やはり特別だった100回目の夏
100回目の夏は、やはり熱狂を呼び、ファンを、日本中を夢中にさせた。
高校野球の全国大会が開催された甲子園球場は、8月5日の開幕から連日、大観衆に包まれていた。100回大会という記念すべき年であることも一因だろう。第1試合が開始される数時間前から、球場正面のチケット売り場には長蛇の列だった。
この期間、甲子園を訪れた野球好きの知人は、チケットを購入するまでに費やされた時間に少しうんざりしながら、このような感嘆の声を漏らしていたものだ。
「とにかく、クレイジーなほど人が多かった。でも、100回大会だからみんな観たいんだろうね。自分もそのひとりだし」
その知人が表現した「クレイジー」とは、あながち間違ってはいない。準決勝までの入場者数は累計97万人と、決勝戦を迎える前に1990年に記録した最多の92万9000人を突破。最終的には史上初の100万人超えを記録したのだから、100回目の夏がいかに特別なものだったかを理解できる。
炎天下で行われる試合中には観客を気遣うように、場内で頻繁に「こまめな水分補給をお願いします」とアナウンスがある。そんな配慮を知ってか、人々はビールやスポーツドリンクを飲み、甲子園名物の「かちわり」で頭や首元を冷やす。そして、ジャンボ焼き鳥や甲子園カレーといった、甲子園球場のソウルフードを胃袋に流し込みながら、高校生のひたむきなプレーに歓声を送る。
甲子園の高校野球ならではの現象
甲子園の高校野球では、スタンドが沸く瞬間がいくつかある。
わかりやすいところから言えば、ホームランや守備でのファインプレー。投手が150キロ以上の快速球を投げ、その球速が電光掲示板に表示された際もうなりり声が沸き起こる。
これらはプロを含めた野球の試合でも起こりえることだが、甲子園にはスタンドが作る特別な時間がある。
それは、リードを許したチームの後押しだ。
高校の応援団が陣取るアルプススタンドから奏でられるブラスバンドのサウンドと声援が一段階アップする。それに呼応するかのように、スタンド全体が手拍子や拍手で盛り上げ、試合終盤にチャンスを作る。
甲子園とは、そのボルテージを肌で感じ取れる場所である。準々決勝の金足農業と近江の一戦でのそれは、実に印象深い現象だった。1点ビハインドの金足農業が無死からランナーを出すと、甲子園が揺れ始めた。歓声と拍手が、1球ごとに力強くなる。
そして、無死満塁のチャンスを作ると、スタンドが完全に金足農の味方となった。フィナーレの舞台を築き上げてくれたスタンドに応えるように、サヨナラ2ランスクイズという劇的な幕切れを演じた金足農業は、34年ぶりのベスト4、そして秋田県勢103年ぶりの決勝進出を決めたのである。
勝利を目前に敗北した近江のある選手は、甲子園を包む異様な空気をこう述べていた。
「球場の歓声がとにかくすごくて。金足農を応援しているっていうのがすごく伝わりました。僕らのなかでは、サヨナラのプレーはアウトかと思いましたけど、あの雰囲気がセーフにさせたのかな、と」
100回の歴史のなかで、甲子園では「奇跡」と呼ばれる試合が数多く語り継がれている。1998年に松坂大輔を擁して春夏連覇を成し遂げた横浜高校や、斎藤佑樹が時代の寵児となった2006年の早稲田実業のように、スタンドを味方につけたチームは少なくない。
野球には、野球の試合が行われるスタジアムには、それを具現化するだけの魔力がある。
スポーツとは珠玉の物語の原石である。
「筋書きのないドラマ」とはよく言ったもので、チームや選手の活躍はもちろん、いつ何が起こるか?その瞬間の目撃者となりたいからこそ、人々はスタジアムに足を運ぶ。
野球というスポーツの特別感
とりわけ野球は、スポーツでは珍しく、動きが多いほうではない。それを、「間のスポーツ」と表現する人間もいる。
1回から9回までのイニング制の試合では、攻撃と守備が入れ替わる間に2分程度の時間が空く。プレー中でも投手がボールを投げる際にも数秒間、動きが制止されるし、選手交代やタイムの時間も含めれば、野球の「間」は数多く存在する。
プロ野球ではその時間を有効活用し、ファンを盛り上げる。チームを鼓舞するBGMを流し、スタジアムMCがファンを煽る。特定のイニング間では上空に花火が舞い、ダンスユニットが上質なパフォーマンスを披露する――。野球とは、エンターテインメントを表現しやすいスポーツなのである。
NPBが発表した2017年のデータによると、主催試合で観客動員数が前年を上回ったことが、12球団のうち実に9球団であった。
これは一端に過ぎないが、「スポーツの多様化」が囁かれている現代でも、やはり野球は日本における「№1スポーツ」なのだと実感させられる。
チームが劇的な勝利を収めれば、その日のビールは一段とおいしくなる。応援する選手が異次元の活躍をすれば、次の日の仕事にだって活力が生まれる。そこにエンターテインメントが加わることで、野球好きがファンへと昇華し、スタジアムの虜となっていく。
先人の信念が脳裏をよぎる。
現役時代にファンから愛され、成功を収めた選手は、何度もこう訴え続けてきた。
「『ファンのために』って、言葉だけじゃダメなんです。球場に来てくれる人のなかには、遠いところから初めて来てくれる人もいる。そういう人たちに『野球って素晴らしいスポーツなんだ!』と好きになってもらえるように、僕らはいつも全力でプレーしなくちゃいけない。今では毎試合、応援に来てくれる熱心なファンだって、最初は自分のような気持ちでプレーしている選手を観て感動したり、『すごい!』と思ったから来てくれているはずだと思うんですよ」
まだ物事の区別がつかない幼少期に、両親や祖父母に連れられ、初めてスタジアムで野球を観戦する。プロフェッショナルなプレーに潜在意識が刺激され、選手たちが見せてくれた笑顔が、なぜかずっと記憶の片隅にインプットされている。
そうやって、人は野球が好きになる。
大人になっても、スタジアムで野球を観れば童心が蘇る。
普段は出すことのない大声を張り上げ、無邪気にタオルを回す。そこは、無意識化で非日常を体験できる場所。だからこそ、筋書きのないストーリーを純粋に楽しめる。
彼らもまた、野球を通じて至高のドラマを描く、脚本家のひとりなのである。
著者プロフィール 田口元義
1997年生まれ。福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。ライフスタイル紙などの編集を経て2003年からフリーライターとなる。プロ野球、高校野球を中心としたスポーツ記事を雑誌やウェブサイトに寄稿。アスリートなどの書籍の構成も行う。