石井は、5歳からテニスを始め、9歳の時にオーストラリアンオープンやウィンブルドンを観戦したことをきっかけにしてプロテニスプレーヤーになりたいと思うようになる。

「ウィンブルドンが一番好きです。初めて観客として見に行った時、プロになりたいと思ったきっかけであったし、会場の雰囲気がすごく好きです」

 こう語る石井は、ジュニア時代に、2019年全国選抜ジュニア14歳以下で初めて全国レベルのタイトルを獲得。「ずっと準優勝できていて、そこで初めて優勝できた時に、すごい嬉しかった」と、特に印象に残っている優勝だったと振り返る。2021年には全日本ジュニア18歳以下シングルスで優勝。さらに、グランドスラムと同格のグレードA大会(現在のJ500大会)であるワールドスーパージュニアでは2022年単複で準優勝した。

 そして、2023年オーストラリアンオープンのジュニアの部では、単複でベスト4に進出して、ITFジュニアランキングで自己最高となる8位(2023年1月30日付け)まで上昇した。

「もちろん優勝したかった気持ちはあったんですけど、初めてグランドスラムジュニアでベスト4という結果を残せて、少し自信になったところもありますし、もっと頑張ろうという気持ちになりました」

 身長175cmの石井は、日本女子選手の中では体格に恵まれており、フォアハンドストロークやサーブは力強く、スケールの大きさが感じられる。現在は、錦織圭が練習拠点にしている、アメリカ・フロリダにあるIMGアカデミーで練習に励んでいる。

 実は、石井さやかの父親は、現在横浜DeNAベイスターズのチーフ打撃コーチを務める石井琢朗氏だ。石井琢朗氏は、現役時代に横浜大洋ホエールズに入団し、横浜ベイスターズや広島東洋カープで活躍した名選手。琢朗氏の次女である石井さやかは、「私のお父さんがすごく尊敬する選手です」とも語っている。

 琢朗氏が、プロアスリートとしての経験をもつ中で、自分の娘がプロテニスプレーヤーになりたいと宣言したことをどう受け止めていたのだろうか。

「(さやかは)物心ついた頃から、プロのテニスプレーヤーになりたいと言っていた。親として、まだ小学6年生の彼女に対して、退路を断たせるというところ、覚悟を決めさせるというのは、どんなものなのか、はっきり言って葛藤はありました。けど、それ以上に娘の意志や覚悟が親に勝っていた。プロになることに反対は一切せず、大賛成。家族のひとつの目標として共に歩んできた。1つの目標であったプロになることはクリアできたと思っています。ここ(プロ転向)がスタート地点なので、世界で戦える舞台にやっとのぼれたかな。あとは、さやか本人次第だと思っています」

 石井には、帽子の裏に書いて、試合中に力にしてきた、“おい、あくま”という言葉がある。「怒らず、威張らず、あせらず、くさらず、負けるな」の頭文字を組み合わせた造語が、“おい、あくま”で、これまで石井がプロになるまでこの言葉を支えにしてきた。

 今後プロになってからも、この言葉は、石井にとってさらに大切なものになっていくだろう。むしろプロテニスプレーヤーになったからこそ、この言葉の意味をかみしめる場面が増えるのではないだろうか。プロ1年目に自分の思うようなテニスができず、おそらく試合に負けることも多い中、“おい、あくま”は、石井を何度も立ち直らせることになるだろう。

 現在、石井さやかのWTAランキングは701位(3月20日付け)で、国際テニス連盟(ITF)主催のサーキット大会などの予選から出場して、世界ランキングアップを目指す。そして、近い将来にWTAツアーでの活躍やグランドスラム出場の実現を試みる。プロとして初めて臨む大会は、W25甲府大会(3/28~4/2、賞金総額2万5000ドル)の予選になる予定だ。

 これまで石井さやかは、“石井琢朗の娘”という紹介ばかりされてきた。琢朗氏によれば、「親譲りの負けず嫌い」である石井が、そんな紹介のされ方にいつまでも甘んじていられるとは思えない。

「今まで、お父さんの娘である石井さやかがテニスをやっているよとなっていたんですけど、これからは、石井さやかという名前で、そのお父さんがプロ野球選手だったよというふうになるように頑張ります。自信は……、あります」

 以前から石井は、プロになるからには、プロの大会でちゃんと勝てるようになるために、もっと練習もトレーニングもしないといけないと語ってきた。いくらジュニアで成功を収めたとしても、プロで成功するとは限らない過酷な勝負の世界がある。ジュニア時代から海外遠征をしてきた石井は、その厳しさを肌で感じてきたはずだ。

 今、石井さやかは、琢朗氏が語ったスタート地点からステップを踏み出し、グランドスラム優勝という大いなる目標を達成するためにプロテニスプレーヤーとしての旅を始めた。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。