汚された山中慎介のリベンジマッチ

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プロボクシングは真剣勝負の一方で、エンターテイメント・ビジネスであり、時には単なるパフォーマンスでしかないような言動も、選手が公の場で見せることがある。たとえば記者会見でのフェイス・オフ(睨み合い)であわや乱闘騒ぎになろうとも、基本的にボクサーには「最大のライバル=最高の理解者」が成り立ち、どこかでシンパシーを感じ合ってしまうように思えるのだ。

しかし今回、約半年ぶり対面したネリと顔を合わせようとせず、フェイス・オフでは逆に目を離そうとしなかった山中の態度は、上記のパフォーマンス意識とは無関係な本心に見えた。そもそも山中は、リング上で絶品の左ストレートを打ち抜くだけで、多くのファンを魅了し、世界的な評価もものにしてきた超一流である。特別なパフォーマンスをしなくても、そのブランド性は十分守られてきた。

2011年11月にクリスチャン・エスキベル(メキシコ)との王座決定戦で手にしたWBC世界バンタム級王座の防衛回数は12まで積み上げた。一時は神のように崇められた山中による決着マッチ。それが今回のネリ戦だった。昨年8月、13度目の防衛戦として行われた初対決で山中は、かつてない大劣勢を強いられ、セコンドがタオルを投げこむ形で4回TKO負け。タオルのタイミングが早過ぎたかいなかの論議が鎮火する頃、今度はネリのドーピング陽性が決定的となった。WBCは、ネリが黒か白かの結論を出さぬ代わりに「山中が再戦を希望した場合は最優先される義務」を設けた。

ネリにとっても、これは日本での汚名返上マッチだと多くが思っていた。ところが2月28日に都内のホテルで行われた前日計量で、王者はバンタム級リミットをオーバー。しかもプラス2.3キロという極端な数字を出してしまう。会場には報道関係者のざわめきより先に、山中の「ふざけんなよ!」の声が響いた。自身は53.3キロの200グラムアンダーでパスすると、涙ぐんだ目でしばらくネリを睨みつけた。

ネリは約1時間45分後に行われた最終計量もパスできず、規定により王座陥落。その場にいた多くの記者たちに「余裕があったのではないのか」と不信感を高めさせたのは短時間で1.0キロも落とせたことだ。これだけ落とすのも決戦前日にたしかなハードワークであるが、タイトルマッチで計量に失敗した選手は、まず“確信犯説”のマトになる。あくまで世界戦においてなら、日本人にとってはありえない不備であるからだ。

減量をギブアップする選手が増えている理由

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プロボクシングの計量が当日に行われていた時代、計量失敗は外国人にとっても痛恨のミスだった。千載一遇のチャンスでつかんだ世界王座を保持すれば、国のスーパースターでいられる。それを試合前から失う上に、その日の晩には絶望的な体調で、リングに上がらなければならない。先日他界したチャッチャイ・チノオイ(タイ)が1974年10月18日、日本での世界戦で初めて計量に失敗したときは、試合でもフラついた状態で花形進(横浜協栄)の猛攻を浴び、6回KO負けに散った。

ところが、計量が前日に行われるようになる頃には、減量を早々にギブアップする選手も多くなったといわれている。世界王座が乱立し、勝ち続けていれば、すぐに別のチャンスが来やすくなったのが裏目で出ているかもしれない。もちろん、翌日までの回復を見積もって、余計に絞り込む選手も増えているはずなのだが。

ドーピングと同様、計量は、不正が以前よりバレやすくもなったのもある。海外での興行に出場した選手には「日本ほど厳正に計量を行っていなかった」と語るケースはいまだ少なくない。体重計の針が揺れている間に、クリアとしてしまったとか、リミットいっぱいで臨んだつもりが、なぜか500グラムアンダーだったとか。これは他の格闘技イベントでの話だが、主催者から「計量イベントはなくなったのでリミットを守っているかどうか、体重計に乗って証明して、その動画を送ってほしい」とリクエストされるという、とんでもないケースも、当事者のSNSメッセンジャーで見せてもらったことがある。そうなれば、日本に遠征して、初めて正規のリミットまで落とした外国人王者がいる可能性もあるのだ。

チャッチャイ以降、日本人関連の世界戦で計量失敗を起こした選手にはフレディ・ノーウッド(アメリカ=1998年の松本好二戦)、ノエル・アランブレット(2004年の新井田豊戦)、ワンディ・シンワンチャー(タイ=2006年の嘉陽宗嗣戦)、ロレンソ・パーラ(ベネズエラ=2007年の坂田健史戦)、リボリオ・ソリス(ベネズエラ=2013年の亀田大毅戦)、レイムンド・ベルトラン(メキシコ=2015年の粟生隆寛戦)、マーロン・タパレス(フィリピン=2017年の大森将平戦)、ファン・エルナンデス(メキシコ=同年の比嘉大吾戦)らがいる。その中で、ドーピング陽性と計量失敗の両方でミスを起こしたことがあるのはネリだけではない。ベルトランは粟生とのWBO世界ライト級王座決定戦前後に両方を露呈し、勝利は後日、無効扱いとなった。

