競り合いの末の“日本記録越え”

 男子100mでケンブリッジ飛鳥(ナイキ)が日本歴代7位タイの10秒03(+1.0)。男子110mハードルでは金井大旺(ミズノ)が日本歴代2位の13秒27(+1.4)をマークするなど、今回も大盛況となった。そのなかで大会MVPに輝いたのが、女子100mハードルで日本記録保持者の寺田明日香(パソナグループ)に競り勝ち、〝幻の日本記録〟を叩き出した青木益未(七十七銀行)だ。

 ふたりは予選から観衆を沸かせた。1組に登場した寺田が追い風参考ながら、日本記録(12秒97)を上回る12秒92(+2.3)で駆け抜ける。3組の青木は日本歴代6位タイの13秒08(+1.7)をマークした。

 それでもふたりは予選の走りに満足していなかった。寺田は「キレがなかったですね。決勝は1台目から3台目を重視できるように修正をかけていきたい」と話しており、青木も「予選は刻みきれなくて、あまり良くなかった。決勝はしっかり間を刻んで積極的に走ることができれば、寺田さんといい勝負ができるかな」と考えていた。

 決勝はふたりが競り合い、青木が先にフィニッシュ。タイムは12秒87と12秒93だった。風は+2.1m。公認記録は追い風2.0m以下のため、惜しくも参考記録になったが、ともに〝日本記録越え〟の快走だった。

 優勝した青木は、「今日の調子なら追い風参考でなくても、12秒9台後半くらい出るかなと思っていたんですけど、ここまでは予想していなかった」と笑顔を見せた。惜しくも日本記録を逃したかたちになったが、「ここは風が凄く良いので、仕方ない部分です。でも、自分がこのくらいの力で走れることがわかった」と大きな手ごたえをつかんでいる。

 敗れた寺田も予選と決勝で12秒9台を2本そろえるなど、非常にパワフルだった。

「決勝は中盤が浮いてしまい、予選よりも崩れたなという印象です。でも、追い風参考とはいえ予選と決勝を12秒台で走れたのは力がついてきているということ。それより先に進んで、安定的に12秒8台、7台で走るためには、新たなチャレンジをしないといけません。スプリントに対してのハードル技術が伴っていないので、そこは日本選手権に向けての修正ポイントになるのかなと思います」

これまでにいなかった、”スピード型のハードラー”

 日本における女子100mハードルは長きにわたり、「13秒00」というタイムが壁になっていた。2000年に金沢イボンヌ(佐田建設)が打ち立てた日本記録だ。

 それが昨年、大きな変化があった。日本選手権で最年少優勝(18歳)を果たし、3連覇(08~10年)を達成した寺田明日香の電撃復帰だ。

 寺田は2009年にU20日本記録となる13秒05(当時・日本歴代3位)を樹立。19歳でベルリン世界選手権にも出場した。その後は低迷するも、結婚・出産、それから7人制ラグビーの挑戦を経て、29歳で陸上界に舞い戻った。

 そして昨年のAthlete Night Games in FUKUIで10年ぶりの自己ベストを更新。これが13秒00の日本タイ記録だった。さらに寺田は2週間後の富士北麓ワールドトライアルで12秒97(+1.2)の日本新記録を樹立して、ドーハ世界選手権にも出場した。

 華麗なる復活劇を遂げた寺田にスポットライトが当たった一方で、主役の座から陥落した選手がいる。そのひとりが2018年の日本選手権を制した青木だ。昨年の日本選手権は自己ベストの13秒15で寺田(3位)を上回る2位。しかし、ドーハ世界選手権の参加標準記録(12秒98)に届かず、世界の舞台に立つことができなかった。

 そんな青木に転機が訪れる。男子110mハードル日本記録保持者の高山峻野(ゼンリン)から声をかけられ、今年から一緒にトレーニングを行うようになったのだ。「競技に対して、あまり考えていなかった」という青木は高山の姿勢に学ぶことが多いという。さらに、高山を指導する金子公宏コーチからアドバイスをもらうようになり、走り方やハードリングも変わりつつある。

「金子先生からはスプリントが上がってきている分、抜き足を前に振り出したらすぐに下ろすように注意されています。それと苦手な1台目が安定して入れるように、練習で徹底してきました。予選はハードル間を刻むことができませんでしたが、決勝はコントロールして走れたかなと思います」

 これまで青木は指導者不在の状況が続いていたが、金子コーチの指導のもとで〝上昇気流〟をつかんでいる。

 女子100mハードルの日本トップクラスは、中学時代からハードル種目をしてきた選手が多い。しかし、ふたりの〝スタート〟は遅かった。寺田は高校から取り組み、インターハイで3連覇の偉業を達成。青木はというと本格参戦は高校3年生の夏だった。

 さらにふたりはインターハイの100mを制したキャリアがある。寺田は3年時に史上初となる100mと100mハードルの個人2冠(4×100mリレーでも優勝)に輝き、青木は1年生で〝高校最速〟の座を奪っているのだ。

 100mのベストは寺田が11秒63(19年)、青木が11秒68(14年)。これは日本の100mハードル選手として、特筆すべきものだ。そして、ふたりともさらにスプリント力を伸ばしている。

 これまではハードリングが得意な選手がスプリント力を上げて勝負していたが、これでは限界がある。寺田と青木はどちらかというと逆パターン。持ち味のスピードを高めつつ、ハードリングを磨いてきた。日本人にこれまでにいなかったスピード型のハードラーが同時期に出現。ふたりが競り合うなかで、未知なる扉が開かれることになるだろう。

「今日の12秒87で自分がこれくらいで走れる力があるんだなということを感じられました。次も寺田さんと競ったなかで、日本記録(12秒97)の更新だけでなく、東京五輪参加標準記録(12秒84)を突破したい」(青木)

 10月の日本選手権では〝大記録〟が誕生する予感が高まっている。そして、東京五輪の舞台へ。女子100mハードルの戦いが熱気を帯びてきた。


酒井政人

元箱根駅伝ランナーのスポーツライター。国内外の陸上競技・ランニングを幅広く執筆中。著書に『箱根駅伝ノート』『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。