昨秋9月の国体・智辯和歌山戦以来の実戦登板は、6月20日のイースタンリーグ開幕戦・VS西武ライオンズ。2軍とはいえ開幕投手を任され、1イニングを14球、無安打、2奪三振の快投デビューだ。しかも初球に自己最速タイの154キロを記録したものだから、奥川の母校・星稜高のチームスローガン「必笑(ひっしょう)」よろしく、前夜のプロ野球開幕の喜びと興奮冷めやらぬうちに、笑顔を浮かべたファンも多いことだろう。
さて、次の興味は、奥川恭伸の1軍初マウンド。その“Xデー”がいつになるか、である。
まずは、ヤクルトのルーキー育成方針と“奥川プラン”をおさらいしよう。
ヤクルトには2017年から、高卒の新入団選手を対象とした「育成ガイドライン」が存在する。基本方針は「じっくり」「無理をさせない」。しかし、中学校時代に日本一、星稜高では2度の全国準V(2年秋の明治神宮大会、3年夏の甲子園)に輝くなど、高校生の中では頭抜けた経験値を誇る奥川には、“特例”の可能性もささやかれた。2019年12月16日号の週刊ベースボール【短期集中連載 スカウトが明かす2019ドラフト1位の舞台裏】で、橿渕聡編成部スカウトグループデスクはこう証言している。
「ボール自体はすでに1軍レベル。高校生ですが、即戦力に近い。1999年の松坂(大輔、横浜高-西武、16勝)、2007年のマー君(田中将大、駒大苫小牧高-楽天、11勝)のように1年目から活躍する可能性がある」。
昨シーズンの2年ぶりの最下位、そしてその低迷の決定打となったセ・リーグと球団のワーストタイ記録16連敗を受け、「1枚、絶対的なエースがいれば止められたはず」と橿渕、チームは反省を得る。
かくして、“即戦力投手”で“絶対的エース”の獲得を2019年のドラフトのテーマに据え、「リスクを背負って」(橿渕談)獲得したのが奥川である。しかし、球団に過剰な焦りはない。
「一つの基準としては交流戦明けにでも1軍で投げられれば御の字かな、と考えています。ただし、あくまで1年目は育成の一環と位置付けます。『投げ抹消』で10日間を置いても構わないと思う。5勝以上できれば素晴らしいですが、無理だけはさせない。我慢する勇気も必要です。ケガなく、1年間を過ごすこと。それが実現できれば、2021年には満を持して先発ローテーションに入ってくると思います」。
■1軍登板までのプロセス
新型コロナウイルス感染拡大の影響で今シーズンの交流戦は中止になったが、当初は5月26日~6月14日の日程で予定されていた。1月の新人合同自主トレ期間中に右ヒジの炎症が見つかって以来、調整は慎重に慎重を重ねられたこと。未曽有のコロナ禍でプロ野球の開幕が約3カ月遅れになったこと。この2点を踏まえても、“交流戦明け”の6月20日に1イニングとはいえ初実戦をクリアしたことから、おおむねプラン通りに奥川が歩を進めていると見ていいだろう。打者を相手にしたこれまでの“登板間隔”はどうか。
・5月31日 初のフリー打撃登板。ドラフト同期の長岡秀樹、武岡龍世(ともに高卒)を含む3人と対戦。直球にスライダー、フォークを交え計27球を投じ、プロ入り後最速となる152キロをマーク
・6月12日 初のシート打撃登板。2015年首位打者の川端慎吾に対し、この日最速の153キロで二ゴロに打ち取る。新球種・ツーシームも投じるなど、打者11人に対して被安打1、奪三振4、四球1の内容
・6月20日 イースタンリーグ開幕戦・VS西武に登板。結果は前述の通り。
クオリティスタート(6回以上を投げ、自責点3以下に抑えること)達成の目安となる6回100球を基準にすると、1イニングあたりの投球数は平均17球弱。奥川の球数、対戦打者をイニング数に換算すると、5月31日は2イニング弱、6月12日は4イニング弱に登板したことになる。6月20日はプロ入り後実戦初登板ということから1イニングのみだったが、打者相手の登板を中11日、中7日と徐々に間隔を詰め、段階を踏んでいることがわかる。
小川淳司GMも5月の段階で「(ブルペンでは)中5日でコンスタントに投げられている」と明かしているが、先発ローテを飛ばすことなく回る上での最長間隔は“中6日”。奥川が6月20日のイースタン開幕戦を皮切りに、中6日の間隔で登板した場合のスケジュールを仮定してみたい。
・6月20日(土) VS西武@戸田
・6月30日(火) VSロッテ@戸田
・7月7日(火) VSロッテ@ロッテ浦和
・7月14日(火) VS日本ハム@戸田