しかし、これによって彼らの商品価値が致命的に落ちたかというと難しい。同じくドーピング陽性歴のあるオルランド・サリド(メキシコ)は、WBO世界フェザー級王者時代の2013年10月、ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)から史上最短記録狙いのプロ2戦目で挑戦を受けた際、体重オーバーでヒンシュクをかったが、翌日にロマチェンコに勝ってしまうと、もちろん皮肉交じりだが「サリドはクレバーだった」と評価する声まで出た。

計量失敗によるペナルティはどうなっているのか

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ちなみに計量失敗にはどんなペナルティがあるのか。これを課すのは主にWBA(世界ボクシング協会)、WBC(世界ボクシング評議会)、IBF(国際ボクシング連盟)、WBO(世界ボクシング機構)などの世界王座認定団体ではなく、興行が成立しなくないと最も困るプロモーター(主催者)たちだ。罰則は試合が組まれる際の私的な契約内容、いわゆる「オプション」に組み込まれている。ファイトマネーのカットなどが一般的だが、日本では近年までグローブにハンディキャップをつける通例も存在した。

前回、「メキシコで汚染された肉にドーピングに引っかかる成分が入っていた」と主張したネリは今回、ノーコメントで計量会場を去ったが、トレーナーのビダル・マルドナド氏は今回に向けて2カ月前から雇った栄養士のマルコ・アントニオ・ペレス氏に責任があると話した。続いてペレス氏は責任の擦りつけ合いをするわけでもなく「全責任が私にある。水分を抜いて落とせると思った。他のボクサーも担当しているが、ネリには私の経験が活きなかった」と全面的に己の非を認めたため、怒りの矛先はかえってうやむやに…。

山中が勝てば王座奪回。ネリは勝っても負けても王座陥落という条件で、タイトルマッチは行われる。しかしここに存在するのはおそらく王座ではなくプライド。もっといえば日本のファンによる怒りであり、世界戦に見慣れたベテランのファンでも、熱い思いを持って見入るのではないか。ただ、ネリにヒステリックになりたくなる一因は、このメキシカンが、たとえフェアに戦ったとしても、山中を返り討ちにする可能性を秘めた危険人物だという裏返しでもあるのだ。だからこそ、山中は勝てばヒーローになるし、こう願いたくなる。ぶっ倒せ!

山中慎介またも裏切られる なぜ疑惑のデパート、ネリとの再戦が組まれたのか?

注目のリマッチが近づいてきた。WBC世界バンタム級タイトルマッチ、ルイス・ネリ(23=メキシコ)対現1位、山中慎介(35=帝拳)の12回戦が3月1日、東京・両国国技館で行われる。二人は昨年8月に対戦し、当時ランキング1位だったルイス・ネリが同王者だった山中を4回TKO勝ちで破り、ベルトを奪い取った。こうして一度はTKOで決着がついた両者だが、再び拳を交えることになった。28日の前日軽量でネリが体重超過となり、王座を剥奪される前代未聞の出来事が起きたが、そもそも両者はなぜ半年後に再び戦うことになっていたのか。(文=原功)

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山中慎介、伝家の宝刀「神の左」 KO奪取の秘訣は「距離感と下半身」

昨年8月、山中慎介(35=帝拳)は高校時代を過ごした京都でルイス・ネリ(23=メキシコ)に4回TKO負けを喫し、5年9カ月の長期にわたって12度防衛してきたWBC世界バンタム級王座を失った。3月1日にはリベンジと返り咲きを狙って東京・両国国技館でネリとの再戦に臨む。互いに手の内を知っているサウスポーの強打者同士だけにKO決着は必至といえる。勝負そのものはゴングを待たなければならないが、どんな結果が出たとしても変わらないものがある。それは山中のV12という実績と左ストレートのインパクトの強さだ。戴冠試合とネリとの初戦を含めた14度の世界戦の戦績は13勝(9KO)1敗。世界中の猛者を相手にする大舞台で記した数字としては驚異的なものといっていいだろう。しかもKOに結びつけたダウンのほとんどが「神の左」によるものである点も興味深い。選手生命を賭したリベンジマッチを前に、山中の半生をあらためて振り返り、そしてKO量産の秘訣を分析してみよう。(文=原功)

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ボクシング山中慎介×ネリ、セコンドの判断は間違っていない。

世界王座連続防衛の日本記録に並ぶはずの一戦で、山中慎介はキャリア初の黒星を喫した。本人がダウンしたわけではなく、セコンドの判断で試合が終わったことで大きな物議を醸している。格闘技ライターの高崎計三は、その判断は正当だったと主張する。その理由とは――。

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山中慎介、ベルト奪還も? ネリ陣営は意図的な薬物摂取を否定

WBC世界バンタム級タイトルマッチで山中慎介(帝拳)に勝利したルイス・ネリ。しかしWBCが行ったドーピングテストで陽性反応が出たという。山中との試合の扱いはどのようになるのか。格闘技ライターの高崎計三氏にうかがった。

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村田諒太の“判定問題”の背景。足並み揃わぬボクシング4団体の弊害か

5月20日のWBAミドル級王座決定戦における村田諒太の“疑惑の判定”を巡る議論は未だ収束せずにいる。議論の中で、ジャッジのミスや不正ではなく、団体間の採点ルールの違いを指摘する意見を目にした人もいるのではないか。問題の背景には、世界のボクシング界に4団体が“乱立”することの弊害も垣間見える。

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善理俊哉(せり・しゅんや)

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある。