自覚がないのはどちらか? 問題の本質は相撲協会の体質にあり
付け人に対する暴力の責任を取って、貴ノ岩が引退した。
昨年11月、横綱・日馬富士(当時)に暴行された被害者が、自らの暴力で相撲界を去る。なんとも、やりきれない出来事だ。
相撲協会の処分を待たず引退を選んだのは、この一年間に起こった思いがけない顛末を考えればやむを得ないだろう。貴ノ岩に対する厳しい非難に反論の余地はない。だが、今年スポーツ界で起こった数々のパワハラ告発や暴力事件は一個人の問題ではなく、スポーツ界が長年染みつけている支配的な体質が土台にある。その根本を変えない限り、本質的な改善はない。
振り返れば、日本相撲協会は、日馬富士の暴行問題を巧妙に『貴乃花親方(当時)の非礼・反乱』にすり替え、貴乃花親方を攻撃し続けた。貴乃花親方にも行き過ぎや独善があったとは思う。しかし、貴乃花叩きに終始し、結局「なぜ日馬富士が貴ノ岩に激しい暴行を加えたのか」「同席していた横綱・白鵬をはじめ他のモンゴル人力士たちとの席でなぜそれほど険悪な空気が支配したのか」、各所から指摘されたモンゴル互助会とも呼ばれる「星のやり取り」の悪習があるのかどうか。土俵の根幹に関わる疑問点にはほとんどメスを入れず、貴乃花だけが悪者にされた印象がぬぐえない。そして皮肉にも、被害者だった貴ノ岩までが加害者となって土俵を去った。
日本相撲協会は、貴ノ岩の暴力事件が発覚してすぐ、暴行を受けた付け人と貴ノ岩からそれぞれ事情を聴取し、直後に記者会見を開いた。その対応の早さを評価する報道が多かったが、私は芝田山広報部長の発言に首を傾げた。
「自覚がないんでしょう。だからこういうことになる」
広報部長は貴ノ岩を頭ごなしに突き放した。相撲協会のこの姿勢、そして認識こそ、暴力がなくならない要因ではないか。
「自覚がないのは相撲協会、あなたたちですよ」と言いたい気持ちだ。
具体策に乏しい相撲協会の『暴力決別宣言』では何も変わらない
今年10月、日本相撲協会が設置した第三者機関『暴力問題再発防止検討委員会』の調査結果が公表された。力士、親方ら約900人の協会員に聞き取りした結果、昨年一年間に「暴力を受けた」と答えた協会員が約50人。「暴力をふるった」と答えた協会員が約70人いた。全体の約8パーセントに当たる協会員が「暴力をふるった」と明言している。正直な回答と公表に敬意を覚える一方、これほど暴力が相撲界にはびこっている現実が明らかになった。この結果を受けて日本相撲協会は10月25日、七項目から成る『暴力決別宣言』を出した。その内容がまったくお粗末だ。
一、 大相撲においては、指導名目その他、いかなる目的の、いかなる暴力も許さない。
二、 暴力と決別する意識改革は、師匠・年寄が率先して行い、相撲部屋における暴力を根絶する。
三、 協会は、全協会員の意識改革のため、内容の濃い研修を継続して行う。
四、 協会は、暴力禁止規定を定め、暴力の定義、暴力が起きた時の報告義務、これを怠った場合の制裁、行為者を処分する手続きを明確にする。
五、 暴力が起きた際には、広報を重んじ、必要な情報は迅速に開示する。
六、 異なる部屋に所属する力士の間で、先輩・後輩を越えた上下関係や、指導・被指導の関係が形成されることを許容しない。
七、 研修、手続きの運用、その他、再発防止策の実行とその後の検証については、外部有識者を交え、開かれた形で暴力との決別を遂行する。
意識を変えようと呼びかけるだけで、具体的な改革案は示されていない。いまの日本相撲協会の理事長以下首脳陣は、「この程度の危機感、そして発想力しかない人たちだ」と言われても仕方がない。もしくは、自分たちの立場を守ることに注力し、痛みを伴う改革を避けようとしている。第三者機関も、かなりの予算をもらっているはずだが、抜本的な「検討」をしたとは思えない。
支配的な体質を生み出す「付け人制度」
単純に考えても、具体的な解決案のひとつやふたつ、簡単に思いつく。
貴公俊の暴力事件でも、今回も、暴力の被害者は『付け人』だ。付け人は関取の世話をする幕下以下の力士だが、関取に「絶対服従」、有無を言わせぬ上下関係を相撲界全体が容認している。この『付け人制度』そのものが「暴力の温床」だとなぜ気づかないのか? 相撲界は伝統を尊重するあまり、時代にそぐわない旧態依然の仕組みを見直す姿勢も覚悟もないようだ。伝統の美は尊重したいが、時代に合わない悪しき旧弊は見直すべきだ。「暴力の温床」が言い過ぎなら、「支配的な体質を生み出す象徴的な慣習」と言い換えてもいい。番付の上下で格付けが決まる。給料も違えば、部屋での待遇が違う。十両以上の関取は個室、幕下以下は大部屋で暮らす。それは勝負の世界の現実だ。その上に、付け人制度があり、ちゃんこ番、掃除、洗濯、荷物持ち、外出の付き添いなど、ひとりになる時間はトイレの中以外はほとんどないといわれる。関取が風呂に入れば、身体の隅々まで付け人が洗う。年上でありながら、年下の関取に顎で使われる例も珍しくない。
