4月の全日本選手権を制した同学年の笠原有彩(レジックスポーツ)が左膝前十字靱帯を痛め、10月中旬に出場を辞退したことで急きょ出番が回ってきた。8月のインターハイで負った左足首の故障が長引いていたことと「笠原選手の代わりができるのか。チームの足を引っ張らないか」という不安で練習ではミスを連発。それでも英国での直前合宿などでの試技会では演技をそろえる強心臓ぶりも見せ、チームのメートから「秘密兵器」と呼ばれていた。

 平均台は、はがきと同じ幅10センチの台の上で宙返りやジャンプ、ターンといった技を次々と繰り出していく。男女全10種目の中で落下のリスクが最も高く、優れたバランス感覚が要求される種目だ。二つ前に演技した個人総合女王のレベカ・アンドラデ(ブラジル)も落下するなど、とてもがくがく震えた脚で演技をこなすことなどできないが、渡部には度胸があった。勢いよく走り出し、ロイター板を力強く踏んでE難度の大技「前方屈身宙返り」をぴたりと決めて台に乗ると、「M&Sバンクアリーナ」につめかけた約1万人の観客から大きなどよめきが起きた。「技の高さとかは世界の選手にも負けないぐらいある」。体操の女子選手では大柄ともいえる身長159センチの体を巧みに操り、前後に180度以上開脚しながらのジャンプやロンダートからの後方伸身宙返りはダイナミックかつしなやか。演技の難度を示すDスコア(演技価値点)は出場8人のうち2番目に低かったが、ふらつきを最小限に抑えたことで、出来栄えを示すEスコア(実施点)は1位の8・100点をマークした。

 エリザベス・ブラック(カナダ)を0・034点上回り、5人を終えてトップに。その後演技した予選1位の欧鈺珊、2位のスカイ・ブレークリー(米国)が立て続けに落下し、日本体操協会の田中光女子強化本部長も「平均台の女神が降りてきた」と驚く展開となった。最終演技者の宮田笙子(鯖江スクール)が3位の13・533点にとどまり、モニターで何度も得点を確認すると「まさか自分が1位なんて。実感が湧かない」。両手で顔を覆って歓喜の涙をこぼした。メダルセレモニーでは、表彰台に乗る方向を間違える初々しさも見せながら、会場に流れた「君が代」を聴く姿は、誇らしげだった。

 日本女子は東京五輪で種目別床運動銅メダリストの村上茉愛さんを始め、寺本明日香さん、畠田瞳さん、杉原愛子さんが軒並み引退し、今大会は5人全員が初代表。国際大会の経験も浅く、田中強化本部長は目標を「団体総合の上位8チームで争う決勝進出」と現実的なものに置かざるほかなかった。世界での立ち位置が分からない中、力を入れてきたのが平均台。「ふらついたらすぐに減点、落下したらマイナス1・0。その危険性がある中で芸術性や正確性が求められる」(田中強化本部長)ことを想定し、国内の代表合宿では、開脚姿勢での膝の曲がりからひねり技の回転具合など、丁寧な技さばきを徹底的に強化してきた。蓋を開けてみれば、日本の伝統でもある美しい体操は海外のジャッジからも高評価を受け、団体総合予選を5位通過すると、決勝では3種目目を終えて3位。最終種目でミスが出て7位に終わったが、56年ぶりのメダルに迫る大健闘を見せた。新エースとして臨んだ18歳の宮田笙子(鯖江スクール)は個人総合で8位入賞を果たし、平均台では渡部とともに表彰台に立ち「自分らしさ全開で演技することができて、周りの評価もよく、自信もついた」と確かな手応えを得た。

 堅実な強化が実を結び、田中強化本部長は「世界で十分戦えるんだと自信を選手も関係者も持てた。気を引き締めて、来年の厳しい戦いに向かって一つずつ分析してやっていきたい」と、今年の団体総合3位までを除く上位9チームに2024年五輪出場権が与えられる来秋のアントワープ大会(ベルギー)を見据える。その中心的役割を担うのが渡部や宮田になることは間違いない。「次は補欠じゃなく、最初から正メンバーに入って、個人総合や他の種目も世界で戦えるような選手になりたい」と渡部。一躍時の人となったシンデレラガールのこれからの成長が楽しみだ。


VictorySportsNews編集部