幻となった直接対決

 日本時間2月12日朝、信じられないニュースが飛び込んできた。キプタムさん死去の速報を、地元ケニアの報道を引用して国際通信社が打電してきた。その後、程なくして世界陸連(WA)も死去をホームページで紹介するなど衝撃的な知らせが世界中を駆け巡った。

 マラソンの申し子と言っていい。WAなどによると、キプタムさんはケニア西部の高地に位置し、長距離選手を多く輩出しているリフトバレー地域で生まれ育った。13歳で本格的に競技を始めると、マラソンデビュー戦となった2022年バレンシアでいきなり2時間1分53秒を記録し、初マラソン世界最高で制した。2023年4月のロンドンではさらにタイムを縮め、大会新となる2時間1分25秒をたたき出した。そして同年10月のシカゴで、人類史上初の2時間1分切りとなる2時間0分35秒で優勝。それまで頂点に君臨していたキプチョゲの記録を34秒も更新した。

 ケニアの地元当局によると、事故は現地2月11日の午後11時頃発生。キプタムさんが運転する車がコントロールを失って巨木に激突。キプタムさんと、同乗していたコーチは即死だったという。結局、マラソンの生涯成績は3戦全勝。次は4月のロッテルダムに出場予定で、史上初の2時間切りの希望も背負う全盛期だっただけに、驚天動地の悲報だった。

 キプチョゲも同じくリフトバレー地域で育った。2022年9月のベルリンで2時間1分9秒の当時世界新をマークするなど無敵だった中、台頭してきたキプタムさんは母国の後輩。今夏のパリ五輪では〝夢の直接対決〟かと以前から興味を引いていただけに、キプチョゲの思いは複雑だろう。訃報に際し、自身のX(旧ツイッター)で「今後の人生全てで素晴らしい偉業を達成するはずだった選手。深い悲しみに包まれている」と哀悼の意を示した。

 キプチョゲと日本のなじみは深い。2022年3月の東京マラソンで2時間2分40秒の大会新記録で優勝した。その約7カ月前の東京五輪では会場が変更された札幌で2位に1分20秒の大差をつけて快勝し、五輪2連覇を成し遂げた。今年の大会に向けては「いい練習に取り組めていて、今回のレースが、オリンピックでの3連覇達成に向けた、完璧な準備になると信じています」とコメント。39歳でも衰え知らずの自信を表した。

ハイペース必至の首都巡り

 日本選手にとってはパリ五輪切符を懸けた最終レースとなる。昨年10月のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で、2位までが自動的に五輪代表となった。今回の東京マラソンは「ファイナルチャレンジ」最終戦で、設定タイム2時間5分50秒を突破した最上位者が五輪出場権を獲得する。この条件を満たす選手がいなければ、MGC3位で東京五輪6位の大迫傑(ナイキ)がパリへの切符を手にする。ターゲットは明確だ。

 今年の大会にはまず2時間4分56秒の日本記録を持つ鈴木健吾(富士通)がエントリー。2年前の東京マラソンでは2時間5分28秒で走った実績もある。この他、前回大会で2時間5分51秒の好タイムで日本勢最高の7位に入った山下一貴(三菱重工)、同じく昨年2時間5分59秒で8位だった其田健也(JR東日本)らが虎視眈々と代表の座を狙っている。

 好記録の生まれやすいコース設定で、賞金は優勝が1100万円、2位400万円、3位200万円。また世界記録に3000万円、日本記録には500万円が贈られる。昨年9月から東京マラソン財団の新理事長に就任し、東京マラソン2024ではレースディレクターを兼任する早野忠昭氏は「レースペースはコースレコードが一つのターゲットになるのではないでしょうか。天候にもよりますが、前半は下りなのでハイペースは必至。けん制し合いながら、30㌔以降に誰が仕掛けていくのか、興味が尽きません」と予想している。キプチョゲの他にも、自己ベストが2時間3分台のケニア選手が2人エントリーするなど高速レースが有力視される。日本勢がいかに食らい付いていくかが焦点となりそうだ。

 ファイナルチャレンジ第2戦だった2月25日の大阪マラソンでは、国学院大3年の21歳、平林清澄が2時間6分18秒の初マラソン日本最高をマークして優勝した。雨中のレースで積極的な走りが光り、ウガンダの強豪らを抑えた。パリ五輪の選考対象外だった選手とはいえ、いきなり日本歴代7位をマークした新鋭の快挙に日本勢が刺激を受ける可能性があるのも追い風になり得る。東京都庁前をスタートし、日本橋や浅草、両国、銀座など首都の情緒あふれる光景を巡って東京駅前がゴール地点。号砲が午前9時過ぎに鳴り響く。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事