--まず、今回さいたまブロンコスに関わることになった経緯を教えてください
「ひょんなきっかけで、お話をいただく機会があり、こういう話になりました。群馬クレインサンダーズの社長を退任したことも含めて、やはりもっとスポーツビジネスを学ばなければいけないと感じる部分が多々ありましたし、これからBリーグの中で生き残っていくチームになるためには、アリーナとの一体経営の実現が年を増すごとに自分の中で大きな課題になっていました。ただ、(クラブの)コンテンツを動かさせていただく権利はあるものの、どうやったらアリーナを実現できるのかという部分の壁に当たっていたというのが正直なところです。その中で、さいたまブロンコスが今回、そこに向けて動いていくということを伺い、ぜひさいたまでやらせてもらえないかと手を挙げさせていただきました」
--以前から池田オーナーと面識があったということですか
「それが、全然ありませんでした。とあるB2のクラブの代表をやられていた方の紹介で、今回の話がありました。実際に行ってみたら、池田さんがいらっしゃって驚いたのが正直なところです。実は、私がプロスポーツビジネスに携わりたいと思ったのは、池田さんの著書『空気のつくり方』(幻冬舎刊)を読ませていただいたことがきっかけでした。ちょうど、以前いた会社でマネジメントやマーケティングの社内勉強会があり、その時に紹介されたのが池田さんの本だったんです。それ以来、スポーツビジネスをやってみたいという思いを抱き、池田さんのいろいろな話も関心を持って聞いていました。だから、まさか自分が池田さんと一緒に仕事ができるとは全く思っていなかったですね」
--池田オーナーは、横浜DeNAベイスターズで約24億円あった赤字を解消して黒字化するなど大きな実績を上げました。そのベイスターズでの取り組みにも注目していたということですか
「そうですね。半官半民だった横浜スタジアムをTOB(株式公開買い付け)で球団の傘下に収めたという話を、ちょうどラジオか何かで聞いて、すごい人がいるものだなと思った記憶があります。そこから、いろいろな本を読ませていただきました」
--ベイスターズの球団と球場の一体経営が北川さんの心に刺さった
「そうですね」
--そもそも、北川さんご自身がスポーツビジネスに関わることになったきっかけは何だったのでしょう
「元々、群馬クレインサンダーズの運営会社(株式会社群馬プロバスケットボールコミッション)を創設した会社の取締役をやっていて、4年ほど前に前オーナーである当時のオーナーから『ちょっと、バスケの方を手伝ってもらえないか』というお話をいただき、始めたのがきっかけですね」
--B2群馬を創設した会社というのは現在も取締役を務めている株式会社GENKIDOのことですね
「そうです。5年前に役員として入らせていただき、コンサル的な立ち位置でやらせてもらい、今も非常勤の取締役という形でやっています」
--元々はスポーツビジネスに興味があったわけではなかったのですか
「そうですね。群馬クレインサンダーズの経営の立て直しの話があるまでは、まさか自分がプロスポーツをやるとは思っていなかったです」
--群馬クレインサンダーズは昨季途中から東証一部上場企業でもある不動産大手オープンハウスがサポートし、この6月25日には完全子会社化されています。その動きにも関わられたということですか
「クレインサンダーズは債務超過に陥ってしまい、Bリーグのライセンス剥奪というところまできていました(注:公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグに所属するクラブは損益計算書と貸借対照表の2種類の概要が公開されており、債務超過に陥るとB2ライセンスが交付されないルールになっている)。選択肢としてはM&Aをしてもらうようなアクションをするか、B3に落ちて一から出直すか。この2択を役員会で審議をすることになり、副社長だった私は基本的に地元の企業の皆さまともう一度リスタートという形でB3からやれないかという意見でした。しかし、その考えだったのは正直私だけで…。チームが常にB1昇格を狙うような成績だったのも大きかったと思います。なので、手を挙げてくれる企業があるのだったら、そこにきちんと売却してB1を目指していくのがいいんじゃないかということが役員会で決まった。その後、交渉の窓口やデューデリ(デューデリジェンス=投資やM&Aの取引に際して行われる対象企業の調査活動のこと。契約内容などに反映される)の作業を含めて私がやっていたという形です」
