努力はほとんど報われない(?)のに56歳でオリンピックを目指す理由

――1984年ロサンゼルス大会の銅メダル、そして20年経った2004年アテネ大会での銀メダル。2つのメダルを獲得した山本さんが、56歳になった今、2020年の東京オリンピックを目指している。単純になぜまだオリンピックを目指すのか?、そのモチベーションはどこから生まれるのか?を知りたい読者は多いと思います。

「そうですよね。私がオリンピックに初めて挑んだのが、17歳、1980年のモスクワ大会でした。結果は国内予選で4位、補欠で出場できませんでした(※1)。そこから数えて前回のリオ大会までトータル10回のオリンピック出場に挑戦しています。で、出場できたのが5回。出場の確率は2分の1で、そのうちメダルを獲得できたのはロサンゼルスとアテネの2回。メダルの確率は2割。この確率が高いのか低いのかはわかりませんが、私は今日も明日もオリンピックを目指して弓を引いています。それはなぜかと問われれば、“あきらめない”からです」
(※1 編集注:その後、日本はボイコットによりモスクワ大会への不参加を決める)

――そのあきらめない気持ちというのはどこから?

「これまでの競技人生から学んだことで、今は大学(※2)の学生にも必ず伝えるようにしていることは、『努力はほとんど報われない』ということです。成功者の話を聞いていると、すべてが順風満帆で、やることなすことうまくいって、『やっぱり自分たちとは違う』と思うことがあるかもしれません。しかし、彼らの成功の陰にも報われない努力や失敗がたくさん隠れています。報われない努力の中でなぜ、あきらめないのか? 私に限っていえば、それはもう自分の生い立ち、育った環境に理由があります」
(※2 編集注:山本選手は現在母校の日本体育大学で教授として教鞭を執っている)

――あきらめない心を養った山本さんの生い立ちについて聞かせてください。

「4人のきょうだいの3番目として育ち、二人の兄とは年が離れていました。恵まれた家庭ではなかったので、とにかく小さい時から物が与えられるということがありませんでした。基本的欲求である食欲も十分に満たされない中で、自分が欲しいものを手に入れるには自分で努力するしかないという環境でした。そういう生活ですから、あきらめたらその時点でひもじい思いをしなければいけなくなる。だからなんとか工夫して自分の望みに近づくことが子どものころから当たり前でした。中学に入ってアーチェリーと出会うわけですが、これもそうすんなりと始められたわけではありませんでした。アーチェリーを続けるには自分の弓が必要です。当然、家にはそんなお金はありません。それならどうするか? そんなことの繰り返しであきらめない心、目標のために努力、工夫することが自然に身に付いていきました」

――山本少年はアーチェリーを続けるためにどんなことを?

「本当はいけないことですが、中学生からアルバイトをしてお金を貯めました。新品の弓は当然買えませんから中古の弓を買うことになるのですが、ここでまた困ったことが起きました。多くの弓は右利き用につくられており、私は左利き。中古でも手の届くような値段で弓が買えなかったのです」

――どうやって解決を?

「右で弓を引けるように練習しました。今でも利き手は左ですが、右利き用の弓ならなんとか買える。こういう“妥協”も私の中では子どものころから自然とやってきたことでした。親に何かをねだるにしても、自分の理想ばかり言っていてもどうにもなりません。“妥協点”を見つけるのは昔から得意でした。小学校までやっていた野球のグローブも兄のお古。でも、野球をやるためには必要な“妥協”だと割り切っていました。野球も好きだったんですが、アーチェリーに出会い、弓を引いているときはあっという間に時間が過ぎるという感覚を味わってしまいました。私はせっかちなんで、時間を長く感じるのがいや。アーチェリーは、それまで経験したどんなことより、時間を短く感じられるものでした。『これは絶対に続けたい』。そう思えば、弓を買う努力も右で弓を引くこともどうということのない“妥協”だったのです」

――あきらめない心はこの時からすでに発揮されていたわけですね。

「自然にトレーニングされていったものだと思います。これがあるから、56歳になった今も、古川選手(高晴/ロンドン大会銀メダル、リオ大会8位入賞)に勝てるかもしれないという工夫が勝手に頭に浮かんでくるんです。工夫が浮かんでくるのにあきらめるのはもったいない。やれることは全部試してみたくなって、今でも競技を続けているのです」

(C)Getty Images

子どもの達成感を奪うな! 親に必要な“手放す勇気”

――山本さんはもともと高校の先生でした。現在は日本体育大学で教鞭を執っていらっしゃいますが、学生、子どもたちがあきらめない心を持つためにどんなことが必要でしょうか?

