石川直宏の立ち位置・引退を決めたその先へ(前編)
「今思っていること、今言うことが、今の真実だから…」引退会見を数日後に控えた石川直宏の顔は思いのほか晴れやかだった。今季限りでユニフォームを脱ぐFC東京のバンディエラ、その心の内を覗いてみた。(インタビュー=いとうやまね、写真=新井賢一、佐々木真人、石川直宏)
©佐々木真人経験のひとつたりとも無駄にしたくない。繋がっているからこそ今の自分がある
――原さんや城福さんとは話をしたそうですが。
石川 原さんとは友人の食事会で少し、城福さんとは電話で話しました。どちらも、というか引退について話した人のほとんどが、「ナオらしい決断だ」って言います。城福さんは、「一緒に戦ったかけがえのない仲間だ」と言ってくれました。2009年の経験は僕の中でとても大きかったので、それも城福さんには伝えました。
――8人の監督と、第二次政権があった監督を入れれば、10人監督が替わっています。
石川 監督が替わることの意味ですが、クラブはクラブなりに考えを尽くした上での決定なのでしょうけれど、選手からしたら必ずしもそのタイミングが良かったかどうかは、本当のところわかりません。それでも、「それは自分が必要とするタイミングだった」と振り返えるようにしています。経験のひとつたりとも無駄にしたくないし、その経験の上に、今の自分があるので。
――ガーロ監督時代はあまり試合には出ていません。
石川 僕は怪我で2試合くらいしか出られませんでしたが、東京というチームが攻撃的なだけではなく、“試合巧者”にならなければいけない時期に来ていました。そのためにはボールキープが必須で、それが上手く出来なかったからこそガーロという選択になったんです。それでも、クラブはその目標を道半ばで取り下げる決断に迫られた。選手の覇気が徐々に失われて、本来できることも出来なくなってしまったんです。
――引き継いだ倉又寿雄監督を経て、2007年に原監督がクラブに復帰します。
石川 僕の中では、ガーロのサッカーをちょっとかじっていたし、サイドであることへの行き詰まりも感じていたので、あくまでも「外で勝負しろ」という原さんの方向性には抵抗がありました。もちろん、原さんは僕のいい頃を知っていて、それを取り戻そうという意図があったのはわかりました。でも、自分がチャレンジしたいこととのギャップと、当時はそういうことに対するコミュニケーションの器がなかったので、不満を態度に出してしまうこともありました。
――そして、城福時代に入ります。
石川 城福さんに最初に言われたのは、自分の仕事だけしていたら試合には出せないということ。今のサッカーにおいて、外でだけのプレーというのはチームとしても物足りない、守備においても質を上げる必要がある、というような内容でした。まわりとの関係の中で、自分がボールを受けて捌いて、もう一回出てとか。そういうことを求められました。僕はガーロの時からまさにそれを考えていたので、期待でいっぱいでした。こうして、あの2009年に繋がるんです。
「ここで修復できなければ、出られなくなるぞ」通訳・塚田さんの助言
石川 ポポともよく喧嘩しましたね。でも、終わると肩を組んできて、「そういうところはいいんだよ」と言ってくる。こういうキャラクターに耐性がない選手にはキツかったかもしれません。
――ポポヴィッチ監督とは転機があったとか。
石川 ACLでブリスベンに行ったときです。自分の中ではすごくいい流れでプレーしていたのに、交代を告げられて、ベンチに戻る時に監督の握手を拒否しました。
――ポポヴィッチ監督はそういうのが一番嫌いと聞いています。
石川 そうなんです。次の日、帰りの飛行機に乗る前に、通訳の塚田貴志さんから「ここでうまく修復できなければ、試合に出れなくなるぞ」って忠告されたんです。自分でもまずかったとは思っていたんです。
――塚田さんのアドバイスが功を奏した?
