「彼は近くで見ていて、誰よりも練習をやっていました。それは本当に若い子にも負けないぐらい。僕が引退する時も、彼の練習に対する向き合い方だとか、考え方っていうのを見た時に、少し心が折れてしまったので……。石川には『あんまりやり過ぎると、周りの人がちょっとやる気なくしちゃうかもしれないから』っていうことでね、注意したいですね」

 最後は冗談めかしたが、その五十嵐の言葉が石川のすごさを物語っていた。身長167センチ、体重73キロ。野球選手でなくても小柄な部類に入る体格で、40歳の現在まで通算173勝を積み重ねることができたのはあくなき向上心、そしてたゆまぬ努力の賜物だ。

 昨年、ヤクルトの石井弘寿投手コーチがしみじみと話したことがある。

「同じことを毎日繰り返すっていうのは大変だと思うんですけど、それを毎日繰り返して、その中でさらにどうやったら自分は良くなるのかなっていう気持ちを、あの歳になっても持っている。それを常に考えながらやってるっていうのが、石川のすごいところですよ」

 さらに、石川についてのこんなエピソードも明かしてくれた。

「オフでも朝の5時半、4時半ぐらいから走ってますよ。1人で5キロ、10キロ走ってね……。そうやって(周りからは)見えないところでもやってるんで。僕らもあの歳になったらあんまりこうしろって言うこともないですけど、本人からは(自分たちに対して)すごく質問が多いんです。探求心ですね」

 五十嵐もメジャーリーグ、福岡ソフトバンクホークスを経て10年ぶりにヤクルトに復帰した昨シーズン、石川についてこう話している。

「技術的に良いものを常に追及し続ける探求心であったり、向上心っていうのは昔から変わらないです。それに加えて、今回(自身のヤクルト復帰で)久しぶりに会った時に、彼の精神的な強さというか、『誰に何と言われようが200勝する』っていう言葉の中に、彼の強さとか(彼)らしさを感じましたね。だからここまで第一線でやり続けられているんだなっていうのを、前よりも強く感じました」

 さらに──。

「彼に聞いたことがあるんですよ。何年か前に十何連敗したことがあって(2017年に11連敗)、その時に本人も辛かったって。そういう時に、なんだかんだと理由をつけて逃げ出すっていう選択肢もあるんですよね。(石川は)それを選択するのは簡単だと思ったけど、そこでそれをやってしまうのは自分にとって良くないっていうことで『絶対に逃げ出さないでやり切る』っていうふうに思ったって。そういう言葉を聞くとね、いろんな経験を経て今、ああいうふうにプレーヤーとしても人間としても、魅力ある人になったのかなと思いますね」

 そこまで話すと、五十嵐は感に堪えないといった面持ちで「あいつマジすげぇ。すごい!」と続け、最後に「あの体の大きさであの精神力はちょっとね、普通じゃないよね。かなわない」と言って笑った。

日本球界での200勝に最も近い男

 そんな五十嵐は、自身の引退会見では事前に石川に電話で引退を報告して、その翌日には埼玉・戸田の二軍施設で一緒にキャッチボールを行なったことも明かしている。

「一緒に練習して、何気なく、キャッチボール相手がいなかったので石川とキャッチボールをやったんですけど。なんかね、当時(若手時代)のことを思い出して、キャッチボールをしながら泣きそうになっちゃったんですけれども。近くに後輩もいたし、恥ずかしいのでグッとこらえてキャッチボールやったんですけど、うーん。ちょっと辛かったですね」

 石川は五十嵐が涙をこらえていたことには気付かなかったというが「僕もちょっと、なんかさみしかったですね。やっぱりさみしい思いが強かったです」と話す。もちろん「200勝を見せてもらいたい」という盟友の思いは、しっかりと受け止めている。

「亮太が『マサ、200勝頑張ってくれ』と言ってくれて、そういう気持ちは本当にうれしいです。亮太やそういう(先に引退した)人たちの思いを背負えるなら背負ってですね、簡単な道ではないですけど、体が元気なうち、そして必要とされてるうちはなんとか目指したいなという思いは、より一層強くなります」

 日米通算ではニューヨーク・ヤンキースの田中将大が180勝を挙げているが、石川の173勝はNPBの現役投手としては最多。つまり、日本球界では200勝に最も近い男ということになる。だが、3年ぶり9回目の開幕投手を務めた今年は、石川にとってかつてないほど「1勝」が遠いシーズンになった。

 開幕戦から2試合続けてリードしたままマウンドを降りるも、いずれも後続が逆転を許すなど勝ちに恵まれず、7月半ばには上半身のコンディション不良により離脱。9月30日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜)で待望の今季初勝利を挙げ、再び200勝への道を歩み始めた。

 五十嵐の引退発表後、初めて先発マウンドに上がった10月21日の読売ジャイアンツ戦(神宮)では、緩急を使った熟練の投球で6回を3安打、1失点に抑え、また一歩前進。試合後は昨年9月6日以来、411日ぶりに本拠地・神宮球場のお立ち台に上がり「五十嵐の分もじゃないですけど、一歩一歩ですけど、なんとか頑張っていきたいなと思っています」と言葉に力を込めた。

 今シーズン、ここまで13試合に先発して2勝7敗、防御率4.61という成績は、石川自身とうてい納得できるものではないだろう。ただし、13試合中5回を持たずにマウンドを降りたのは2試合だけと、まだまだ試合をつくる能力には長けている。現在は最下位に沈むヤクルトにあって、貴重な戦力と言っていい。

 来年1月で41歳。先にユニフォームを脱ぐ五十嵐の思いを胸に、自らも「目標」と定める200勝を目指す。「体が元気なうち、そして必要とされているうち」は、歩みを止めるつもりはない。


菊田康彦

1966年、静岡県生まれ。地方公務員、英会話講師などを経てメジャーリーグ日本語公式サイトの編集に携わった後、ライターとして独立。雑誌、ウェブなどさまざまな媒体に寄稿し、2004~08年は「スカパー!MLBライブ」、2016〜17年は「スポナビライブMLB」でコメンテイターも務めた。プロ野球は2010年から東京ヤクルトスワローズを取材。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』、編集協力に『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』などがある。