--その結果、群馬クレインサンダーズは一定の経営安定が得られた
「債務超過も親会社に消していただきましたし、来シーズンに向かって100%の完全子会社化もしたので、財務の機動力、盤石な基盤にはなったかなと思います」
■賛否両論はあっていい
--せっかく安定させたB2の運営会社を辞めて、新体制がスタートしたばかりのB3のクラブのバイスチェアマンに転身する。一般的には、字面だけ見ると理解しにくい部分もあります
「バスケットボールを愛してくれる方々が、全てハッピーになってもらいたい。強いとか弱いとか、そういうことだけじゃなく、地域を元気にするコンテンツであってほしい。当時、私はクラブを残すためには、その道を推進することが全てだと思っていたんです。だから、違った形でプロスポーツチームの在り方というものにチャレンジしたいし、学びたい。そういう思いでいます」
--大手企業の傘下にあるクラブとは、また異なるチャレンジになる
「そうですね。当然今のこの世の中においては、しっかりとした資本、資金が潤沢な企業が付かない限りは、なかなかB2の経営というものは厳しい部分があるのが現実です。でも、何かもしかしたら今、池田さんがやろうとしていることから新しいプロスポーツの形を生み出せるのではないかとも思うんです。もし、私がそのノウハウを持っていれば、B3に落ちてでも群馬クレインサンダーズを現体制でやっていこうと言えたのかもしれない。そういう思いが本当に強いですね」
--池田さんもDeNAという大きな会社のもとでベイスターズの球団社長を務め、今回は自ら個人オーナーとして 、オーナーシップを持ってプロスポーツチームを経営するという挑戦に打って出た。そういう部分への共感があったということですか
「ありますね。そこは、すごくありますね」
--池田オーナーと初めて会った時の印象は
「やはり、天才だなと思いました。異端児的なクレバーなイメージがあり、すごく豪快な人だなという雰囲気でしたね。ただ、ともに行政などを回らせてもらったりとか、ステークホルダーの方とお話をしたりとかしていると、そのときの姿勢、相手の思いを汲み取ろうとする話し方など本当に勉強になることがたくさんあります。あまり他の方々が知らない姿を見させていただいていると感じていて、やはり人を巻き込んでやっていくというのはこういう部分なのだと感じています」
--“異端児”というのは一面でしかない
「おっしゃる通りですね。今までこんなに細かいところまで、ボトムのところまでキャッチアップしてやられていたことは恐らくないだろうと思うのですが、そこまで一緒にやってくれます。例えば、選手とグッズのデザイナーやアカデミーのコーチを兼務する“二足のわらじ契約”を結んだことが話題になりましたが、それこそ徹夜で選手の契約書を一人一人一緒に考えたりしています。そういう姿を見て、いかに自分が今まで親会社のミルクマネー(支援金)に甘えて、社長をやっていたのかと恥じる機会は多かったですね。こんな話をすると、池田さんには『人格が崩れるからやめろよ』と怒られるかもしれませんが(笑)」
--さいたまブロンコスは7月1日付でチーム名、チームロゴ、チームカラーが刷新され、新たなスタートを切りました。そうして立ち上がった“新生ブロンコス”の現状については、どう感じていますか
「池田さんの中では、クラブが特定の誰かのためだけのものであってはいけないという思いがすごく強く、目指すべきゴールを明確にしながら進めていっていただける。芯がぶれないで仕事をすることの大切さをとても感じます。ベイスターズの時と同じだと言われていましたが、2、3年後にそれが正解だったという青写真が描かれているのだと思います。とってつけた付焼刃的なものではないので、そういうところを一から学べるのは私にとって、非常に貴重な経験になっていますね」
--群馬クレインサンダーズの時とは違う感覚
