EUROで起こった悲劇

前半途中、スローインを受けようとデンマークのMFクリスチャン・エリクセン(インテルミラノ)がタッチラインに近づいた場面。もつれ気味の足にボールが当たるのとほぼ同時に、エリクセンは前のめりに芝生へ倒れ込んだ。チームメートの呼びかけにも反応せず、意識を失っていた。メディカルチームが駆けつけ、ピッチ上で蘇生措置が続く間、エリクセンに背を向けて守るように円陣を組むデンマークの選手たちの姿が涙を誘った。家族、サポーター、そしてフィンランドの選手たちが事の成り行きを見つめる表情も悲痛そのもの。幸い、病院に搬送されたエリクセンは一命を取り留め、容態は安定しているとデンマークサッカー協会やUEFA(欧州サッカー連盟)が発表した。ただ、心臓発作の再発を防ぐために埋め込み型の除細動器を装着する必要があり、現役復帰は遠のいたようだ。

エリクセンは2020-21年シーズンのインテルに11季ぶりのセリエA優勝のタイトルをもたらした立役者の一人。大詰めのクロトーネ戦では右足を一閃、強烈なミドルを突き刺して先制し、スクデット獲得に貢献した。脂ののりきった29歳だからこそ、突然の病魔のショックは大きい。そして、エリクセンの悲劇から2時間後、両チーム合意の上で試合が再開されたが、デンマークは0-1でフィンランドに敗れた。この判断の是非にも議論が沸き起こっている。

相次ぐトラブルとSNSでの批判

そんな劇的な展開を日本からWOWOWを通じて目撃し、寝不足が続くサッカーファンは少なくないだろう。そんな中、イングランド―クロアチア戦などが行われた13日深夜にはスマートフォンやタブレットでも視聴できるサービス「WOWOWオンデマンド」にトラブルが発生した。アプリが起動せず、ようやく視聴できたのは試合終了間際という不手際に加入者の不満がインターネット上で爆発している。

なぜなら、EUROと欧州チャンピオンズリーグ(CL)という強力なコンテンツを抱えているWOWOWにとって、試合中継を巡るトラブルは今回が初めてではないからだ。4月のCL準々決勝におけるリバプールの敗戦が「つまずき」の始まりだった。日本でも根強い人気を誇る名門クラブが早々に大会を去ったことで、ツイッターには「WOWOW解約した」といった投稿が相次ぎ、八つ当たり気味の「解約まつり」に発展した。WOWOWに落ち度はないのに、ツイッターでは「WOWOW解約」のワードがトレンド入りする風評被害にまで発展した。

ここまでは、ちょっとした笑い話で済んだのだが、5月30日のCL決勝という山場でWOWOWは痛恨のミスを犯してしまう。トルコのイスタンブールから、ポルトガルのポルトに会場が急遽移されたビッグマッチは、チェルシーのドイツ代表MFカイ・ハフェルツが先制ゴールを決め、マンチェスター・シティを退けて9シーズンぶりに頂点に立った。熱戦をよそに、日本には全く別の負けられない戦いを強いられるファンもいた。件の「WOWOWオンデマンド」にログインできず、ログインできても視聴できないトラブルが発生していた。SNSには不満の声があふれ、WOWOWは「想定以上のアクセスをいただいたことにより、システム障害が発生した」と謝罪に追い込まれた。その反省と改善策は、翌月のEUROで生かされることなく、再びファンの失望を招いた。WOWOWの加入者数は4月が2万7000件減、5月が約2000件減。サッカーだけが要因ではないものの、ビッグイベントが次々と投入された春にしては寂しい数字に映る。

