瀬戸は19年夏の世界選手権(韓国・光州)の優勝により、200メートルと400メートルの個人メドレーで五輪出場を内定させた。20年に入ってからは更にギアを上げ、1月18日のチャンピオンズシリーズ北京大会の200メートルバタフライで松田丈志氏の保持していた日本記録を12年ぶりに更新。その1週間後の北島康介杯では400メートル個人メドレーで4分6秒09の自己ベストを叩き出した。萩野がリオ五輪の決勝で出した日本記録に0秒04差に迫る好タイム。3月24日の五輪延期決定まで、調整は順調そのものだった。

 萩野はリオ五輪後、極度の不振に陥っていた。16年9月に受けた右肘手術の影響や、五輪王者という肩書きの重圧もあり、記録が低迷。19年2月のコナミオープンの400メートル個人メドレーで自己ベストより17秒以上遅いタイムに終わると、モチベーション低下を理由に約2カ月間の休養に入った。復帰後も本来の姿にはほど遠く、もがき苦しむ日々が続いた。不安を抱えたまま、20年4月に予定されていた東京五輪日本代表選考会を迎えようとしていた中で、五輪延期が決まった。

 絶好調の瀬戸と、低迷する萩野。母国開催の五輪に向けた格付けは済んだかに思われていたが、誰もが予想だにしなかったパンデミックにより、この構図が崩れた。

 延期決定後、瀬戸はモチベーションが著しく低下。20年4月に自身のSNSで「延期が決まった時は喪失感で抜け殻になりました」と心境を明かした。その後、小学5年時から指導を受けた梅原孝之コーチとの関係を解消。新コーチとして、埼玉栄高時代の同級生である浦瑠一朗氏を招聘した。五輪の前年に、本格的な指導経験のない新コーチとタッグを組む異例の決断。劇薬とも言える方法で気持ちを奮い立たせようとしたが、状況は好転しなかった。夏場を迎えてもトレーニングに身が入らず、練習をサボる日があり「正直、自分を見失っている部分がある。自分が何を目指しているかも分からない状態」と苦しい胸中を吐露していた。

 モヤモヤを抱えたまま迎えた20年9月、週刊誌で不倫を報じられると、競技生活は一気に暗転した。ANAから所属契約を解除され、東京五輪競泳日本代表主将の座も辞退。日本水泳連盟から事情聴取を経て「年内の活動停止」などの処分を下された。五輪代表内定は維持されたが、20年12月の日本選手権などの欠場を余儀なくされ、強化プランは崩壊。今年元日に処分が明けるまでは練習拠点としていた味の素ナショナルトレーニングセンター(東京都北区)も使用できず、都内の複数の施設を転々としながら泳ぐ日々が続いた。

 対照的に萩野は五輪延期によりモチベーションを上げた。20年6月にオンライン取材に応じた際に「僕は昨年(19年)休みをいただいて練習していなかった時期があるので、準備期間が増えたという前向きな気持ち。また頑張ろうという思いになった。1年延びたからこそ、できることがある」と語っている。20年11月には世界のトップスイマーが集うチーム対抗戦の国際リーグに東京を拠点とするチームの一員として参戦。短水路(25メートルプール)の大会ながら400メートル個人メドレーは全5レースで1位になった。20年12月の日本選手権では200メートルと400メートルの個人メドレーで2冠を達成。瀬戸の欠場したレースで結果を出し「純粋に水泳を楽しめている。子供に戻った感じ」と自信を取り戻しつつある。

 瀬戸は2月のジャパン・オープン(4~7日、東京アクアティクスセンター)で復帰する予定。新たに所属契約を結ぶ企業がないため、コーチ、トレーナーらで構成する「TEAM DAIYA」の所属でエントリーした。この大会には萩野も出場予定で、200メートルと400メートルの個人メドレーで直接対決が実現する見通し。19年11月以来、約1年3カ月ぶりに一緒のレースを泳ぐ。2人の本命種目400メートル個人メドレーの20年シーズンのベストタイムは瀬戸が4分6秒09で、萩野が4分13秒32。7秒以上の差があり、瀬戸の優位は動かないとみられる。

 ただ、周囲からのバッシングが止まない瀬戸の精神状態と、年末年始も準高地などで厳しい練習を続けた萩野の上積み次第で、2人の差が想像以上に詰まっている可能性もある。初めて同じレースに出場した小学3年時のジュニアオリンピック以来、17年以上も切磋琢磨してきた間柄。今夏のTOKYOでは、どちらに軍配が上がるのか。五輪本番会場で激突するジャパン・オープンが試金石となる。


VictorySportsNews編集部