・7月21日(火) VS楽天@森林どり泉
―昇格ライン?―
・7月28日(火) VS巨人@戸田
※一部試合日程の都合上、中6日以上の登板間隔アリ
橿渕編成部スカウトグループデスクは「仮にファームで3、4試合良くても、すぐに昇格させることだけはしない」と慎重な姿勢を崩さぬ“理想の絵”を描き、高津監督は「ファームで80球から100球は投げられるようにならないといけないと思います。それを何回かこなしてから、一軍デビューでしょうね」と昇格する際にはあくまで1軍の“先発の即戦力”として迎える構えでいる。また、高津監督はテレビ番組の対談で「7月といわれれば可能性はあると思います」とかつて黄金バッテリーを組んだ古田敦也に明かしている。
仮に中6日の間隔を空けた2軍戦での好投が続き、コンディションにも問題がない場合。高津監督=現場、橿渕編成部スカウトグループデスク=フロント、双方のコメント通りにとれば、7月21日の5試合目の2軍戦(VS楽天)登板を経ての1軍昇格、1軍初登板・初先発が最短だろう。
となると、そのXデーは7月28日からの、本拠地・神宮での対阪神3連戦のいずれかとなる。
■大投手たちのデビュー戦
奥川が「目指す投手像はヤンキースの田中将大投手です。すべてのボールが一級品。エースらしくて、すべてを持っている投手。そういうふうになりたい」と入団会見でも公言した、憧れの大投手のデビュー戦はどうだったか。
2007年3月29日。当時はまだ新設3年目の球団だった東北楽天ゴールデンイーグルスの開幕5試合目が、田中の1軍公式戦デビューだった。敵地・福岡 Yahoo! JAPANドーム(当時)で、相手は12球団一の打線を誇っていたソフトバンク。結果は1回3分の2を投げ、6失点でKO。田中が制球力に絶対の自信を持っていたスライダーは、ボールゾーンに外れれば見送られ、高めに浮いては松中に痛打された。粘られた末に、苦し紛れに投げた直球は川崎に難なく打ち返された。2007年5月10日号のNumberには、「まあ、あんなにボコボコにされたのは初めてのことだったんで。ずっと悔しかったっスね。ホテルに帰ってからもずっと」という、悔しさにまみれた田中の後日談がある。
だが、2戦目の日本ハム戦(4月5日)は6回1失点、3戦目の西武戦(4月12日)は7回4失点と試合を作り、4戦目のホーム・フルキャストスタジアム宮城(当時)でのソフトバンク戦(4月18日)では2失点13奪三振完投の快投を見せ、ソフトバンクへのリベンジを果たすと同時にプロ初勝利を手にしている。その後の田中の活躍は言わずもがな、右肩上がりの青天井である。
田中がデビュー戦で感じたかつてない悔しさを糧にしたように、“平成の怪物”松坂大輔もまた、「本当のプロの洗礼を受けたあと、自分をどう立て直すかが大切だと自分は教わった」と語り、日本を代表するエースであり続けた。奥川が全国優勝を果たした中学時代の監督・三浦隆則は、中学卒業を控える彼へのはなむけに「高校では必ず打たれるよ。そこでどう考えて練習していくかが勝負や」という言葉を贈った。その言葉を、奥川は実践・体現した。高校1年生・秋の石川大会、北信越大会の決勝でともに強打の日本航空高(石川)にコテンパンに打たれたが、一冬越えた春には県大会でその日本航空を4安打完封したのだ。
松坂の155キロデビューのような鮮烈な初陣を期待したいが、仮に苦いスタートになっても悲観することがないことは、歴戦の大投手が、そして誰よりも過去に奥川本人が証明している。前述の田中と奥川には、「前年リーグ最下位球団(田中は楽天)に入団」「高校3年生の夏の甲子園で準V」という共通点があることも心強い“吉兆”としてほしい。
外柔内剛。奥川には、この形容がよく似合う。温厚そうに見えて、内面には恐ろしい闘志を秘めている。耐えて勝つ。星稜高校のモットーであり、内に熱きマグマを抱える奥川らしい、彼の好きな言葉だ。
選手もプロ野球ファンも、3カ月の球音鳴らぬ時間を耐えて、開幕を迎えた。耐えた先の光を、興奮を、野球好きは今、存分に味わい始めている。笑う門には福来る。笑顔は人を魅了する。ヤクルトの応援の代名詞『東京音頭』も、マウンド上の彼に笑顔をもたらしてくれるだろう。「必笑」の先にある、一勝を早く観たい。
10年後に括られる呼称は、奥川世代か、それとも(千葉ロッテマリーンズ・佐々木)朗希世代か――。その答えはまだ誰も知らないが、プロの世界に羽ばたく一球は、まもなく投げられようとしている。
(敬称略)