日本語はシチュエーションによっては、『わからへん!』

――それにしても、日本語が上手です。どうやって覚えたのでしょうか?

「レッスンは、あまりやらなかった。関西弁の友達とご飯を食いに行って、カンバセーション(会話)ね。だから、変な日本語ばかり知っているけど、敬語とか、税理士さんとの話みたいな、普通のシチュエーションじゃないときの言葉はわからない。銀行に行く。受付の女の子が早い日本語を言う。『ちょっと、わからへん』ってなる!」

――2006年から長らく大阪の近鉄ラグビー部でプレー。試合や練習中の日本語は問題ありません。

「でも、このチーム(サンウルブズ)は外国人ばっかりだから。時々、日本語を使っても皆がわからへん! こっちも、少し英語を忘れちゃっていたり」

(C)VICTORY

ワールドカップの思い出 初出場の2007年、期待された2011年

――ここからは、ワールドカップについて振り返っていただきます。初出場は2007年のフランス大会でした。トンプソン選手はこの年から日本代表でプレーし始めます。

「来日4年目のときね。それまでは(歴代所属先の)三洋電機、近鉄のラグビーにだけ集中していた。3年目は、友達のフィリップ・オライリーが日本代表でプレーして『楽しい。トモとやりたい』と言っていたけど、僕はジャパンについてあまり考えていなかった。ただ4年目になって、JKが僕を合宿に呼んでプレー、キャラクターをチェックして……」

――「JK」とは当時のジョン・カーワン ヘッドコーチ。かつてのニュージーランド代表の英雄でもあります。初めて出たワールドカップは、いかがでしたか。

「めちゃ、楽しかった。ターゲットは(2戦目の)フィジー代表戦、(4戦目の)カナダ代表戦。目標はもちろん勝つことだったけど、プレッシャーはあまりなかった。(大西)将太郎、ブライス・ロビンス、ハレ・マキリ、キンさん(大野均)、(遠藤)幸佑、コス(小野晃征)、佐々木(隆道)がいて、箕内(拓郎)さんがキャプテン……。チームはいい雰囲気だった」

――カーワン体制は、2011年のニュージーランド大会まで続きます。

「ジャパンはどんどんレベルアップした。JKがよりプロフェッショナルな分析、トレーニングを始めて。でも、それをやったのは日本だけじゃなかった」

――2007、2011年の戦績は2大会連続で1分3敗。引き分けた相手がカナダ代表だったことも両大会で共通しています。

「2007年は頑張って、ギリギリ勝てなかった。2011年は(勝てるという)期待、プレッシャーがあって、結果は、残念。ベストを出せなかった。2011年の大会前はめちゃ、いい準備ができていた。パシフィック・ネーションズカップで優勝して、(予選同組の)カナダ代表、トンガ代表には(大会前の対戦で)何度か勝っている。カナダ代表、トンガ代表には勝てる。(初戦でぶつかる)フランス代表にも勝つチャンスがあるという感じだったけど……。本当に、残念。フィジカルは大丈夫だった。(問題は)メンタル? 大きなことじゃなく、小さいこと。でも、言い訳なし」

(C)Getty Images

――いずれにせよ、ワールドカップはラグビー選手にとってのお祭りです。

「ワールドカップはめちゃ素晴らしい経験。毎回、毎回、楽しみ。フランス大会は特別。なぜなら初めてだったから。ニュージーランド大会も特別。なぜなら自分の生まれた国で、友達、家族の前でできるから。友達、プレーヤー、ファン、チームメイトにはありがたい(と思う)ね」

<後編へ続く>

[PROFILE]
トンプソン ルーク
ポジション:ロック
1981年4月16日生まれ、ニュージーランド・クライストチャーチ出身。現所属は、近鉄ライナーズ(トップリーグ)、および、サンウルブズ(スーパーラグビー)。2010年7月、日本国籍を取得。ワールドカップ3大会連続出場。2015年イングランド大会での躍進に大きく貢献し、その活躍は多くのファン・関係者から絶賛された。日本代表キャップ64(2018年11月時点)。


VictorySportsNews編集部