9月14日、甲子園で胴上げされた岡田彰布監督(65)を出迎えたのは阪急電鉄出身の杉山健博オーナー(64)だった。岡田監督を擁立し、杉山オーナーを阪急から送り込んだのは、阪急阪神HDの総帥、角和夫会長兼グループCEO(74)。角会長の決断がなければ、関西全体が沸き立つ瞬間はなかったかもしれない。

「阪急電鉄は球団運営にかかわらない。親会社は阪神電鉄」阪急阪神HDの誕生

 阪神電鉄は2005年、村上ファンドによる本社株の買収の危機にさらされた。防衛対策がなされておらず、企業買収の窮地に陥った阪神電鉄に阪急電鉄が助け舟を出した。難局を乗り越えて、翌年経営統合。鉄道を軸とし、路線を生かした不動産、輸送、百貨店、旅行業などを網羅する阪急阪神HDが誕生した。

 阪急はブレーブスをオリックスに売却した過去があるため、当初球界、阪神ファンから警戒された。オーナー連中からは実質的な身売りではないかとして、日本野球機構(NPB)に手数料を含めた預かり保証料30億円を支払う必要があるとの声も出た。当時の宮崎恒彰オーナーが「阪急電鉄は球団運営にかかわらない。親会社は阪神電鉄」という覚書を出して、11球団を説得。阪神タイガースは阪神電鉄のものであることを旗幟鮮明することで手数料1億円だけの支払いで済んだ。タイガースは阪神電鉄のものという構図が崩れた裏には何があったのか。

 阪急阪神HD誕生当時、阪急サイドはタイガースにタッチする気はなかった。グループの象徴になるエンタメ部門については、阪神タイガースは阪神電鉄、宝塚歌劇団は阪急電鉄と住み分けができていて、不可侵領域となっていた。

 2008年6月に統合業務が一段落した阪神電鉄の坂井信也社長(当時)がタイガースのオーナーに就任。阪急阪神HDの代表権を持ち、グループトップ代表取締役の角会長と並び立つ形だったので、タイガースの運営は全権委任されていた。この当時から角会長が早大出身であるため、早大の後輩に当たる岡田彰布をかわいがっているという話は伝わってきていたが、この時期は距離を置いていたようだ。経済担当記者に聞くと「角さんは宝塚音楽学校の理事長。宝塚歌劇団については大いに話をするが、タイガースについてはそれほど関心がない」と話していた。

 その2008年、阪神は2位に13ゲームを付け、早々に優勝マジックを点灯していたが、終盤巨人にまくられてV逸。岡田監督は辞任した。2004年、星野仙一監督の後を受けて、1軍監督に就任。翌2005年に優勝した。40代で監督に就任。イライラしながらすべてのものと戦った5年間の監督生活で、心身ともに疲れ果てていた。いったんユニホームを抜いだ形。だが、再び就任要請を受けるまで14シーズンも待たねばならなかった。

15年もの間、実現しなかった岡田監督の再登板

 後任の真弓明信はともかく、和田豊、金本知憲就任の際には、有力候補として名前が出た。だが、実現しなかった。これは2015年オフまで球団のトップにいた坂井オーナーの考えによるところが大きい。当時を知る元球団幹部は「岡田については大事な阪神OBで愛着もあり、野球についての知識、監督としての力量を大いに認めていたが、坂井オーナーは監督の再登板そのものについて否定的な考えだった」と明かす。阪神は吉田義男の3度、村山実の2度など監督復帰の歴史があるが、坂井オーナーには経営者として企業は常に前に進んでいかなければならないという信念があった。実際、体調も回復し、オーナー付シニアディレクター(SD)としてスタンバイしていた星野仙一氏の再登板も実現せず、2011年から楽天監督に就任した。

 三顧の礼で招いた金本監督には特に大きな期待をかけていた。フリーエージェント(FA)に頼る補強政策を全面転換。「何年かかってもいいから、生え抜きを育ててほしい」とドラフト1位で大山悠輔を指名するなど、チームを支える野手を重点的にドラフトで指名する方針に切り替えた。

 だが、若返りによる土台作りからの強化はそう簡単に進む話ではない。投打の歯車が狂った金本政権3年目の2018年は最下位に転落。金本監督は契約期間が残り2年も残っていたにもかかわらず、責任を取らされる形で辞任した。続投を前提に他のコーチに来季人事の内示をしていた最終戦の夜に起きた政変。このあたりから阪急からの圧力が強まってきたと言われている。本社ですでに顧問になっていた坂井オーナーがこのシーズン限りでオーナーを退くことが決まっており、防波堤になれなかった。急な政権交代だったので、引き継いだ藤原崇起オーナー(当時)に岡田再登板の構想はなく、当時の球団社長が具申した矢野燿大2軍監督の昇格案を承認した。

阪急阪神HD内で強まる球団への不信感

 2006年に阪急阪神HDが誕生したが、タイガースは善戦マンのままだった。2008年はまさかのV逸。真弓監督が率いた2010年も最後まで優勝を争ったが、1勝差で中日に優勝をさらわれた。和田監督でクライマックスシリーズを勝ち上がってソフトバンクとの日本シリーズに進んだ2014年、1勝した後、4連敗に沈んだ。戦力は継続的にあり、優勝を狙えるポジションにいた。球団はそこに新井貴浩、西岡剛、福留孝介、小林宏之らを補強し、あとわずかの差を埋めようとしたが、届かない。

