世界最古の歴史を持つアメリカズカップ

©BRETT LLOYD

スポーツにおいて勝者に贈られる杯や盾を表す「トロフィー」の語源は、ギリシャ語の戦利品を意味するTropaionだと言われている。かつては戦いや狩猟の成果を示すものだったトロフィーは、現代では勝者を讃えるセレモニーに欠かせないものになった。

近代的なスポーツ・トロフィーとして世界最古と伝えられているのが、1851年に始まった国際ヨットレース『アメリカズカップ』の優勝杯、通称“オールドマグ”だ。

アメリカズカップ自体も、近年「世界で一番多くの人が目撃するスポーツの大会」となっているサッカーのワールドカップより79年も古く、1896年にアテネで第1回大会が開催された近代オリンピックや、1860年から続いている英国伝統のゴルフ選手権、“The Open Championship”全英オープンを抑え、世界でもっとも長い歴史と伝統を持つスポーツイベントとして知られている。

そんな由緒正しいアメリカズカップをサポートしているのが、日本でもなじみ深い、世界的なラグジュアリー・ブランド『ルイ・ヴィトン』だ。世界中で流行し、定番となった“モノグラム”をはじめ、デザイン性はもちろん、その技術と品質で、本物を追求する各界の著名人、セレブたちに愛され続けてきたルイ・ヴィトンが、スポーツ、それもヨットレースをサポートしていると聞いて意外に感じる人もいるだろう。

ルイ・ヴィトンとアメリカズカップが歴史の上で初めて交わったのは、1983 年のこと。

アメリカズカップの挑戦艇を決するレースをルイ・ヴィトンが催し、“オールドマグ”とは別に、挑戦者に与えられる独自のトロフィーを授与したのが最初だ。

以来、歴代のトロフィーケースの製作をはじめ、挑戦艇を決定する大会のトロフィーとそのケースの製作などのサポートを行ってきた。

挑戦の歴史を形づくったアメリカズカップの誕生譚

©Getty Images

挑戦艇とは一体何か? ルイ・ヴィトンのサポートの端緒となったレースのあり方を理解するためには、少し説明が必要だろう。

日本ではそれほど馴染みがないが、アメリカズカップは世界最古のスポーツ・トロフィーを有するだけでなく、世界中から注目を集めるヨットレースだ。ヨットと聞くと、洋上にゆっくり浮かぶ優雅なイメージがあるかもしれないが、アメリカズカップのレースに用いられる艇は、いつの時代もそのときに得られる最先端の技術を駆使して造られる、ハイテクの結晶だ。テクノロジーが進化した現代では“洋上のF1”と呼ばれる世界一決定戦の側面を持っている。アメリカズカップの大会方式を説明する際に欠かせないのが、誕生と成立の歴史的経緯だ。

1851年、アメリカズカップが誕生した年は、イギリス・ロンドンで第1回万国博覧会が開催された年でもある。産業革命による工業化の波が押し寄せていたイギリスで行われた万国博覧会の記念行事として行われたのが、アメリカズカップの前身であるワイト島1周レースだった。このレースでは、イギリスのヨットクラブ、ロイヤル・ヨット・スコードロンが、アメリカのニューヨーク・ヨット・クラブ(NYYC)を招待して行われた。当時わが世の春を謳歌していた“大英帝国”陣営は、アメリカからやってきた”挑戦者“に負けるわけにはいかない。国の威信を懸けてレースに臨んだが、結果はNYYCの最新艇”アメリカ号“の優勝。レースを観戦していた時の女王ヴィクトリアに、「2着の船は?」とたずねられた王室船長、バゲット卿が「2着はありません」と答えたという逸話は、その後マッチレースとして発展していくアメリカズカップを象徴するエピソードとして語り継がれている。

アメリカズカップとは、このとき優勝したアメリカ号のために購入されたカップを指す。以降、雪辱に燃えるイギリスを始め、イタリアやスペイン、アイルランド、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドそして日本などの国々が参加し、アメリカズカップは世界的なヨットレースとしてその価値を高めていった。アメリカズカップを“アメリカズ”カップたらしめたのは、その後のアメリカ勢の圧倒的な強さだ。1870年、「このカップを持つ者はいかなる挑戦も受けねばならない」という証書に基づいて、第1回アメリカズカップが開催されると、アメリカ勢は1983年にオーストラリア艇に敗れるまでの132年の間、カップを守り続けた。

ルイ・ヴィトンとアメリカズカップの邂逅

歴史的敗北となった1983年、アメリカズカップの歴史にいよいよルイ・ヴィトンの名前が登場する。それまでの挑戦艇決定レースやアメリカズカップのフォーマットは、防衛艇であるNYYC所属艇に若干のアドバンテージがあった。ルールを整備し、アメリカズカップを近代的なスポーツイベントとしてさらに成長させたのが、ルイ・ヴィトンの名前を冠した挑戦艇決定戦、『ルイ・ヴィトンカップ』の存在だ。

アメリカ艇にその他の国が挑む構図が長らく続いていた1983年、ルイ・ヴィトンのお膝元、フランスチームからアメリカズカップのサポートの話が舞い込んできた。すでに国際的なヨットレースとして認知されていたアメリカズカップだったが、ルイ・ヴィトンは、一国のサポートではなく、挑戦艇を決めるレースへのサポートを買って出た。これは商業的なアピールのためでなく、アメリカズカップの持つ伝統と格式、コンセプチュアルな部分に共感したからだと言われている。

アメリカズカップの誕生と1854年に創業したルイ・ヴィトンは数年違いの同時期にその道を歩み始めた。激動の時代に生まれ、社会が大きく変化する中、歴史と伝統を守りながら常に最高を目指して行く姿勢に多くの共通点が見られる。

世界的なブランドであるルイ・ヴィトンとアメリカズカップを直接結びつけるのが難しい人もいるかもしれないが、メゾンの世界観「Volez, Voguez, Voyagez(空へ、海へ、彼方へ)」にもあるように、創業以来のプロダクトであるトランクが一見、性質の異なる二つのブランドを結びつける鍵を握ったのだ。

(取材協力=LOUIS VUITTON)

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大塚一樹

1977年新潟県長岡市生まれ。作家・スポーツライターの小林信也氏に師事。独立後はスポーツを中心にジャンルにとらわれない執筆活動を展開している。 著書に『一流プロ5人が特別に教えてくれた サッカー鑑識力』(ソルメディア)、『最新 サッカー用語大辞典』(マイナビ)、構成に『松岡修造さんと考えてみた テニスへの本気』『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』(ともに東邦出版)『スポーツメンタルコーチに学ぶ! 子どものやる気を引き出す7つのしつもん』(旬報社)など多数。