「学生たちには、自分を客観的に見られるようになろうと伝えています。アーチェリーは静的な競技のため、自分と向き合う必要のあるスポーツです。競技の中で培った“自分を俯瞰する力”は学生を指導する上でもとても役立っています。プレッシャーや緊張を抜く方法を知っているということは、それを与える方法もよくわかっているということです。授業では学生たちに震えるようなプレッシャーや緊張感を与える場面をつくり、それを乗り越えてもらうような経験を積んでもらっています。これがどう役立つかというと、たとえ短い時間でもプレッシャーや緊張を味わって、それを乗り越えると大きな達成感を得られるようになります。努力はほとんど報われないといいましたが、その努力に対しての達成感がないかというとそんなことはない。ゼロということはほとんどありません。努力が報われなくても、何度も繰り返す。そのたびに努力していく習慣をつくるためには、程良い課題にチャレンジして、それを乗り越えていくトレーニングが有効です」

――もう少し小さな子どもの夢について。子育て世代の親御さんからすると、山本さんのような環境、状況はつくろうと思ってつくれる状況ではありません。親として子どもたちにどんなことができるでしょうか?

「子どもたちを通じてさまざまなお父さん、お母さんに接してきました。不思議なのは、これだけ豊かになった日本で、子育てに対して、なぜそこまで不安を持つのかということです。国や地域によっては、まずわが子の命を心配しなければいけないところもあります。単純比較はできませんが、今の日本であれば、親が保護者としての最低限の義務を果たしただけでも、子どもはちゃんと大人になります。一つ考えてほしいのは古今東西、あらゆる分野で成功者の話を聞いてみると、子ども時代に親が過保護だった人というのは少ないように思います。つまり、子どもへの過剰な手助けはその子のためにはなりません。思い切って自分の子どもを“手放す勇気”が必要ではないでしょうか」

――恵まれすぎている子どもたちがチャレンジをしない。親が先回りしすぎて必要な失敗経験もできないまま大人になってしまうという話もよく聞きます。

「一番気を付けなければいけないのは、その子が本来得なければいけない達成感を親が奪ってしまうことですよね。今の親世代も実はもう過保護に育てられてしまった世代で、子ども時代に達成感を親に奪われていて、今それを体感しているという見方もできるかもしれません」

――達成感を奪うとは?

「子どもが挑戦して、努力や工夫を重ねることで得られるはずの達成感を、親が先回りして手助けしてしまうことでつぶしている。親の方が『私がしてあげた』という達成感を得てしまっているように感じます」

(C)UZA

親は自分のボキャブラリーを鍛え、答えのない“問題”を出そう

――親が子どもを同一視、同人格化してしまうことは大きな問題ですね。

「お母さんからよく、『先生の言うことは聞くのに、私の言うことは聞いてくれない』という相談を受けますが、そうじゃないんです。誰が言うかではなく、どんなことを言うか。よくよく話を聞くと、そういうお母さんはいつも同じ言葉でしか子どもに話しかけていません。子どもにどんな言葉をかけるかというのはとても重要で、『ちゃんとしなさい』ばかり聞いている子どもはあっという間に『ちゃんとしなさい』が耳に入らなくなります。親はいつも言っているのにと思うのですが、子どもからしたら何も言われていないのと同じ。その点、教師、教育者は生徒に応じて、その子に伝わるようにいろいろな言葉で語りかけています。子どもに伝えるためのボキャブラリーが大切になるのです」

――子どもに語りかける語彙を増やすことが必要なんですね。

「もう一つ、親が勝手に答えを出してしまうのではなく、子ども自身に考えさせるような“問題”を出してあげることです。例えば、3000円の物が欲しい子どもがいたら黙って買ってあげたり『ダメ』と言う前に、『2500円は出してあげる。あとの500円をどうするか自分で少し考えてみたら?』という問題を出す。こうすることで、子どもたちは500円を埋める工夫を始めるわけです」