 阪神は監督交代を繰り返しているうちに、ズルズルと年月を重ねた。2005年に生まれた赤ん坊は中学生になり、高校生になり、大学生になった。勝てないだけならともかく、そのうちよくわからないこともたびたび目にするようになった。

 2022年1月31日、矢野監督が今季限りでの辞任を選手に伝えた。翌日からシーズンに向けてのキャンプが始まる日の夕方に…である。事前公表については球団幹部も了承していたというから、驚きが増幅された。定年が迫る高校野球の監督ならともかく、勝負の世界に生きるプロ野球界で退路を先に示すというのはいかがなものか。疑問符をつける声は球界OBに限らず、阪急阪神HD内でも広がっていった。キャンプ中に予祝として胴上げも行った。開幕するといきなり9連敗し、優勝戦線から早々に脱落。株主総会で気が早すぎる胴上げについてもやり玉に挙がった。コロナ禍に翻弄されたその前のシーズン中には、球団内規を破って大人数で選手が外食し、角会長が激怒。当時の球団社長が引責辞任した。

 阪急阪神HD内で「タイガースはどうなっているんだ」という声が年々強まっていったのは想像に難くない。つまずいたシーズンは、株主総会でゲンナリするほど球団についての質問を受ける。関西人特有ともいえる受け狙いの質問の中にも本質を突く部分はある。株主たちの怒りにどこまで本気で向き合っているのか。関係者は「球団に対する不信感は相当なものだった」と話す。

阪神電鉄と阪急阪神HD 崩れていったパワーバランス

 藤原オーナーは2020年6月で阪急阪神HDの取締役を退いていた。経営統合で力を合わせた坂井オーナーが阪急阪神HDの代表権を持ち、角会長と並び立っていた期間は、阪急から目に見えた介入はなかったが、経営統合から時間が経つにつれて、パワーバランスが崩れていった。角会長は議長としてずっと株主総会でタイガースに関する一部始終を苦々しく見守っていた。2018年の総会では「タイガースは結果を出してもらわないとしょうがないと思います」と壇上で初めて言及した。矢野監督が退任するタイミングで、ついに重い腰を上げたというのが実情だった。

 実際、昨年6月の株主総会後、退任する矢野監督の後任像について、電鉄幹部は「矢野監督の育成路線を継承できる人」と取材に答えた。野球に関しての力量は認めるが、在任期間中、何かとぶつかって球団フロントとしこりを残していた岡田の再登板に球団内から積極的な声はなく、平田勝男2軍監督の昇格案を進めた。球団が阪神電鉄に具申し、阪神電鉄は角会長に平田案を何度も提示したが、首を縦に降らなかったという。組織ごと引き締めて、立て直すには、経験豊かな岡田の再登板しかない―というのが角会長の思いであることは明らか。最高権力者の強硬な姿勢に球団は方針転換。阪急の意向が初めて阪神の監督人事に反映された。

勝てなかった集団を変えた角和夫会長の英断

 角会長は岡田監督を孤立させないために、昨年暮れ、阪急から腹心の杉山氏をオーナーとして送り込んだ。岡田全面支援を人事で明確にしたのだ。長年の足踏みに阪神ファンの阪急アレルギーが薄れていることも見越していた。強力な後ろ盾を得た岡田監督はどっしり腰を据えて、中野の二塁コンバート、主力野手のポジション固定など、守りの野球を推し進めた。積極性を評価する矢野監督の方針で早打ちだった野手には四球の大切さを説き、査定の仕組みまで変えて、チームの得点力をあげた。難しいことはしなくていい、正しいことを普通にやればいい。65歳になり、ゆとりのあるオカダの考えがまっさらで伸び盛りの若手にマッチした。ムチを入れずに、余裕を残したままでの8、9月のラストスパートは、球史に残るフィニッシュ劇だった。

 坂井オーナーが2015年オフに金本監督招へいとともに打ちだし、球団の編成方針の転換点になった生え抜き育成は、2019年からの4年間、矢野監督の下、確実に進んでいた。土台がしっかりとした投手陣に近本、中野、佐藤輝、梅野ら野手の駒がそろったタイミングで、熟練の岡田監督が再登板。歯車がかみ合って、一気に花咲いた。そう分析すれば、歴史的独走Vも自然に見える。

 角会長はこの短期的な成果まで見通して、岡田監督を招いたのだろうか。関西を代表する巨大経済グループを束ねる総帥の人を見る目、人事に介入をするタイミング、すごみ…。どうやっても勝てなかった集団がたった1年で変貌した。岡田監督の胴上げをみながら、角会長という影のMVPの存在を確信した。このままお家芸のドタバタ劇とは無縁の球団になっていくのだろうか。阪急阪神HDが誕生して、18年目、そもそも阪急も阪神もなくなってきたということか。阪急支配が深まることへの一抹の寂りょう感も覚えながら、阪神が数年ごとに優勝する、阪神が優勝することそのものが大きなニュースにならない、本当の常勝軍団になっていくことを願っている自分もいた。


大澤謙一郎

サンケイスポーツ文化報道部長(大阪)。1972年、京都市生まれ。アマチュア野球、ダイエー(現ソフトバンク)、阪神担当キャップなどを務め、1999年ダイエー日本一、2002年サッカー日韓W杯、2006年ワールド・ベースボール・クラシック(日本初優勝)、阪神タイガースなどを取材。2019−2021年まで運動部長。2021年10月から文化報道部長。趣味マラソン、サッカー、登山。ラジオ大阪「藤川貴央のニュースでござる」出演。