ドイツの「Sport1」によれば、Eフランクフルトは日本代表の司令塔への残留オファーを出していたが、このほど撤回したという。26歳の司令塔は、来季どこのクラブのユニホームに袖を通すのか。

 鎌田は今夏でクラブとの契約が切れるため、フリー(移籍金なし)で移籍できる状況にある。Eフランクフルト側の「残留断念」が事実であるならば、それはすなわち退団確定を意味する。

 年齢的にも選手としては絶頂期にあり、既に欧州での経験も6シーズンを数える。W杯カタール大会では日本代表のトップ下として攻撃の中心を期待されながら、不完全燃焼だった。新天地となるクラブに対して、より好条件の契約を引き出すことを考えれば、カタールでのプレーはやや物足りなかったかもしれない。それでも、イングランド・プレミアリーグ、イタリア1部リーグ(セリエA)などの有力クラブが興味を持っていると伝えられ、今年に入ってからはドイツの強豪ドルトムント入りの「合意」報道もあった。

 多くの場合では、クラブは選手の「0円移籍」を望まず、移籍させる場合は契約期間が残っている時期に売りに出して一定の移籍金を獲得する。それが経営の観点からすれば「常識的」といえる。クラブにとって必要な選手であればあるほど、契約年数がまだ残っている時期に交渉をスタートさせ、あらかじめ契約を延長しておくのが「0円移籍」を回避する方法としては定石だ。Eフランクフルトももちろん残留に向けて手をこまねいていたわけではないだろうが、鎌田の市場価格は3000万ユーロ(約43億2000万円、1ユーロ=144円で換算)とされる。これまでの交渉次第では今夏に手に入ったであろう「収益」とも考えられ、残留オファー撤回の判断は簡単ではなかっただろう(例えば契約の1年延長に成功していれば、今夏に移籍した場合に移籍金は発生する)。

 鎌田はこれまでもEフランクフルトからステップアップの話はいくつかあった。2019年夏にはセリエA(当時)のジェノアへの移籍が決まりかけていた。メディカルチェックのスケジュールまで固まっていたが、直前にひっくり返った。当時、Eフランクフルトは主力の移籍が相次いでおり、戦力低下を避けたいクラブから急きょ残留を要請されたのだった。本人も「僕自身、(ジェノアに)行くと思っていた。最後の最後に監督と話して、今はここに残るというふうになった」と語っていたのを思い出す。

 ただ、このときの残留は正解だったように思う。当時はまだEフランクフルトでも絶対的な地位は確立できておらず、結果的にジェノアは今季セリエBで戦っている(鎌田が移籍していれば、また違った未来があったはずではある)。鎌田自身も「フランクフルトより明らかに上のクラブとなると、(ドイツ国内にも)そんなにない」と語ったことがある。タイミング、選手の入れ替えの巡り合わせを含め、移籍の成否の見極めが非常に難しいのは、選手にとってもクラブにとっても同じだろう。

 鎌田はその後、Eフランクフルトで活躍し、冒頭で記したように2021~22年シーズンに欧州リーグ制覇、今季は欧州CLで3試合連続ゴールと、国際舞台でインパクトを残すことに成功した。欧州CLでベスト16まで勝ち残り、決勝トーナメントの緊張感のある空気も体感した。今夏は、「その先」を狙うための移籍のチャンスと捉えることもできる。

 そして今、移籍先の候補に挙がったドルトムントは人気、実績の面からしても現在のドイツではバイエルン・ミュンヘンに次ぐ存在と言える。ただ、「移籍合意」報道があったドイツでは、その直後に「鎌田はドイツ国外への移籍を望んでいる」との情報も駆け巡り、やや宙に浮いた形になっている。意中のリーグがあるのか、CLで上位をうかがうビッグクラブへ引き抜かれるのか、それとも出場機会を重視するのか―。最終的には鎌田が、どの道を選ぶかということになる。

 Eフランクフルトが契約延長を断念したとの報道に合わせ、イタリア1部リーグのACミランやナポリの名も挙がり、イングランド・プレミアリーグではマンチェスター・ユナイテッドやチェルシー、リバプールといった強豪クラブの補強リストに入っているとの報道もある。

 Eフランクフルトでは、いわゆる「6番(ドイツではゼクサーと呼ばれるポジション)」の位置で攻守にかかわるセンターハーフとして活躍する鎌田。これまでのトップ下だけでなく、3月のコロンビアとの国際親善試合で守備的MFとして先発し、日本代表でも新たなオプションとして試された。W杯カタール大会でドイツやスペインと対峙しても物怖じせずにプレーできる選手が増えたことが金星につながったように、所属クラブで日ごろから欧州のトップレベルに身を置くことは代表にとって大きなアドバンテージになる。夏までに、どんな未来を選ぶのか。それは、本人はもちろん、日本サッカーにとっても重要な決断といえるだろう。


土屋健太郎

共同通信社 2002年入社。’15年から約6年半、ベルリン支局で欧州のスポーツを取材