いくつもの候補が浮上しては、なかなか決着しなかった新天地は、鎌田の27歳の誕生日直前に大きく動いた。「四大リーグで、欧州チャンピオンズリーグ(CL)に出場するチーム」という本人の希望に沿った形で3カ月近くに及んだ移籍交渉劇は幕を閉じた。あらためて、経緯を振り返ってみたい。最初に有力候補として挙がったのは同じくセリエAのACミランだった。同クラブの伝説的な選手だったマルディーニ氏が強化部門をとりまとめており、5月には交渉が順調かのように伝えられた。しかし、「合意」まで至ったとされながらもなかなか正式発表がなされなかった。ただ、6月の日本代表の活動期間中に、鎌田自身も「代表ウィークが終われば、まあ(移籍先は)決まるだろうし、そこにいけばまた新しい競争がある」と発言しており、この時点では移籍問題が長引く気配はそこまでなく、ACミラン行きが最も現実的な選択肢だったといえるだろう。

 しかし、事態は急転した。約1年前にクラブを買収した米国の投資会社「レッドバード・キャピタル・パートナーズ」がクラブの強化体制を一新し、マルディーニ氏が去ったのである。新たなクラブづくりの方針の下で、ACミランは鎌田ではなく、チェルシー(イングランド)からロフタス=チーク、ビリャレアル(スペイン)からナイジェリア代表のチュクウェゼといった攻撃的な選手の獲得を優先した。鎌田がACミランへ加入する可能性は、この段階でゼロに近くなっていた。

 アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)との契約が2022/23シーズンをもって切れる鎌田は移籍金なしで獲得できる選手だった。年齢は若いとは言えないが、サッカー選手として最も充実した時期を迎えており、欧州でも既に6シーズンに渡ってプレー。Eフランクフルトでは欧州リーグ制覇を達成しており、欧州CLの大舞台も経験済みである。早い段階でドルトムント(ドイツ)がリストアップしたことが明るみにでるなど、欧州の各クラブにとっては、いきなり日本から獲得するような未知数の部分があるわけではなく、ある程度の計算が見込める選手として映っていただろう。ACミラン入りが暗礁に乗り上げ、やや宙ぶらりんとなっていた7月にはアトレチコ・マドリードやレアル・ソシエダード(ともにスペイン)なども獲得に乗り出しているという報道も飛び交った。

 そして迎えた8月2日。複数のイタリア・メディアがこぞって鎌田のラツィオ入りを報じたのである。3日には本拠地のあるローマに到着した鎌田の様子が伝えられ、4日にはクラブも正式に発表。5日の自身の誕生日を前に、交渉はまとまった。

 ラツィオは、ユベントス、ACミラン、インテル・ミラノといったイタリアの三大クラブには歴史や伝統で及ばないものの、昨季リーグ戦は2位。これまでリーグ優勝2回、国内カップ優勝7度を誇り、強豪チームの一角をなしている。今季は欧州チャンピオンズリーグ(CL)にも出場する。鎌田はクラブの公式サイトで公開されているインタビューで「イタリア、セリエA自体は日本人にもなじみがある。昔は日本を代表する選手がセリエAのいいチームでプレーしていた。知名度のあるリーグだと思う。今季に限っては今のところ僕だけ。しっかり活躍して、セリエAの良さ、ラツィオの良さを日本のみなさんに知ってもらえる活躍ができればと思う」と意気込みを語っている。

 ラツィオは戦術家として知られるサッリ監督が率い、セリエAで4度も得点王になったことのあるイタリア代表FWインモービレが前線にいる。ただ、今夏にはセルビア代表でワールドカップ(W杯)2大会に出場しているミリンコビッチサビッチがアルヒラル(サウジアラビア)に引き抜かれていた。中盤の攻撃的な選手は是が非でもほしかっただろう。鎌田自身も「会長をはじめ、監督からもすごい熱意を感じられた」と語っている。

 欧州リーグ制覇などの成功をつかんだEフランクフルトはドイツの中堅クラブだった。若手を抜てきしながら、実績を残した選手は欧州のトップクラブに移籍させるという大きな方針があり、何シーズンもかけて連係を磨き上げるようなチームになりにくいという側面が否めなかった。その点、ラツィオはイタリア国内では上位争いを義務づけられるといってもいい強豪である。鎌田も「ラツィオの試合はたくさんみた。フランクフルトと違って、いい選手がキープされて年々チームとしても完成されていくチーム。より完成度の高い選手たちとプレーできると思っている」とチームづくりへのアプローチの違いを口にしている。

 「イタリアのイメージと言えば、戦術的な部分。みなさんが想像していると思う。戦術面でより多くのアイデアをもらえるのかなと思う」と鎌田。「ここで一から自分自身、成長できると思うし、よりいい選手になれる可能性がこのチームにはたくさんある。このチームでやりたいと思った。ナンバー8の、中盤2枚のインサイドハーフのポジションが僕にとってはベストだと思う。昔からそこのポジションをやりたいと言っていたので、それをかなえられるチーム」。近年の日本選手としては冨安健洋(当時ボローニャ=現アーセナル)や吉田麻也(当時サンプドリア=現ギャラクシー)がプレーしていたセリエA。攻撃的な選手に限れば、2014年から17年までACミランでプレーした本田圭佑以来となるカルチョの国での挑戦である。

 鎌田はEフランクフルトで昨季リーグ戦のみでドイツ1部で自己最多の9ゴールを挙げている。セリエAで日本選手が2桁ゴールを挙げたのは1998/99シーズンの中田英寿(当時ペルージャ)が最初で最後。鎌田が持てる攻撃センスを十分に生かせれば、その数字に近づくことも十分可能だろう。昨季は三笘薫(ブライトン)がプレミアリーグで7ゴール、久保建英(レアル・ソシエダード)がスペイン1部リーグで9ゴールと、それぞれ日本選手最多を更新しただけに、セリエAでも日本人の活躍を是非とも見たいと思うのである。


土屋健太郎

共同通信社 2002年入社。’15年から約6年半、ベルリン支局で欧州のスポーツを取材