なぜ効くのか。その真相が徐々に明らかに

―研究が進む中、幹細胞治療が効果を発揮するメカニズムへの見解が変化してきたそうですね。

齋藤医師(以下、齋藤):関節治療の場合、未分化の細胞である幹細胞が損傷部分にくっつき、分裂を繰り返すことで細胞組織を構築し、損傷の修復を促すものと考えられてきました。しかし最近では、必ずしも何かしらの組織を構築しているわけではないという見方に変わっています。

辻医師(以下、辻):たとえば膝の損傷であれば、今までは幹細胞が分化していくことで、損傷した膝軟骨や半月板が再生されていくものとイメージされてきました。しかし実際には、軟骨や半月板が再生されていなくても痛みが緩和されるというケースが報告されています。

齋藤:組織の再形成が起きているわけではないことは、すでに整形外科分野ではコンセンサスになりました。ではなぜ痛みがなくなるのかというと、炎症を調節する分子が幹細胞から出ているのではないかという仮説が生まれています。

―炎症を治す、ではなく「調節する」とはどういう意味なのでしょう。

齋藤:痛みを引き起こす物質を、強く抑える作用があると見られています。お茶の水セルクニックでも、幹細胞治療を検討する患者さんには「再生医療」というイメージとのギャップの内容を丁寧に説明しています。

―「痛み止め」に近い作用なのでしょうか?

齋藤:痛み止めよりも、根本的な治療に結びつきやすいですね。たとえばハードに運動した夜に膝が痛くなっても、次の日には治っているという経験がある人も多いと思います。その時に起きている、幹細胞の自己治癒の役割がより強く発揮されやすくなるというイメージに近いです。

 「痛みがなくなる」こと自体も、関節治療にはとても大切です。みなさんよく勘違いされるのですが、膝軟骨は安静よりも運動による刺激を与えることで再生が促されます。「痛みが緩和される→運動が続けられる→組織の再形成が進む」というサイクルを、幹細胞投与によって促進できます。

お茶の水セルクリニック 齋藤医師(左)とアヴェニューセルクリニック辻医師(右)

自己修復機能との相乗効果が期待される

―メカニズムがだんだん明らかになる中で、幹細胞治療に適する症状の基準も変わってきているのでしょうか?

齋藤:初期から中期にかけての変形性関節症の患者への効果は実証されています。手術をするほどではないが、痛みが強いというケースですね。しかし、自己治癒が難しいレベルにまで進行してしまい、人工関節の手術を勧められるような患者については、痛みの抑制が限定的になる傾向があります。

辻:誤解していただきたくないのは、何にでも効く治療ではないということです。人の体に本来備わっている修復システムというのは大変優れており、病気やケガをしたときには「異常事態である」という情報伝達物質が体中に巡り、症状に応じた適正因子が細胞から分泌されるのではないかとも考えられています。幹細胞治療はその働きを促進するもの。すり減った軟骨や半月板のパテ埋めをするものではなく、関節が「関節としての動き」を取り戻すことで自己修復を促すと考えていただくのがいいと思います。

―アスリートに対してはどうでしょうか?

齋藤:求めるパフォーマンス次第になりますね。すり減った軟骨や半月板が、完全に元に戻るわけではありません。完全に断裂してしまった前十字靭帯にも、幹細胞治療は使えません。ただ、軟骨や半月板の故障を抱えながら、幹細胞治療で痛みを緩和することでなんとか持たせている選手もいると聞きます。

―どういう場合に幹細胞治療を選択しているのでしょうか。

齋藤:手術になるとリハビリ期間を含め長期の離脱になりますから、そこまでの重症度合いじゃない場合は幹細胞治療を選択されているようです。比較的満足できているという声も聞いています。怪我する前の状態に戻るわけではないが、やらないよりはよくなるという期待値で選択する方が多いです。

コロナ治療にも期待。質とコストの安定化を急ぐ

―この4月には大手製薬メーカーが、幹細胞を用いた新型コロナウイルスの治療薬の開発を進めると発表しました。今まで以上に幅広い分野での実用化が進むと期待されています。

齋藤:幹細胞治療の発想の源流は、免疫細胞の1つであるリンパ球の暴走を抑えるという免疫調整に関わる基礎研究です。免疫異常というテーマには、医療の全てのジャンルに共通するため、あらゆる分野での臨床研究が進んできました。
 関節や脊髄の損傷以外にも、最近では肝硬変や感染症の治療にも活用されていますが、実のところは効果が出たという結果だけがどんどん生まれていくなかで、そのメカニズムを後追いしている状況です。

辻:2014年の、再生医療関連法の施行以来、臨床研究が進むなかで、再生医療を提供する病院もかなり淘汰されてきました。今後はより、細胞医療の質を高める段階にあると考えています。たとえば、患者に投与する幹細胞の培養も、施設ごとの判断によってしまっている。まずはここに統一見解を持とうという動きがあります。

―安全性と有効性を一層高める動きが進んでいるんですね。

齋藤:たとえば脊髄損傷や肝硬変に有効な細胞培養の仕方はそれぞれ違う可能性があります。用途に応じた細胞の規格を定めていく必要があります。特に自由診療の場合は、そうした基準による治療の信頼性を高めていかなければいけません。

辻:もう一点はコスト面です。脊髄損傷は保険適用が可能ですが、関節治療の場合は値段を聞いて躊躇する患者さんも少なくはありません。お茶の水セルクリニックは、業界的に見れば手が届きやすい価格を実現できていますが、それでもまだハードルが高いんです。

―実際、どれくらい費用を抑えられる見込みなのでしょうか?

齋藤:コストを抑える方法の一つとして、現在辻先生と一緒に進めている細胞の培養液の開発があります。従来は海外製の高価な培養液が主流でしたが、その半分のコストでつくれる国産の細胞の培養液を、3年越しで開発できました。

辻:細胞医療のメカニズムが明らかになれば、さらにコスト削減の糸口が見えてくるはずです。もしも幹細胞そのものではなく、幹細胞から分泌される物質が作用しているのだとしたら、それだけを凝縮したものをつくればいい。これは細胞の培養上清液と呼ばれるもので、有効性が認められれば他人の細胞から培養されたものであっても投与が可能になります。

齋藤:スポーツ界ではすでに、自分の細胞をあらかじめ培養しておき、痛みを感じたらすぐに投与するという動きも広がっています。これが第三者のものでもいいとなれば、さらに活用されやすくなっていきます。

辻:患者の身体的負担と同時に、金銭的負担も下げていくことを目指しています。



 VICTORYクリニックでの初回の記事から1年半の間にがらりと治療メカニズムの認識が変化した幹細胞治療。費用面で実施を諦める患者も多かったが、アップデートのスピードは早い。アスリートという限られた世界から、アマチュア層、さらには一般の運動レベルの患者まで裾野が広がっていくことが期待される。

【VICTORYクリニック】第六回「脱臼後の関節治療」:元大関琴欧洲が感じた、アスリートが幹細胞治療を選択するメリットは

ブルガリア出身力士として人気を博した、元大関の琴欧洲(現・鳴戸親方)が行った「幹細胞治療」が角界で話題だ。現役時代に何度も苦しめられた膝の脱臼治療に、引退後5年で踏み切った理由、そして幹細胞治療選択の決め手は。主治医である、お茶の水セルクリニックの寺尾友宏院長とともに話を聞いた。

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小田菜南子