引き金は直前のプレーにあった。前半20分、名古屋と福岡の選手が交錯し、福岡のクルークスがピッチに倒れた。それを見た名古屋のレオシルバがボールをタッチラインの外へと蹴り出した。福岡ボールのスローインとなり、前嶋洋太は名古屋GKランゲラックをめがけて投げ入れた。これは「暗黙の了解」といえるサッカーの流れである。そのまま名古屋にボールが渡って、さあ試合再開となるのが、いわゆる「不文律」であるが、スローインでピッチに入ったボールに対して福岡のルキアンが猛然と走り込んで拾うと、戸惑う名古屋の選手を尻目にゴール前へと鋭いクロス。そして中央のクルークスが左足で合わせてゴールを決めてしまったのだ。

 納得のいかない名古屋の選手たちは猛抗議した。点を決めて喜ぶクルークスではなく、「暗黙の了解」を破ってスローインを拾ったルキアンに詰め寄った。スタジアムは騒然となったが、ここで福岡の長谷部茂利監督が腹を決めて選手に指示を出し、冒頭のシーンの「故意の失点」、つまりゴールを返すというプレーが生まれたわけである。

 ただ、この試合は、事情がもう少し複雑だった。なぜ福岡のルキアンはスローインのボールを”奪った”のか。名古屋の選手に囲まれた彼のジェスチャーが、その理由を物語っている。何かをアピールするように、反対側のゴールを指さしたのだ。伏線は試合開始早々の名古屋のゴールシーンにあったのだ。

 名古屋のロングボールをクリアしようとした福岡のDF宮大樹とGK永石拓海がペナルティーエリア外の位置で激しく交錯。味方同士の接触のため、もちろんファウルとはならない。映像で見返すと、この時点で中村太主審は2人が倒れたのを認識して、一瞬笛を口元に持って行く動作をしているが、名古屋の攻撃が続いていたこともあってプレーを止めることはなかった。がら空きとなったゴールめがけて名古屋の選手が攻め込み、最後は森下龍矢が得点した。

 主審はその直後に笛を吹いて名古屋のゴールを認める一方、倒れた2人のために担架を呼んだ。結果的に、GK永石は脳しんとうの疑いでそのまま交代を余儀なくされたから、福岡の2人が交錯して倒れた時点でプレーを止める選択肢はあったかもしれない。ただ、一瞬の中でそれを決断するのは極めて難しいシーンだった。

 長谷部監督が語る。「最初のわれわれの失点の場面で頭と頭がぶつかり危ない状況だったのに、主審が(プレーを)流した。その判断が選手の頭の中に残っていたので、(スローインの場面でルキアンは)プレーしたのだと思う。言葉が合っているかどうか分からないが、『仕返し』じゃないけど、自分たちだって同じではないかという思いが、出てしまったのかもしれない」。つまり、名古屋側がプレーを切らずに続行して点を取って認められたのだから、たとえ“暗黙の了解”を破って自分たちがゴールを奪ったっていいだろう、というわけである。しかし、長谷部監督はこう続けた。「でもそれは違う。それを選手たちにも理解してもらい、過ちを修正したつもり」。フェアプレー精神を守り、冒頭のような守備の放棄を指示して名古屋に1点を返したのだった。

世界に共通する価値観

 Jリーグでは2003年に同じようなことが起きていた。ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァン杯)の京都―大分で、相手に戻そうとしたスローインを大分の外国人選手が拾ってゴールにつなげた。「フェアプレー精神に反した」と大分の小林伸二監督(当時)が判断し、京都に1点を返すよう指示。試合は京都が3―2で勝った。くしくもこの試合は、サッカーくじの「トトゴール」(両チームのゴール数を予想するくじ)の発売となった対象の最初のカードということもあり、「意図的な失点」の是非を問う論調の記事もあった。小林監督は「そんなことを思い描いてゲームをすることはできない。意識していたということになれば問題になる。まったく、それ(くじ)は気にしていない」とのコメントを残している。

 欧州でも似たようなケースは過去にある。1999年2月のFAカップ5回戦で、アーセナルはシェフィールド・ユナイテッドと対戦。1―1の後半に負傷者が出たことからピッチ外へとシェフィールドUの選手が蹴り出した。相手に返そうとした味方のスローインを、アーセナルのナイジェリア代表カヌが拾って攻撃を仕掛け、そこからゴール前の味方が詰めて決勝点が生まれてしまったのだ。

 ベンゲル監督(当時)は「不幸なことに2点目を取ってしまった。あれはスポーツの精神でいえば、正しいとは言えない」として再試合を申し出た。試合中に失点するように指示したケースとは異なるが、「再試合が受け入れられないなら、次の試合を辞退する」とまで踏み込んだ。この提案をイングランド協会や国際サッカー連盟も認め、10日後にあらためてアーセナル―シェフィールドU戦が行われた。結果はアーセナルが2―1の勝利。戦術家として知られたベンゲル監督が示したフェアプレーの精神である。

 2019年4月にはイングランド・チャンピオンシップ(2部)でリーズのビエルサ監督が、故意の失点を指示している。昇格争いの佳境で迎えたアストンビラ戦。負傷者がピッチに倒れたままとなっていた相手がプレーの中断を求める中、リーズは攻撃の手を緩めずにゴールを奪った。これに猛反発したアストンビラ側とリーズの選手がもみ合いとなり、アストンビラに退場者まで出た。すると、ビエルサ監督は選手たちに守備を放棄することを指示。再開のキックオフ後に、アストンビラが1点を入れて試合を1―1の同点の状況に戻したのだった。結局、試合はそのまま引き分けた。この試合で勝ち点1にとどまったリーズは自動昇格できる2位以内の可能性が消え、そのシーズンはプレミアリーグ昇格を逃した。しかし、ビエルサ監督の決断は「卓越したものだった」(英メディア)と絶賛された。

 国際サッカー連盟は、2018~19年シーズンの表彰式「FIFA the BEST」で、ビエルサ監督の指示で故意に相手にゴールを許したリーズを「フェアプレー賞」として表彰している。言うまでもなく、スポーツとしてのサッカーは勝利を目指して競い合うものである。しかし、忘れがちではあるが、一つのゴールよりも、一つの勝利よりも、もっと大切な価値観を前提として、サッカーは成り立っている。あの試合で、福岡の長谷部監督が示したものは、まさにビエルサ監督の例と同じもので、世界に共通する価値観だった。

土屋健太郎

著者プロフィール 土屋健太郎

共同通信社 2002年入社。’15年から約6年半、ベルリン支局で欧州のスポーツを取材