#東京オリンピック
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テニス
錦織と大坂は、人として当たり前の発言をしているだけ。議論すべき真のアスリートファーストとは。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックが続き、東京2020オリンピック・パラリンピック(以下オリパラ)の開催可否が、日本国民の間で議論が続く中、SNSが発達している時代にもかかわらず、多くのオリパラ選手は沈黙を守っている。これは、選手としてだけでなく、ひとりの人間として、どう振る舞い、どう発言するのかが問われているのに何もできない。こんな異常とも言えるような世界に一体誰がしてしまったのだろうか――。
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サッカー
19年続くサッカーキッズ支援 ユニクロが世界の子どもたちに夢を届ける理由
JFAが主催する未就学児を対象としたサッカーフェスティバル『JFAユニクロサッカーキッズ』のこれまでの参加者は、約28万人に上る。
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格闘技
【太田忍インタビュー】Vol.2 「次の1歩を踏み出せるように」ファンに届けたいこと
2016年リオデジャネイロオリンピック銀メダル、2019年世界選手権金メダルなど、レスリングで輝かしい記録を持つ太田忍選手が、2020年12月に総合格闘技デビューを果たした。総合格闘技のデビュー戦となったRIZIN.26では、所英男選手と対戦し一本負けを喫した。現在では右ひじの靭帯断裂のため、治療やリハビリを行なっている。vol.2では、ビデオメッセージやSNSを通じてファンに伝えたいことを語ってくれた。
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東京2020オリンピック・パラリンピック
称賛されるべき森喜朗の手腕~掃いて捨てられた巨星
森喜朗が東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の座から退き、橋本聖子元大臣が就任した。 今回の一連の騒動はコロナ禍で世界中の人がストレスを受ける中、そのストレスの捌け口としてメディアリンチにより掃いて捨てられたと言ってもいいだろう。新型コロナの問題とジェンダーの問題を意図的に混同させ、オリンピック中止に追い込みたい勢力が1本とった形だ。現に、組織委員会が入居しているビルの前では、森会長辞任せよ以外に、オリンピックを中止せよと書いた看板をもって抗議している活動家もいた。
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テニス
北半球で新型コロナウイルス感染拡大が起きている時に、南半球の全豪オープンテニスは、本当に開催する意義があるのか!?
テニス4大メジャーであるグランドスラムの初戦・オーストラリアンオープンテニス(以下全豪オープン)の開幕が近づいてきている。もともとの開催期間は1月18~31日だったが、新型コロナウイルスの影響で3週間延期となって2月8~21日に変更された。全豪オープン・トーナメントディレクターのクレグ・タイリー氏は、日程変更について次のように語っている。
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陸上
【岩出玲亜インタビュー】Vol.1 ランナーの「第二の実家」を作りたい。今抱く”夢”について
女子長距離界では異例の「プロ」ランナーとして活躍する岩出玲亜選手。MGCにも出場した実力者でもある彼女だが、SNSの発信や一般ランナーを巻き込んでの練習会など、積極的に競技外での活動にも取り組んでいる。そして今回、新たな取組として連載企画を開始する。第1回は一般ランナーを巻き込んでのイベントや今後の展望など、競技外での活動にフォーカスして語った。
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体操
11月に体操の国際大会が開催決定。東京五輪への道を開く「ファーストペンギン」になり得るか
東京オリンピックへの道を開く「ファーストペンギン」になり得るか-。新型コロナウイルスで来夏の開催が危ぶまれる東京大会。その試金石としたい国際大会が11月8日に国立代々木競技場で開催される。
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バドミントン
「かけがえのない時間が奪われている」奥原希望が語るスポーツ界の現状と打開策(後編)
2016年リオ五輪でメダルを獲得し、2017年世界選手権でも金メダルを獲得。次々に日本初を打ち立てる、女子バドミントン界期待の星、奥原希望選手。このコロナ禍でもYouTubeやSNSなどでも積極的に発信を続け、競技外でも日々存在感を強めている。前編では五輪を中心に、競技面の活動について語っていただいた。後編ではコロナ禍での心境の変化と、競技外での活動について語る。(取材・文=VICTORY編集部、写真=ベースボール・マガジン社)
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体操
内村も認める逸材 北園丈琉が目指す東京オリンピック
東京五輪まであと1年。新型コロナウイルスの猛威が収まらない状況で、開催自体が不透明なスポーツの祭典だが、新たに加わったこの1年という期間は、それぞれの競技において、さまざまな意味づけももたらす。体操界にとっては「ポスト内村」を巡る争いが過熱する時間になる。肩痛に苦しむ「キング」内村航平が種目別鉄棒に出場種目を絞ったことで、団体総合、個人総合の新エースは誰なのかが注目となる。いま体操関係者がひときわ注目するのが17歳の北園丈琉。「キング」内村航平も北園の体操については、「日本の中心選手になると思う。期待している」と語っている。18年ユース五輪5冠の新鋭は、小学生時代からぶれない「東京五輪で金メダル」の目標へ向け、高校卒業後に社会人の名門、徳洲会入りを決断したばかりだ。
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オールスポーツ
日本のサステナビリティを担うユニクロが、日本代表ではなくスウェーデン代表をサポートする理由とは!?
