙な感覚やセンスが磨かれます」
身体に染みつくものだから、理屈抜きに本物を使う。バドミントンではそういう選択をしている。もちろん一方で、本物に劣らない合成シャトルの開発も進められているが、価格優先では超一流は育たないという認識で取り組んでいる。

高校野球は、甲子園を頂点に考えて、「次」は度外視されている。
ゴルフでは、プロの道を目指さない一般ゴルファーがより楽しめるよう、プロツアーでは規制されているクラブの使用が認められている例がある。プロを目指す階段を昇っている若いゴルファーは、当然、プロの規定に則ってクラブを選ぶだろう。

僕は中学硬式野球(リトルシニア)の監督を務めて7年目になる。初めて大会に出場したとき、「金属でなく木製バットで打ちたい」という選手がいたので、木製バットをベンチに入れた。すると、試合前の道具チェックで審判から「木製バットは使えないぞ、ベンチから出せ!」とえらい剣幕で怒鳴られた。後日それはもちろん大きな勘違いと判明したが、その場にいた役員も他の審判も固く「木製は使えない」と信じていた。それほど、日本の野球界の認識は金属バットに傾いて麻痺している。

唐突に「金属バットを禁止せよ」と主張はしないが、高い志を持つチームや選手は、もっと木製バットを使う姿勢を貫いてもいいのではないか。たとえ木製が不利だとしても、本質的な打撃技術を身につけるため、目先の勝つ負けにこだわらず、試合でも木製を使う。そういうチームや選手は心から応援したい。「木で打った方が楽しい」という現実もある。
金属は多少のミスが帳消しになるが、木製バットで打つと細やかな感覚が一球一球、身体に伝わる。その無言の手応えこそが、身体に本質的な打撃を叩き込んでくれる。金属で打ったら、打感から学ぶものが少ない。結果しか見えなくなりがちだ。そういう意味でも、野球が結果オーライのスポーツ、結果重視の競技になる上、深みより見かけの派手さに目が移る。高校生たちよ、プロ野球を目指すなら、野球をもっと深く楽しみたいなら、木製バットで打席に立ってみないか!

そして高野連が本当に教育を目的にし、野球の普及を真剣に考える組織なら、甲子園の入場料収入を全国約4000校のうち、予算不足で苦労している高校野球部のバット代、ボール代に補助するような制度を始めたらどうだろう? その補助があれば、安心して、竹バット、木製バットで野球がやれるはずだ。

なぜ「2人だけ」甲子園に行けない? 誰も指摘しないベンチ入り制限の怪

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小林信也

1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。