定説との闘い

 現在、新型コロナ対策として各部屋を往来する出稽古の禁止が続く。その代わり、番付発表前の一定期間、PCR検査を受けた上で両国国技館内の相撲教習所に集まる合同稽古が行われている。今回は2月20日から6日間実施され、鶴竜は最初の2日間で実力者の御嶽海を相手に計30番取り全勝した。低い踏み込みから前まわしをつかみ、素早く寄り切る内容が光った。昨年12月に行われた前回の合同稽古では、参加したものの相撲を取らなかったことを考えれば状態は上がっている。

 ここで考慮しなければならないポイントがある。稽古相手にとってのやりにくさという点だ。鶴竜はベテランで、次の場所に進退を懸ける立場。相手からすれば、まず負傷させてはいけないという意識が働きがちだ。以前、引退危機の大関と場所前に手合わせしたある幕内力士が稽古後「思い切っていって大関にけがをさせてしまったら大変。なかなか思うように向かっていけなかった」と漏らしていた。稽古場ゆえに100パーセントの力ではぶつかっていけない微妙な心理状況。ましてや「稽古場と本場所は違う」というのが角界の定説だ。合同稽古の結果が即、春場所での好成績に直結するわけではない。

 番付社会の相撲界で、横綱の地位は別格だ。月給は300万円で、もちろん休場しても支払われる。引退後も大関以下とは違い、現役時代のしこ名のまま5年間、親方として日本相撲協会に残ることができる。親方になれるのは日本国籍保有者で、鶴竜は昨年12月に国籍を取得した。予想以上に手続きが長期に及んだといい「やっとという感じ。一つ悩みの種が消えたので、すっきりとまた相撲に集中できると思う」とコメント。土俵外の心配事が一つ消えたことはプラス材料だ。

コロナとのバトル

 白鵬に関して大きなニュースが駆け巡ったのが1月5日だった。新型コロナウイルス感染が判明したのだ。世界的にも感染拡大が続き、もはや誰でもかかる怖れのあるコロナではあるが、角界の第一人者の感染は驚きを持って受け止められた。

 本人の説明によると、1月3日の稽古で20番以上取る予定だったものの、息が上がって10番で終了。その後のちゃんこの際に弟弟子がお米のにおいの異変を指摘し、白鵬自らも確認しようとしたところ、においを全く感じなかったという。そこでPCR検査を受けて陽性となった。後に「自分が(かかるとは)というのは正直あった。どこで(感染したのか)というのは分からないという、コロナというのはそういったものなんだろうね」と戸惑い気味に胸中を明かした。

 9日間入院して回復し、嗅覚も戻ったという。こちらも合同稽古に参加し、いきなり若隆景と30番取って全勝と復調ぶりをアピール。スタミナ面について「戻ったかなという感じはする」と手応えをにじませた。次の日にも阿武咲と30番。ともに本場所で対戦しそうな相手と取り、余念のなさが伝わってきた。

 ただ、コロナの後遺症には倦怠感や息苦しさなどが指摘されている。3月14日の初日に向けて稽古のペースを上げていく途中や、15日間というタフな日程の本場所で影響が出ないか心配される。同11日は36歳の誕生日。いくら史上最多の優勝44回を誇る白鵬といえども、コロナ後の本場所は未知の領域として務めることになる。

流行へのあらがい

 両横綱が不在だったここ最近、一つの傾向がある。1月の初場所は大栄翔が制し、昨年11月場所は貴景勝が優勝。ともに埼玉栄高出身で突き、押しを得意とする。この他にも上位には隆の勝、御嶽海、阿武咲、明生、北勝富士ら、アマチュアでの経験を持つ突き、押し力士が存在感を増している。これに対して白鵬と鶴竜はともに来日してから本格的に始め、盤石なのは四つ。大きな時間の流れで捉えると、最高位に上り詰めた四つ相撲と、次世代の押し相撲の相克という視点も興味深い。

 勢力図の変遷は繰り返されてきた。例えば、横審初代メンバーでのちに委員長にもなった作家の舟橋聖一氏は生前の1943年に刊行した名著「相撲記」で技のトレンドに言及した。例に挙げたのが、相手の胸に額をつけて前まわしなどを引く「向こう付け」の体勢。舟橋氏によると、その昔はあまり見られなかったが、羽黒山と安芸ノ海(ともに後に横綱)が駆使して番付を上げたと分析し「非常に最近に、流行しはじめた斬新の作戦」と表現。向こう付けを狙った両者の対戦で、立ち合いに額同士がぶつかる際、従来にない大きな音がしたとの式守伊之助の証言も紹介している。

 その上で、随一の好角家の舟橋氏は次のように記した。「相撲取は年をとるから、弱くなるばかりではない。歳月と共に自分の技術が古くなるから、弱くなることも、計算に入れなければならぬ。それ程に、次から次へと、新しい技術が考案され、創造されて来てゐるのである。常陸山から太刀山へ、太刀山から栃木山へ、栃木山から天龍・武蔵山へ、武蔵山から双葉山への、歴史的な発展を慎重に辿つてみれば、このことは、大体、諒解されるのである」(表記は原文通り)。絶え間ない技と力のせめぎ合いが、国技の伝統継承を支えている。

 1958年以降、本場所は年間6度に増加。映像技術の発展に伴って技の研究も進む。世代交代が叫ばれて久しい情勢で、開催地が東京でも〝荒れる春場所〟となるのか。思えば、史上初の無観客開催だった昨年春場所は、千秋楽に両横綱による相星決戦となり白鵬が制した。両者が再び格下の挑戦をはね返すようであれば、日下開山の奥深さに感服せざるを得ない。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事