「そうですね。こうなったらいいなという感覚を、そのままで終わらせないという感じでしょうか。口にしたら最後までやれよと。行政とこんなアライアンス(協力体制)を組んでいきたいとか、子供たちをこういうふうに巻き込んでいきたいとか、そのために今何をやるんだとか、どこまで行けるんだとか。やはり、そういうことについて、きちんと話をする機会があるのが大きいです。さいたまブロンコスというアイデンティティーを、毎週“Zoom飲み”をしながら目線を合わせてくれる作業もしてくれるんです。池田さんの言葉で言うと『人格を合わせる』作業。『ブランドをつくっていくというのは、こういうことだったんだな』と。これが本当に勉強になりますね」
--では、北川さんが考える今後のさいたまブロンコスの理想像とは
「池田さんからは『全部、俺からノウハウを盗め』と言われています。自分でチャレンジするノウハウをこの5年間で身に付けろと言われています。今現在のさいたまブロンコスのことで言えば、さいたまがバスケットボールの聖地になるための一つの重要なファクターにブロンコスがなれればというのは、すごく強いですね」
--チーム名からロゴやカラー、さらにさいたま市と所沢市のダブルホームタウンになるなど、これまでとは一新されるブロンコスの体制に戸惑うファンの声もあります。独特の発信を続けた公式ツイッターも話題になりました
「歴史があるわりに知られていないというのが客観的な目線での実際であって、今まで通りのことをやっていても今まで通りの結果しか出ないと思っています。既存の方々へのリスペクトを忘れているつもりはありません。ただ、新しく生まれ変わること、改革することで、いろいろな物議を醸すことはあっていいと思うんです。口を出してもらい、お金も出してもらう状況をつくらないといけない。チームのカラーが何色になっちゃうんだろうとか、俺たちのブロンコスはどうなっちゃうんだろうとか、そうした話題が出てくることは決してネガティブだとは思っていません。一つのクラブが真ん中にあって、賛否両論あっていいと思います。どちらかをなくすということでは全くなく、一緒にこのブロンコスをつくり上げていって、歴史があるわりにあまり支持されていないブロンコスが、いつか埼玉の中心になればいいなと思います」
--賛否両論あっても、話題になることがプラス
「そうですね」
--北川さん個人にとって、この新型コロナウイルスの感染拡大という前例のない状況での転身は大変だったのでは
「ただ、自分自身を振り返る良い時間にはなったかなとも思います。思い描いていたことが群馬でできたのかと言われたら、これは明らかに自分の努力が足りなかったなと振り返ることもできました。もう一回プロスポーツをちゃんとやりたいという思いはクリアになったと思います」
--次の新たなチャレンジという感覚ですか
「そうですね。やはり自分たちで、もっとちゃんとやらなきゃという思いです。これからチャレンジしていきたいのは、全てのステークホルダーをしっかり巻き込んでやっていくということです。それが行政に寄りすぎても、パートナーに寄り過ぎても駄目。固定のブースター、ファンの皆さんに寄りすぎても駄目だと思っています。子供たちに夢を与える場でなくてはいけないと思っていますし、どこまで巻き込めるかということにもう一回チャレンジしたいなと思っています。ムーブメントを起こす、みんなのためのブロンコスになる。そのために、どこまでできるか、どこまで巻き込んでいけるかということにチャレンジしたいし、そこに責任を持ってやっていきたいと思っています」
--池田オーナーの考えを理解し、ともに進んでいく
「きちんと咀嚼、理解しながら、それをどう大きくできるか、ポジティブにできるかが、私の求められているところだと思っています。ミスした時は半端なく怒られますが、でも思いの先以上に行けるとすごく一緒に喜んでもらえる。何か“兄貴”と言ったら失礼ですけど、すごく気に掛けていただいていると思っているので、池田さんが本当に言いたいこと、本質がどこにあるのかを誰より理解しないといけないと感じています。さいたまブロンコスを回していく上で、本当にいろいろな人を巻き込んでいきたいと思います」
【プロフィール】
北川裕崇(きたがわ・やすたか)
1981(昭和56)年9月27日生まれ、38歳。群馬県出身。
2016年に群馬プロバスケットボールコミッションに執行役員として参画。19年6月に群馬クレインサンダーズの社長に就任。現在は一般社団法人さいたまスポーツコミッション事務局長、B3さいたまブロンコスのバイスチェアマン、株式会社GENKIDO社外取締役などを務める。