欧州のフットボールを愛する日本のファンにとって、今年のWOWOWは「救世主」のはずだった。焦点はCL中継の放映権。以前はスカパー!が持っていたCLの権利は、2018―19年シーズンからの3年契約でDAZNの手に渡っていた。暗雲が立ちこめたのは新型コロナが蔓延した昨春だ。本来は5月末に決勝を迎えるCLが、昨年3月のラウンド16の途中から中断してしまった。7月にはDAZNの画面から大会のロゴマークが一時消え、試合の映像が見られない状態が続き、視聴者の疑念を呼んだ。アメリカの経済通信社ブルームバーグが、日本を含むアジア地域でのCL放映権をDAZNが手放そうとしている、と報道したのはこの時期。DAZNは一連の報道にしばし沈黙を守り、7月末になってようやく「予定通りCLとELを決勝まで放映する」とツイッターでひっそりと告げ、実際に決勝まで放送にこぎつけた。CLは8月に再開。決勝ではバイエルン・ミュンヘンがフランス代表FWキングスレイ・コマンのゴールでパリ・サンジェルマンを1-0で降し、7季ぶりにビッグイヤーをつかみ取った。

各大会ごとの放映権問題

だが、波乱は水面下で進行していた。翌2020-21年シーズンのCLが開幕する昨年10月に入っても、DAZNはCLの放映予定を公にせず、再びファンをやきもきさせていた。10月中旬、DAZNの日本法人が「現時点でCL、ELの日本、東南アジアでの放映権を保有していない」と朝日新聞の取材に答えたことで、DAZNのCL撤退が現実のものとなった。ホームページでの告知も、プレスリリースの発出もなかった。かつてDAZNは2017年から10年間にわたるJリーグの独占放映権を約2100億円の巨額で獲得して話題をさらった。だが、Jリーグも昨年はコロナ禍により4カ月もの中断を余儀なくされ、主力コンテンツを欠いたDAZNは会員減の苦境に立たされた。JリーグとDAZNは昨夏、契約を2年間延長し、2028年までの12年間で総額2239億円に変更することで合意した。破談は避けられたが、年平均の放映権料は単純計算で1割以上減った。Jリーグ関係者は「DAZNの懐事情は厳しい。Jリーグとの契約さえどうなるか……」と案じていた。DAZNがコンテンツの見直しを進める中で、採算性の低いCLが切り捨てられた格好だ。

DAZNに成り代わってCLを放映する事業者は現れず、昨秋、CLのグループステージを日本で視聴する手段はUEFAの公式アプリ「UEFA.tv」だけになってしまった。無料サービスではあるものの、指定された一部の試合しか見られない。このままCLは日本から消え去るのか?そんな不安さえ頭をよぎった今年1月、WOWOWがCLを2月に開幕する決勝ラウンドから放映すると名乗りを上げたのだ。「さすが、俺たちのWOWOW」と喝采を浴び、加入者は2月に約1万8000件増、3月も2万件増を記録した。サッカーファンの期待に応えてくれたWOWOWだけに、肝心のCLファイナルでの粗相が惜しまれた。

変わりゆくサッカービジネス市場

サッカービジネスは過渡期にある。日本代表戦のテレビ視聴率は低落傾向に歯止めがかからない。そもそも視聴率の定義がゆらぎ、かつてのような広告収入をテレビ局は期待できない時代だ。他方でアジアの新興国などにマーケットは広がり、スポーツ中継の放映権料は高騰が続く。巨大スポーツイベントの放映権料を地上波中継でペイすることが難しくなり、9月から始まるワールドカップカタール大会のアジア最終予選も現時点では地上波放送の見通しが立っていない。WOWOW、スカパー!といった有料のテレビ事業者に、DAZNやコパアメリカ(南米選手権)を放映するAbemaなどネット主体の配信サービスが加わり、サッカー界は群雄割拠の状況だ。プレーヤーは多くなったが、振り回される視聴者の身にもなってほしい、という思いが拭えない。

DAZNであれば、CLをはじめとするコンテンツの改廃を周知せず、加入者数などの経営情報も積極的に開示しない「秘密主義」を改めてもらいたい。WOWOWは配信態勢をてこ入れし、大舞台でのトラブル頻発を防ぐことが急務だ。失態が続けば、加入者の感情は失望から怒り、諦めに変わる。


VictorySportsNews編集部