さて井上が飛び込むスーパーバンタム(旧ジュニアフェザー)級はどんなクラスなのか。WBC(世界ボクシング評議会)が世界王座を設けたのが1976年のこと。ヘビー級やミドル級、バンタム級といったジュニア(スーパー)のつかないオリジナル階級ほど古くはないが、それでもここに至るまで半世紀近い歴史がある。
バズーカと呼ばれたチャンピオン
この階級も数々の名ボクサーを輩出したが、中でも設置された初期のチャンピオン、ウィルフレド・ゴメス(プエルトリコ)の功績は大きい。4代目のWBC王者となり、タイトルを防衛すること17度、しかもすべてノックアウト勝ちという空前絶後の記録を残した男である。異名は「バズーカ」。今回は、スーパーバンタム級を代表するこのチャンピオンを紹介しよう(以下、ジュニアフェザー級と記す)。
アマチュアの世界チャンピオンから勇躍プロに転じたのが1974年11月。デビュー戦は6ラウンド引き分けだったものの、2戦目以降は連続KO勝ちを続け、17戦目で韓国の廉東均(ヨム・ドンギュン)から世界タイトルをもぎ取った。
その後、5年半の間に17連続KO防衛——現在もゴメスの記録は歴代1位タイ(ミドル級のゲンナジー・ゴロフキン=カザフスタン= が同様に17連続KO防衛)である。二ケタの連続KO防衛をマークしたチャンピオンでさえ、長いリング史において5人しかいない。いくら新設の階級であるとはいえ、ゴメスのKOキングぶりには文句のつけようがないだろう。
何よりパフォーマンスがその名にふさわしかった。2度目の防衛戦(1978年1月)では来日もしており、元チャンピオンのロイヤル小林を3ラウンドでキャンバスに沈めている。強烈な左フックでアゴを打ち抜かれたロイヤルが顔面から倒れ込む、衝撃的なノックダウンだった。
また同年10月にバンタム級王者のカルロス・サラテを5回TKOで撃退したV6戦。この時、ゴメスが25勝25KO無敗1分、サラテは52勝51KO無敗。ほとんどノックアウト勝利しか知らない強打者同士が対決したのだった。この試合でゴメスは押しも押されぬKOキングとなった。
サラテ戦はジュニアフェザー級のステイタスを確固たるものとした点でも特筆される。1階級上げて触手を伸ばしてきたバンタム級最強の王者を断固としてはね返したからだ。戦前の予想で優位だったのは、キャリアで勝るサラテのほうだった。サラテが「階級の壁」を乗り越えるとみられていたのだ。
屈辱の敗戦
しかし、バズーカ・ゴメスにしてもサラテ同様に辛酸をなめている。次から次へと挑戦者をKOで撃退していたこの間、ゴメスは1階級上げてフェザー級の支配を試み、あえなく失敗した。
それは1981年8月。フェザー級の名王者サルバドール・サンチェスに挑んだゴメスは、初回にダウンを奪われ、すっかり歯車が狂った。焦って強引に出るところをサンチェスの冷静なカウンターで迎え打たれ、顔面を変形させた末に8ラウンドTKO負け。かつて自身が1階級下の王者を完ぺきに打ち砕いた時のように、サンチェスにしてやられたのだ。
これがゴメスの初黒星となった。それでもジュニアフェザー級では負けず、翌年(1982年)は再び保持する王座の防衛をノックアウトで飾っていく。この年の暮れには、またも時のバンタム級王者(ルペ・ピントール)を迎え、終盤の14ラウンドで倒した。
このピントール戦がジュニアフェザー級王者ゴメスの最後の防衛戦となった。打ち立てた17連続KO防衛は、このクラスの最多連続防衛レコードでもある。
最盛期は過ぎていてもボクサーとしてはまだ終わらず、ジュニアフェザー級王座を返上したゴメスはその後フェザー級、ジュニアライト(現スーパーフェザー)級と3階級制覇を成し遂げるのだからすごい。一方で、複数階級を制した試合はいずれも判定勝ち。ある意味でこの事実も「ジュニアフェザー級のKOキング」としての存在感を際立たせることになっている。生涯戦績は44勝42KO3敗1分。