この大会ではもう一人、女子ダブルスでベスト4に勝ち上がった日本人選手が居る。それが、インドネシアのアルディラ・スティアディと組んだ加藤未唯。加藤は、2017年全豪オープンでもベスト4のダブルス巧者で、自己最高ランキング30位。現在は31位で、今年の活躍と勢いを思えば最高位更新は近そうだ。

 その加藤が全豪でベスト4入りした時のパートナーは穂積絵莉。穂積は2018年の全仏オープンでは、二宮真琴と組んで準優勝している。なお、ここまで名を上げた日本の5選手は全員、現在のダブルスランキングトップ60プレーヤーだ。

 それら、日本女子ダブルス勢のフロントランナーの柴原/青山ペアは、いくつかの偶発的要因と、共通項の符号により誕生した。今年2月に25歳を迎えた柴原は、米国に移住した両親のもと、米国カリフォルニア州で生まれ育った。二人の兄を持つ柴原がテニスを始めたのは、ロサンゼルス郊外に越した時。公共テニスコートが町のいたるところに存在し、年間の大半が晴天のこの土地では、テニスは極めて身近な存在だ。柴原家も、週末等になれば親子みんなでテニスを楽しむ、カリフォルニア南部では珍しくない光景の一部だったのだろう。

 ただ5人家族では、ダブルスで対戦するにしても、一人があぶれてしまうのが数の原理。「だから一番年下の私は、いつも最後のひと枠を勝ち取らなくてはいけない立場だった」。柴原は笑顔で、ダブルスプレーヤーとしての自身の“原点”を振り返る。強い選手にも物おじせず立ち向かう闘争心や負けず嫌い魂は、そのような環境で培った側面が大きいだろう。

 同時に欧米社会において、テニスは“社交の場”、“コミュニケーションツール”としての機能も大きい。テニスを介した家族ぐるみの付き合いも生まれ、年齢や性別を問わず言葉と意志を交わす機会も得る。柴原の人懐っこく、誰の懐にも笑顔で飛び込んでいくような明るさもまた、カリフォルニアという土地ではぐくまれた、ダブルスプレーヤーに欠かせぬ資質だ。

 柴原が青山とペアを組むことになったのも、前述してきた彼女の性格が果たした役割が大きい。それはまだ、柴原がプロに転向したばかりのこと。出場の望みをかけて向かったヨーロッパの大会で、柴原は僅かにランキングが届かず、出場は叶わなかった。ただその時、ホテルと大会会場を報復するシャトルバスで、柴原は青山と幾度か同車し言葉を交わす機会を得る。

 お互いほとんど面識はないながら、「今度、ダブルスを組んでください!」と頼んだのは柴原の方。その時は青山に別のパートナーがいたため直ぐに実現には至らなかったが、数か月後に二人はペアを組み、出場した最初の大会でいきなり準優勝。以降、二人は多くの大会で共に戦い、世界4位のチームにまで急成長した。

 青山と柴原は年齢で10歳、生まれ育った土地もカリフォルニアと東京と遠く離れるが、両者の共通項を探すなら、大学テニス経験者ということになるだろうか。団体戦がメインの大学テニスでは、ダブルスの価値は高い。とりわけアメリカの大学リーグ“NCAA”では、団体戦の先鋒を勤めるのがダブルスのため、「ダブルスの勝利がチームに勢いを与え、展開を有利にする(柴原)」という。「究極の個人競技」と言われるテニスではあるが、ことダブルスに関してはチーム競技の色も濃く、二人のケミストリーがプレーの質を決める。その意味では青山/柴原のペアは、好対照の種々の要素を共通項が調和し昇華した好例。その背景にあるのは、欧米に比べれば遅まきながらではあるが、日本テニス界も多様性が進んできたことにあるだろう。

 一方で、加藤や穂積、二宮らのダブルスでの活躍には、また少し違った事情がある。

 この3人はいずれも、1994年生まれの同期。ジュニア時代から世界を知る”豊作の世代“と目されており、15~16歳の頃から日本テニス協会ナショナルチームのサポートを得て、海外遠征等も繰り返してきた。

 とりわけこの世代に特徴的なのは、“Gプロジェクト”と呼称される、強化プログラムのメンバーだったことだ。GプロジェクトのGはGold Medal(金メダル)の象徴で、2016年リオデジャネイロオリンピックでのメダル獲得を目標に2010年に発足した。中でも力を入れたのが、女子ダブルス。民間のテニスクラブ等では指導が疎かになりがちなダブルスの技術や戦術を、若いうちから将来有望な選手に伝えることに主眼が置かれた。

 その恩恵を最も受けたのが、1994年生まれの選手たち。加藤は「Gプロジェクトで初めて、Iフォーメーションやオーストラリアンフォーメーションなどを教わった」と明言。「“センターセオリー”なども含め、ダブルスの基本的な戦術やフォーメーションを教わったのがあの時。(当時のナショナルチーム監督だった)村上武資さんも選手と一緒にコートに立って指導してくれて、すごく良い雰囲気だった」と当時を振り返った。

 残念ながらGプロジェクトは、目標としたリオオリンピックを待たず姿を消す。2012年ロンドンオリンピックに日本女子選手が一人も出られなったため、糾弾の矛先が向けられ下火になったとも聞いた。ただその時に灯した種火が、前述した3選手の後の活躍につながったのは間違いない。同時に“Gプロジェクト出身者”たちの成果は、組織的強化が難しいと言われるテニスにおいても、明確なビジョンと適切な指導があれば、結実しえることの証左だとも言えるだろう。

 「多様性」こそは、グローバルかつ、他競技に先駆け男女同権や車いす競技の包摂を実現した、テニスという競技の美点だ。日本女子ダブルス勢の躍進はその体現であり、だからこそ、日本テニス界が、あるいはスポーツそのものが進むべき道や可能性を示している。


内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。