――山本さんが子どものころに自然としていた工夫と大きな目標のための妥協が学べるというわけですね。

「そうです。もし答えが親として認められないようなものなら、もう一度考えてみてと言えばいいのです。親を納得させるやり方、方法はたくさんあって、学校の勉強のように正解がない。なぞなぞにだって正解はありますよね。答えがない問題をやることは脳に非常に良い働きがあります。これは公式で正解にたどり着く勉強よりも、ベストパフォーマンスを発揮するために、それぞれの選手が自分に合ったトレーニングをして結果を目指すスポーツに近いですよね。私たちはずっとその穴埋め問題をやってきたようなものです。親が子どもの達成感を奪っていると言いましたが、同じ達成感でも、『良い問題を出した』『この問題を考えることで子どもが成長できた』という教師と同じような子どもを導く達成感を得た方がずっと良いのではないでしょうか」

――心構えはわかっていても、なかなか行動に移せない保護者の方も多いかもしれません。スポーツのようにトレーニングするためにはどんなことが有効でしょう?

「とにかく言葉の勉強はたくさんすべきですよね。子どもに伝える方法として、たくさんの言葉を手に入れることです、これをスマホに頼っていてはいけません。スマホのメッセージや絵文字は、一つの伝達方法としては良いのですが、大切なことは面と向かって言葉で伝える。私は良い教員と悪い教員の差はボキャブラリーの差だと思っています。言葉が出ないから手が出る。体罰、暴力の問題もここに根源があると思っています。だから、お父さん、お母さんも、積極的に言葉の勉強をしてほしいと思います。大人になるとなかなか学ぶ機会が無いと思いますが、語彙を増やすための方法としておすすめしたいのが、普段の人付き合い、いつもしている情報収集の手段を変えてみることです。いつも同じママ友とばかりいれば使う言葉も決まってきます。同じテレビ番組ばかり見ていても同じです。今の世の中は選択肢が無限にあるように見えて、実は偏った情報が集まってくる社会です。雑誌、インターネットでも見るものが決まってしまっているのを少し変えてみることが大切です」

――夢をあきらめない心を養うためには、親にも変化が必要なんですね。

「親だけでなく子どもでも大人でも、社会に閉塞感がある中で、なかなか夢を持ちづらいという人が増えています。そういう人たちに言いたいのは、何か少し、簡単にできることでいいから、昨日と違うことをやってみてほしいということです。ご飯を食べるとき、いつもはお米から食べているのを野菜からにしてみるとか、お味噌汁にしてみるとか、本当にそんなささいなことからでもいい。とにかく“昨日と違うこと”にチャレンジしてみる。どんな小さなことでも、行動が変われば習慣が変わり、やがて意識が変わっていきます。私も2~3年前に左で使っていたおはしを右に持ち替えました。やってみると、意外に難しい。右手はなんとかなるのですが、自由が利く左手をどう使っていいのかわからない。お茶碗ってどうやって持てばいいんだっけ?と今でもたまに不思議な感覚になります。56歳でオリンピックを目指すことも大切ですが、それと同時にこうした日常の変化を意図的につくることも大切。大きな夢をかなえるために、日々の積み重ね、報われない努力をいかに続けていけるか。そうしたことを大切にしていきたいですね」

<了>

(C)UZA

取材協力:CHICHICAFE(東京都世田谷区玉川1-2-8)

[PROFILE]
山本博(やまもと・ひろし)
1962年生まれ、横浜市出身。1984年ロサンゼルス大会でオリンピック初出場、銅メダルを獲得。20年後となる2004年アテネ大会で銀メダルを獲得し、“中年の星”として注目を浴びる。2006年、世界ランキングで日本人初となる1位を獲得。オリンピック5大会出場など国内外の大会で好成績を収める。現役選手として57歳での東京2020オリンピック出場を目指す。日本体育大学教授 博士(医学)、同大学アスレチックデパートメント長。東京都体育協会会長。東京オリンピック・パラリンピック競技委員会顧問会議顧問。

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大塚一樹

1977年新潟県長岡市生まれ。作家・スポーツライターの小林信也氏に師事。独立後はスポーツを中心にジャンルにとらわれない執筆活動を展開している。 著書に『一流プロ5人が特別に教えてくれた サッカー鑑識力』(ソルメディア)、『最新 サッカー用語大辞典』(マイナビ)、構成に『松岡修造さんと考えてみた テニスへの本気』『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』(ともに東邦出版)『スポーツメンタルコーチに学ぶ! 子どものやる気を引き出す7つのしつもん』(旬報社)など多数。