最後の1枠を獲得するには、1月の大阪国際女子マラソンで松田瑞生(ダイハツ)がマークした日本歴代6位(当時)の「2時間21分47秒」を上回らないといけなかった。しかも、スタート時の天候は雨、気温8.4度。レースが進むごとに気温が下がる難しいコンディションのなかで〝新たな才能〟がキラリと光った。

トップ集団はキロ3分20秒ペース(2時間20分39秒ペース)で進むが、25km以降はペースメーカーの動きが鈍る。29km手前でワコール・永山忠幸監督から「いつでも行っていいよ!」と声がかかると、一山が驚異的な高速ラップを刻んだ。

29~32kmをキロ3分14秒ペースに引き上げて、32~33kmはキロ3分10秒までスピードアップ。自己ベスト2時間20分39秒のピュアリティー・リオノリパ(ケニア)と同2時間21分01秒のヘレン・トラ(エチオピア)を突き放した。

30kmの通過タイムは大阪国際の松田から40秒遅れていた。しかし、一山は35kmまでの5kmを16分14秒で走破すると、40kmまでの5kmも16分31秒でカバー。冷雨のなかを爆走して、東京五輪への道を突き進んだ。

一山は2位以下を2分以上も引き離して、2時間20分29秒の大会新でフィニッシュ。日本人国内最高記録(2時間21分18秒)を17年ぶりに更新すると、日本歴代記録でも野口みずき、渋井陽子、高橋尚子に次ぐ4位にランクインした。

瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、「前半よりも後半の方が23秒速い。驚きでした。この走りをすれば、世界でも通用するんじゃないかと思っています。東京五輪が楽しみですし、日本記録を狙う一番手だと思っています」と一山の走りと今後の可能性を高く評価した。

■強さを支える“鬼練習”

女子マラソンの日本記録は野口みずきが2005年のベルリンで打ち立てた2時間19分12秒。男子マラソンは2017年以降に日本記録が3回も塗り替えられた一方で、女子は伸び悩んだ。しかし、今年に入り、潮目が変わり始めている。1月に新谷仁美(積水化学)がハーフマラソンで1時間6分38秒の日本記録を樹立すると、2月の青梅マラソン(30km)で前田穂南(天満屋)が1時間38分35秒の日本最高をマークした。

「女子マラソン界は今どんどん(記録を)変えていかなくちゃいけない。私たちがやりたいという思いを素直に練習にぶつけてきたんです」と永山監督。松田の2時間21分47秒ではなく、「2時間21分を切って、野口みずきさんの日本人国内最高記録(2時間21分18秒)を動かしたい」と考えた永山監督は、米国・アルバカーキ合宿(2月4~29日)で一山に〝鬼練習〟を課してきた。

一山も「可能性はゼロじゃないなと思って、監督の鬼メニューを信じてやってきました」と45km走や5km×8本という厳しいトレーニングにも前向きにチャレンジ。その成果が名古屋で〝爆発〟した。

中学時代から「東京五輪に出たいなあ」とぼんやり考えていた一山がワコール入りを決めたのは高校2年時。当時から「マラソンでオリンピックに出たい」という熱い思いを抱いていたという。その情熱をスカウトから聞いた永山監督は、一度も会うことなく、採用を決めた。そして、「それだけの思いがあるのであれば、オリンピックを目指して、育てないといけない」と自身にもプレッシャーをかけてきた。

高校時代は全国大会で目覚ましい活躍はなかった一山だが、入社1年目の5月に5000mで15分44秒33をマーク。永山監督は、「福士加代子と比べても近いところに来ている。福士の路線で行けるのかな」と高卒ルーキーの将来性を感じていた。一山本人も入社1年目に「東京五輪はマラソンで狙う」という目標を立てた。

入社2年目(2017年度)は日本選手権の5000mと10000mで4位。ロンドン世界選手権にあと一歩届かず、入社3年目(2018年度)の日本選手権も10000mで5位に終わった。トラックでは福士ほどの活躍はできなかったが、一山は予定通り、マラソンで東京五輪を目指した。

昨年3月の東京で初マラソンに参戦。冷雨のなかで2時間24分33秒をマークした。4月のロンドンは2時間27分台で走り、MGCの出場権を獲得。9月のMGCは調子が上がらないなかでも、自ら高速レースに持ち込んで6位に入った。

そして名古屋に向けては、福士加代子の存在が大きく影響している。彼女がこなしてきたメニューや世界大会での経験がチームの財産になっているからだ。

「福士君で13回マラソンをやって、失敗も成功もありました。名古屋に向けては、福士君の練習よりも質・量ともに1.2倍くらいUPさせたんです。福士君はトラックでスピードを追い過ぎた分、遅いペースの練習にストレスがかかるんですけど、一山君にはそれがありません。苦しいことから逃げてしまうと勝てない。彼女が鬼メニューという練習も外さないでやってくれた。それが今回の結果につながったと思っています」(永山監督)

福士はオリンピックに4回出場して、2013年のモスクワ世界選手権は女子マラソンで銅メダルを獲得している。偉大な先輩が残したレガシーが後輩たちに引き継がれた。

「福士さんがいなかったら、今の私はいないと思います。すごい先輩と一緒に練習させていただき、学ぶことが多かった。スタッフの方々が細かいところまでサポートしてくれたのも大きいですね」

■世界を相手に戦う

一山は約1年間でマラソン4レースに出場した。トップ選手は年間2レースが一般的で、22歳という年齢を考えると〝異様〟ともいえる多さだ。しかし、「計画的」に積み上げてきた。そして、マラソンを始めて1年ちょっとで、タイムを2分以上も短縮。日本歴代4位まで急上昇した。

日本歴代1~3位の野口、渋井、高橋は2時間19分台をマークしているが、いずれも男子のペースメーカーが終盤まで引っ張ったなかで生まれた記録。名古屋の一山は女子単独レースでの日本記録だった。気象条件とレース展開を考えても、まだまだタイムを伸ばす余地がある。

しかも東京五輪は今夏開催が見送られ、2021年7月~8月での開催が決定した。一山への期待感はもっと大きくなる。もちろん、27歳で迎える2024年のパリ五輪ではさらに強くなった姿が見られるだろう。

昨年10月のシカゴでブリジット・コスゲイ(ケニア)が2時間14分04秒の世界記録で突っ走った。自己ベストを考えると、世界との差は小さくないが、永山監督は、「一番光り輝くメダルを狙いたい。練習メニューは鬼と言われようと、やるしかないと思っています」と名古屋を上回る〝鬼鬼メニュー〟を考えている。一山も「オリンピックに向けてはもう一段階質の高い練習をして、日本代表としてカッコいい走りができたらいいなと思っています」と世界を相手に勝負していく覚悟はできている。

福士加代子が届かなかった女子マラソンの「日本記録」とオリンピックの「金メダル」という大きな野望に向けて、一山はこれからも攻めていく。


酒井政人

元箱根駅伝ランナーのスポーツライター。国内外の陸上競技・ランニングを幅広く執筆中。著書に『箱根駅伝ノート』『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。