もし、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が起こっていなければ、今頃は、本来なら東京2020オリンピックの開催中だった。だが、東京をはじめ日本国内で、新型コロナウイルス新規感染者数が再び増加し始め、まだまだ予断を許さない状況が続いている。そんな中、株式会社ユニクロ(代表者・柳井正氏)が、2021年開催予定である東京オリンピック・パラリンピックに向けて、スウェーデンのトップアスリート11名(パラトップアスリート3名含む)とレジェンド2名、合計13名で構成される、ユニクロ初のチームブランドアンバサダー「ユニクロ チーム スウェーデン(UNIQLO TEAM SWEDEN)」を結成することを発表した。ユニクロが、選手とチーム単位で契約するのは初めてのことだ。
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オリンピック
そろそろ本気で“TOKYO2024”を目指してみてはどうだろうか?
本来ならば、東京オリンピックに向けて日本中が盛り上がっていたタイミングだろう。コロナ禍で1年間延期になったとはいえ、本当に来年開催できるのかどうか、まだまだその先行きは見えない。横浜DeNAベイスターズ初代球団社長であり、現在一般社団法人さいたまスポーツコミッション会長、バスケットボール男子B3リーグ・さいたまブロンコスのオーナーを務める池田純氏は、思い切って2024年まで延期するのはどうかと提案する。
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カヌー
宮本武蔵に着眼し、五輪で頂点を目指す羽根田卓也
先人の名著には往々にして、後世でも通用する言葉がしたためられている。カヌーで日本勢初の五輪メダリストとなったスラローム男子カナディアンシングルの羽根田卓也(ミキハウス)。新型コロナウイルス禍によってコースでの練習ができない時期でも、工夫したトレーニング方法で話題となった。精神的支えとして挙げている言葉が「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」。絶え間ない精進の大切さが凝縮されている。これは生涯無敵の剣豪として知られる宮本武蔵が、兵法の極意を記した「五輪書」にある金言。令和の時代でも役立ちそうな至言がちりばめられている同書は、羽根田がたどる栄光への後押しにもなっている。
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陸上
動画でファンと繋がり合う―陸上競技界の新しいカタチ
新型コロナウイルスの感染拡大の影響は、人々の生活を様変わりさせた。スポーツ界では東京オリンピックは1年延期となり、インターハイや全国中学校体育大会も中止。学校や、味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)など練習場も閉鎖される日々が続いた。大会も6月末まで中止になった。もちろんファンとの交流も限られる。そんな中で陸上界ではSNSなどのツールを利用した活動が目立った。その代表的なものを紹介していく。
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オールスポーツ
聖なる炎と呼ぶのは日本だけ?!ちょっと残念なスポーツ用語
スポーツは全世界のマーケットで急速に拡大し発展してきたが、ここにきて新型コロナウイルスによって急ブレーキがかかった。もしかすると、すごいスピードで成長しているときには気づかないものが、見えるかもしれない。
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柔道
コロナ禍にあえぐ柔道 今こそ問われる精力善用 自他共栄
感染者19人。この原稿を執筆している時点での全柔連、全日本柔道連盟の新型コロナウイルス感染者の数だ。事務局に勤務する職員約40人の半数にあたり、まさにクラスター、集団感染と言っていい。
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オリンピック
史上初、五輪延期の舞台裏 ~日本が負った責任~
緊急事態宣言がついに出た。この記事を書いている時点で東京の感染者は2000人を超え、体育館やプールなどのスポーツ施設は休業要請の対象となった。すでに世界のスポーツは完全にストップしている状況で、日本の緊急事態宣言など“焼け石に水”感が否めないのが実情だ。
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テニス
無観客試合から見る、新型コロナが世界のテニス界に与える影響
今、スポーツ界が、新型コロナウィルスによって、かつてないほどの危機に直面している――。それはプロテニスの世界も同様だ。
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テニス
錦織圭は、2020年を復活の年にすることができるか、それとも……!?
錦織圭が、日本代表に帰って来た――。 長年日本のエースとして活躍してきた錦織が、日本代表チームに合流するのは、2016年9月以来3年半ぶりのことだ。世界のトップ10で活躍していた錦織は、ワールドプロテニスATPツアーでの個人戦と、男子テニス国別対抗戦・デビスカップでの団体戦との両立を、ただでさえタイトなスケジュールの中では実現するのが厳しいため、デビスカップの参戦を辞退してきた。