「それでこそ一日も早く出世しようと頑張って稽古をする」
それが相撲界の共通認識。果たしてそれが現代でも本当に効果的だろうか? そんな古くさい相撲界だから日本の若者に敬遠され、モンゴルをはじめ、ハングリーな外国人力士に主役を奪われて久しい現実を改善する気はないのだろうか。
「ムリ偏にゲンコツと書いて兄弟子と読む」という言い回しが相撲界の常識。こうした伝統をうれしそうに語る相撲記者やファンが多いのも問題だ。これを「おかしい」と声を上げる関係者はほとんどいない。理事長以下、相撲協会の当事者、関係者、相撲を取材するメディアも、相撲界のしきたりを肯定的に美化し受け入れてしまって、「おかしい!」と指摘する現代的な感性をなくしている。
今回、貴ノ岩が付け人を殴った理由は「風邪薬を忘れた言い訳をしたから」だという。一般社会なら、「風邪薬は自分で持ちなさい」と言われるだろう。関取をそれほど偉い存在に持ち上げる相撲界の悪習。理不尽な上下関係や付け人制度に象徴される支配的な体質が染み付き、親方にも力士にも、高圧的、暴力的な意識が日常化してしまうのは自然な成り行きだ。
魅力ある大相撲を取り戻すためには相当な大変革が必要
貴乃花元親方の一連の騒動、そして離婚報道に際して、「景子さんは以前から相撲部屋と別の場所で暮らしていた」ことが問題視された。「親方も親方夫人も、力士と一緒に相撲部屋で暮らすのが当然」という相撲界の常識を大前提にした非難だ。別居を「不仲の証」と見る向きがほとんどだった。
だが、別の見方もできる。「親方の家族と相撲部屋の分離」という新しいスタイルの選択だ。
貴乃花元親方夫妻には、長男・優一さんのほか、お嬢さんが二人いる。まだ十代の娘さんたちを「相撲部屋という特殊な環境で育てたくない」と考えても、親ならば不思議ではない。まして長男が相撲界に入らなかった。お嬢さんが部屋頭の関取と結婚し、跡を継ぐ前例は過去に多々ある。この旧弊を嫌い、二人のお嬢さんを相撲とは別の世界に導くため、自宅を他に構える選択はあっていいだろう。現代の家族観、子育ての意識からすれば、その方が普通の感覚だ。しかし、相撲通ほど「ありえない」「あるまじき」と批判する。相撲界が時代に順応し、健全に生まれ変わるためには「部屋のあり方」も劇的に変革しなければならない時期に直面している。その認識は日本相撲協会にはまったく感じられない。
貴ノ岩を引退させただけで、相撲界から暴力は根絶できるとは限らない。根本的な解決策はもっと他に探り、変革すべきだ。日本相撲協会が力士ひとりひとりの人権、個々の生活の基盤を真剣に見直さなければ、暴力根絶はおろか、「相撲界の終末」が刻々と近づいてくるように思えてならない。
12月2日、アマチュア横綱を決める天皇杯を国技館に見に行った。トップ選手たちは大相撲の十両力士とほぼ互角の力を持つといわれる。事実、つい4年前の優勝者が、7月場所で優勝した御嶽海だ。デビュー直後の快進撃で一躍人気者にあった遠藤も6年前の覇者。ところが、優勝すれば幕下15枚目格、ベスト8に入れば三段目100枚目格付け出しで大相撲デビューできる特権が与えられるにもかかわらず、「プロを目指さないアマチュア」が増えている。高校野球で言うならば、甲子園で活躍し、逸材と呼ばれた選手の大半がプロ野球に興味を示さないのと同じだ。
大相撲に魅力がない、相撲に情熱をかける若者にさえそっぽを向かれる現実を、相撲界は切実に受け止めているのだろうか。
貴ノ岩の引退は、ひとりの愚かな力士の蛮行にとどまらず、日本相撲協会の末期現象の表われだと感じる。これを暴力根絶はもとより、魅力ある相撲界に大変革する始まりにしてほしいと願うばかりだ。
貴乃花親方退職で失われるもの 相撲協会の組織的なパワハラを許していいのか?
日本相撲協会が元横綱、貴乃花親方の退職と、貴乃花部屋の力士の千賀ノ浦部屋への移籍を承認しました。これにより貴乃花部屋は消滅、幕内優勝22回を誇る“平成の大横綱”貴乃花が日本相撲協会を離れるという事態になりました。貴乃花親方はなぜ、相撲協会を“追われ”なければいけなかったのか? 作家・スポーツライターの小林信也氏は、今回の一連の騒動とそれをめぐる協会の対応は、組織的なパワーハラスメントだと指摘します。(文=小林信也)
貴乃花は“政治”に走らなかった 問われる相撲協会執行部と評議員会の資質
日本相撲協会の理事候補選が2日に行われ、注目を集めた貴乃花親方は獲得票数2票で落選という結果に終わりました。「大差の落選」「現体制の信任」など貴乃花親方の“惨敗”が報じられていますが、一方で、数々の不祥事が報じられる春日野親方に処分がないことなど、相撲協会と評議員への不信も高まっています。作家・スポーツライター、小林信也氏は、今回の理事選をどう見たのでしょう?(文:小林信也)