石川 「俺も選手時代にそういうことがあったよ」「そういうのを持ってないとピッチでは戦えない」って言われました。そこで一気にうち解けました。
信頼関係が生まれるとき
――イタリアから、マッシモ・フィッカデンティ監督が来日します。
石川 僕はマッシモのサッカーを経験できてよかったと思ってるんです。彼なりのサッカー哲学があって、チームがどんどん変わっていくのがわかりました。それに、“勝つ”ためにはこれだけのことをしなければいけないんだなと感心しました。徹底していましたから。
――それをあまり好まない人もいました。
石川 最初は、これは厳し過ぎるし絶対に無理だって誰もが言いました。専門的になりますが、最終ラインのディフェンスの4枚、その前の3枚がサイドに出て、逆サイドは中央に絞るといった「スライドしながらの連動」を68mケアする…。こんなの絶対に無理だと、そのポジションの選手たちは口をそろえて言っていました。でも、やれちゃうんですよ。出来るようになる。
――期待を持って負荷をかけたんでしょうね。マッシモの中で勝算があったに違いありません。
石川 もちろんそうでしょう。じゃなきゃ、そんなに自信を持って続けられない。
――独特のチャーミングさもありましたよね。
石川 ミーティングの最後に「監督は孤独だ…」とかボヤいたり。味スタホームの鳥栖戦の時ですが、試合が終わると東京の選手たちがマッシモのところに集まるんです。とてもいい光景でした。そういう関係性というか、ひとつのものをやりとげたいという情熱が選手に伝わる。選手もそれに応えようというのが監督に伝わる。そこに信頼関係が生まれるんだな、生まれていたんだなと、あらためて感じました。
――現指揮官の篠田善之監督は、ポポヴィッチ時代からずっとコーチとしてチームを見てきた人です。
石川 篠さんは、おそらく誰よりも僕たちのことをわかっている監督です。選手たちの自主性を重んじて意見も聞いてくれる。だからこそ、もっと我々が自立しなきゃいけないと思うんです。期待に応えなければ。選手たちからもいろんな声が出てしかるべきだし、それらを形にすることで、チームが一歩成長できる大きなチャンスだと思うんです。周りに対しての考えや不満でもかまわない。自分の中だけで解決せず、共有したほうがいい。
まずは自分の中でのやりたいこと、目指す方向性をしっかり持つこと。次にそれを伝えること。伝えるのが苦手なら、とにかく出すこと。それがわかれば、監督、コーチ、経験のある選手やフロントでもいい、うまくコントロールすると思うんです。反応がなければ反応を起こさせるためのアクションをしかける。そうやってチームというものがより密になって絆が強まればいい。そういう関係性を生み出したいんです。
EPILOGUE
――石川選手は現在49ゴールですね。
石川 あと一点。大事な時に取りたいんですよ。
――以前のインタビューで、「僕の場合、ここに合わせろ!っていう走り方をするので、左利きの出し手が欲しい」と言っていました。左利きだと、見なくても右サイドにボールが蹴れるからと。久保建英くんは左利きですね。最後の一得点の出し手としては、期待が高まります。
石川 タケフサと一緒にやりたいです。今ここに走ったらマジでボールが出てくるだろうなって、そんなイメージが出来る。みんなとはもちろんですが、誰とやりたいって、いちばんタケフサとやりたい。メンタル面の自立もすごいし、レアルがどうのこうのとか、今日もニュースに出ていましたよね。もう想像を超える領域。
――300試合までは…あと10試合くらいですけど。
石川 ちょっと厳しいかな。
――背番号「18」は、永久欠番ですか?
石川 いやそんなことはないでしょう。ただ、気にしているのが、18番をつけることによって、その選手の怪我が多くなってしまったらどうしようということ。それが一番怖いです。
――大國魂神社でお祓いしてもらうか、奉納。
石川 奉納しましょう。本当にそう思うんですよ。変な意味じゃなくて怪我されたら困ります。そこだけ。それでもつけますって言ってくれる選手がいたなら、喜んでお譲りします。
今自分で熱を持って伝えられるのは、そういうところですね。これから4ヶ月やってみて、その時どんな景色が見られるのか。その景色を味スタで見たいですね。見て、感じて、何かを勝ち獲って、さよならっていう。一応スパイクとユニフォームを芝に置いて。いや、でも、その前に・・・ピッチ内外で積重ねてきたもの、自分の意地、FC東京としての誇り、そして皆の想い、そういったものをすべてまとめて、ピッチの上で形として表す覚悟でいますけどね。
(7.31外苑前にて ※この2日後の午後、石川直宏は小平にあるFC東京のクラブハウスで引退発表記者会見を開いた)
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(取材後記)
7月30日の昼過ぎ、小平帰りの車中の石川選手と電話で話していた。その内容を留めておきたくなって、「今から会えないか」と無理を言った。ここで話している“体温”が下がらないうちに聞いておきたいと思ったのだ。会うのは次の日になったが、親友も帯同して、湿っぽい空気は一切なく、極めてリラックスした中でインタビューは行われた。「今思っていること、今言うことが、今の真実だから」と石川選手は言った。ならば出来るかぎり “素の言葉”を残そう、そう思った。(いとうやまね)
石川直宏の立ち位置・引退を決めたその先へ(前編)
「今思っていること、今言うことが、今の真実だから…」引退会見を数日後に控えた石川直宏の顔は思いのほか晴れやかだった。今季限りでユニフォームを脱ぐFC東京のバンディエラ、その心の内を覗いてみた。(インタビュー=いとうやまね、写真=新井賢一、佐々木真人、石川直宏)
現役引退へ 石川直宏の一番長い日となった2017年8月2日
FC東京に所属する元サッカー日本代表の石川直宏が現役引退を発表し、会見を行なった。長らくFC東京の中心選手として活躍を続けた快速アタッカーにとって、引退を発表した8月2日は特別な日だった。彼にとって忘れられない一日となった2017年8月2日を、FC東京を長年追いかけている後藤勝氏が綴った。(文:後藤勝)
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